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『九十九神示』全文掲載 【禊の巻】③

2024年5月出版『九十九神示つくもしんじ』の全文を各章ごとに掲載しています。


今回は、「みそぎの巻」③を掲載します。





身魂みたまを磨けば何もかもわかると申した。
世のまことの道理、自ずとわかって来るぞ。
その時々にすべきこと、せんでも良いこと、自ずとわかって来るぞ。
良かれと思い、誰彼だれかれかまわず道を説くでない。
身魂みたまを磨けば、無駄なことはせんようになる。
身魂みたま磨き八分はちぶ、行動は二分にぶと申して来たことも自ずと身に付くぞ。
まことの善悪、自ずとわかって来るぞ。
善悪などないこと、自ずとわかって来るぞ。
皆々一つであること、皆々働きであること、御役目おやくめであること、すべての生命いのちは持ちつ持たれつ支え合っておること、よくよくわかって参るぞ。


いからぬことが良きことではないのぞ。
神もいかるぞ。神も悲しむぞ。
神にないもの、人にはないのぞ。
神人かみびとになると申せば、喜怒哀楽きどあいらく失くすように思う者おるなれど、喜怒哀楽きどあいらくの質が変わるのぞ。
神のまことなる怒りと、を否定する人間の自我エゴの怒りは違うのじゃ。
下腹したっぱらからの怒りは怒れ、胸からの怒りは怒るなと申して来たであろう。
身魂みたま磨けばそれがわかるぞ。
人の怒りと神の怒りの分別ふんべつが付けば、しかるべき時に神の心で愛する者をしかることが出来よう。


肉体のみそぎも忘れてはならんぞ。
心にかたよったお人と、身体からだかたよったお人といるぞ。
心と身体からだ調和しておらん人民、ここからそれぞれに不具合出るから気付けておくぞ。
それぞれにあか落とし、神の入れ直してくだされよ。
心にかたよったお人、そなたの肉体かまってもらえんで泣いておるぞ。
そなたの身体からだ、このほう身々みみ分けておる神の身体からだでもあるのぞ。小宇宙ぞ。
心でばかり生き、神拝んでおっても、身体からだかまわねば神見ぬことと同じであるぞ。


神は調和であるぞ。火と水、あめつちとで宇宙であるぞ。
れいたい、神と人、男と女、何もかもバラバラとなり、片端かたわとなっておったのがそなたらの因縁因果いんねんいんがであるのぞ。
苦しみとは、調和なきところに生まれるのじゃ。
調和すればうれしうれしぞ。
そなたの身体からだ日毎夜毎ひごとよごとそなたのために働いておるぞ。
そなた生まれたその時から、一時ひとときも休むことなくそなたを思い、尽くしてくださっておるのぞ。
神心かみごころじゃなあ。感謝してもし切れんのう。
そなたらがあたりまえと思っておること、何一つあたりまえではないのじゃぞ。


そなたの心臓、臓物ぞうもつ、石油も電気も使わんで何故なにゆえ動いておるのじゃ。
何もかもが、人民の科学ではわからん神のちからに生かされておるのぞ。
日々身体からだいたわり、礼申さねばならんぞ。
放っておけばおくほどよごれ溜まり、邪気じゃき溜まり、やまいとなるぞ。贅肉ぜいにくとなるぞ。
日々心臓に手当て、胃腸に手当て、手足み、感謝なされよ。
歩きなされ。走りなされ。
神籬ひもろぎである肉体いただき生きておるのじゃから、身体からだ動かし、良きを巡らせなされよ。
身体からだと対話するのぞ。
「みからださま」と身体からだ拝みて、とうとびなされよ。
不調なくなりますぞ。やまい治りますぞ。


身体からだかたよったお人、そなたの心かまってもらえんで寂しがっておるぞ。
肉体動かす喜び、肉体強うする喜び結構であるが、心と共に高めねば、まことの喜び、まことの強さとはなりませぬぞ。
しんたいと申すであろう。
肉体と心と技術が調和し合って、まこと身体からだの喜び、強さとなるのじゃ。
技術とは、この世だけの知恵や道理ではないぞ。
心と身体からだを正しくべる神の道理ぞ。まことの智慧ぞ。
肉体ばかり拝んでおる者、目に見えるものばかり見て生きておる者、心とは何であるかもわからなくなっておろう。
心とは内なる神であり、そなたを生かしておるちから根本こんぽんじゃ。
何のために肉体を持ち、何のために肉体を使っておるのか、その根本こんぽんを思うことが心の役目であるのぞ。
神のために肉体を使い、おのれたましいのために肉体を使いなされ。
それがまことしんたいとなり、まことの喜び、まことの強さとなるぞ。


鍛錬たんれんじゃ修行じゃと申して、身体からだ痛めつけることならんぞ。
苦行くぎょうの心は、曲がった悪の喜びじゃ。
真ん中、バランスが大事と申しておろう。
何でもほどほどに致せよ。
苦しくなったらやり過ぎじゃ。苦行くぎょう楽しむでないぞ。
楽に身体からだ動かせよ。身体からだ喜ばせてくだされよ。
目、鼻、口、耳、手足、腹、頭、皆々に幸せ与えてくだされ。
身体からだも神であり、心まつる神殿でもあるぞ。
御身体みからだの神いたわり、よく掃除してくだされ。
そこに御心みこころの神まつり、拝み、共に喜ばせてくだされ。
あめつちであるぞ。心身しんしんとは神神しんしんぞ。天津神あまつかみ国津神くにつかみじゃ。
うれしたのしで和合、調和致してくだされよ。


頭ばかり使っておるお人も同じであるぞ。
元なる神は心であるぞ。れいであるぞ。
頭はれいの神に仕えるの神じゃ。
左脳右脳もかたで申せば高皇産霊神たかみむすひのかみ神皇産霊神かみむすひのかみであるなれど、霊生身ひふみの神なれば、神の左大臣、右大臣であるのぞ。
左右あべこべに致し、正位せいい狂っておること示しておろうに。
頭をあるじにしておっては、ここから先何もわからんことになりますぞ。
霊主体従れいしゅたいじゅうのお仕組み、心で理解してくだされよ。
霊主れいしゅ心従しんじゅう体属たいぞくが人のまことであるぞ。頭はたいぞ。


頭で考えることも大事なれど、頭ばかりで理解しようとすれば、どこまでも逆さま、ちぐはぐとなって取り違えますぞ。
あやま知・・・・がくの世は終わったのであるから、何もかもひっくり返るのであるから、そなたが頭切れることいつまでも見せびらかしておっては、恥ずかしなりて顔上げられんことになりますぞ。
今のうちに頭の神から心の神に改神かいしん致してくだされよ。
肝腎かんじんなるは頭と心のバランスぞ。まつり合いぞ。
神は頭切れる者より阿呆あほうが好きなのじゃ。
心なき哲人てつじんよりも、真心まごころわかる阿呆あほうになってくだされよ。
親神おやがみの申すこと、つべこべ言わずハイと出来るまこと阿呆あほうになってくだされ。


どれほど議論致しても、頭ばかりのがくでは何も解決出来んこと、よくよくわかったであろうに。
世の中をめちゃくちゃに致した好き放題のがくの世は終わりであるぞ。
もう待たれんところまで時節ときが来たのであるから、あとは神に任せて黙っておいてくだされよ。
役に立たん各論かくろんはもうたくさんじゃ。
神とてこうして事分ことわ事分ことわけ、総論そうろん総論そうろん致さねばならんことおわかりくだされよ。
墓穴ぼけつ掘らんうちに、改心結構ぞ。



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