ゴモク(エゴ)の落とし方を申すぞ。それを習慣とせよ。
*本記事は『よひとやむみな』(2021年・ナチュラルスピリット社)本文より一部を抜粋して掲載したものです。読みやすさを優先し、文章の割愛、レイアウトの調整、独自のルビや注釈を施していることをご了承ください。
上つ巻「ゴモク」より
ゴモク(*1)は穢れ。
ゴモクは曇り。
「我」の意識から来るエゴじゃ。
内に溜まった怒り。不満。恐れ、恨み。すべてゴモク。
内から湧き起こる「我よし」「我正し」の慾もすべてゴモクじゃ。
エゴからくる慾や感情で心が曇ると、自分の力しか出せん。
そのエゴの曇りを取って、澄んだ目で見てみよ。
自分とは思えん力が出るぞ。
そのための改心ぞ。掃除ぞ。
因縁ある身魂は、どうしても改心させねばならん。
改心とは、今までの考え方や価値観を一旦手放すことぞ。
新しい御代のために、新しい考え、価値観が要るぞ。
古いものを手放すから、新しいものを手にするのぞ。
今までの価値観や物差しを外さねばならんぞ。
新しい本来の人間にならねばならん。
改心が遅くなると難しくなる。
今のうちにしておかなければ、それどころではなくなるぞ。
ゴモクの落とし方を申すぞ。
ひとりの静かな時間を取り、目を閉じて、
これから申すことを想像してみよ。
心には渦のように中心と周辺部がある。
我は周辺部ぞ。
エゴからくる感情に振り回されるのは、自分の意識が周辺にあるからじゃ。
渦に飲み込まれてしまうのじゃ。
周辺部には古い考え方や価値観がある。
それが良い悪い、成功失敗、上下、優劣、損得、
すべて何かを二極に分ける物差しぞ。
人間は見えるものや起こる出来事を、
この物差しですぐに判断しておろう。
日々、瞬間ごとに判断し、ゴモクは溜まりだす。
そこから離れて中心に意識を置け。
中心は、台風の目のように静かで風ひとつない。
星さえ見える。
何もないのじゃ。
何もないがすべてがあるところ。
中心から周辺を静かに観察してみよ。
決して渦の中に入ってはならん。
怒りが見えるであろう。
恐れも、心配も、慾も、我よしの気も見えるであろう。
それらは周辺にあるものじゃ。
そこに居たら中心には入れん。
エゴは中心には存在できん。
純粋な意識だけが中心に入れる。
そこは大宇宙と、神とつながるところ。
神の気が入るところ。
光の柱となるところじゃ。
意識を常に中心に置け。
慾や感情から離れよ。
それを習慣とせよ。
毎日行え。
するとゴモクが垢を落とすように、
だんだん無くなっていくことに気づくであろう。
今の人間は、外にばかり意識を向け、
周辺部にある慾や感情で振り回されっぱなしじゃ。
そのような人間を「眠っている」というのじゃ。
自分自身の観察者になれ。
観照者となれ。
周辺にあるゴモクを、ただ観る者となれ。
神はそなたたちの心や行いをすべて記録しておる。
お見通しじゃ。
今まで何をして、何を考え、何を隠してきたのか、
そなたたちが忘れておっても神は知っておる。
神の記録に間違いはない。
神の申すことが分からんでも従ってみよ。
初めは辛いなれど、段々分かってくるようになる。
外の国から有形、無形の方法で攻めて来て、
日本の国が丸潰れというその瞬間、
元の神の力を出して世を立て替えるぞ。
都会と呼ばれるところも昔のようになる。
人間の心も昔のようになる。
今は神が息を止めて、大峠にならんようにしているが、
それもしばらくじゃ。
今に元のようにしなければならんことになる。
*1=京都の言葉でゴミのこと
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