入ってくるものを聖なる気に変換するのが人間。その方法を伝えるぞ。
*本記事は『よひとやむみな』(2021年・ナチュラルスピリット社)本文より一部を抜粋して掲載したものです。読みやすさを優先し、文章の割愛、レイアウトの調整、独自のルビや注釈を施していることをご了承ください。
日の出の巻「火と水」より
左は火、右は水ぞ。
人の左半身は火、右半身は水ぞ。
火は心、御魂ぞ。
火は放っておいても付かん。
人間の御魂を見ておると、
はかない炎もあれば、
大きく輝くばかりの炎もある。
それが身魂磨きの程度として現われておる。
その大きさが神とつながる人間の証ぞ。
水は行い、活動ぞ。
水が流れるように、行はできるのじゃ。
水は無理せんぞ。
火は中心ぞ。
水は渦ぞ。
火の神と水の神ぞ。
それは日の神と月の神。
太古、太陽と地球と月は一体であった。
今は離れているとはいえ、
つながりは途絶えてはおらん。
地球が太陽を中心に回っておるからと、
日の神ばかり拝んで、月の神を忘れてはならん。
中心ばかりで渦を、周囲を、
行いをおろそかにしてはならんということぞ。
人に直々の恵みをくださるのは、
水の神、月の神ぞ。
物質的現世に生きる人間は、
お土がないと生きてはいけん。
日の神もおろそかにしてはならん。
水は身を護る神、火は魂を護る神ぞ。
火と水とで組み組みて、人ぞ。
魂と水を組んで、人間ぞ。
身は、水で出来ているぞ。
火の魂を入れてあるのだぞ。
国土も同様。
地球も御魂とお土があるのだぞ。
日本のお土にも魂が宿っているのじゃ。
渦海の御用も大切じゃ。
渦海とは、沼や湖も入る。
流れてきたものが、
そこに溜まって循環し、変換し、また流れていく。
人も同じじゃ。
入ってくるものを、聖なる気に変換するのが人間。
その方法を伝えるぞ。
外からの刺激で湧きおこった我の感情や思いから、
すぐに離れて、中心に戻れ。
中心に戻れると、静かな心になれるから分かるであろう。
そして、周辺に湧いた感情や思いが
だんだん小さくなるのを待て。
小さくなっていくのが分かったら、
それができた自分に愛と感謝を伝えよ。
それが神と和合した自分の力であり、愛であり、
善き循環じゃ。聖なる気じゃ。
今は、聖なる気に変換できずに、
そのまま流しておるではないか。
もっと汚して流しておる者もおる。
流さずに溜めておる者もおる。
溜めると、腐るぞ。
穢れるばかりぞ。
振り返ってみてくれよ。
分かってくれよ。
神殿守れ。
神殿掃除しなされよ。
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