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【第1章】富士(不二)の心

2023年10月出版『日月神示に学ぶ ひふみの生き方』の全文を各章・各チャプターごとに掲載しています。


今回は、第1章『富士(不二)の心』を掲載します。




◎「富士」=「二二」は宇宙の分離を表している


富士は晴れたり、日本晴れ。
神の国の誠の神の力をあらわす世となれる、
ほとけもキリストも何もかもはっきり助けて
しちむずかしいご苦労のない世が来るから
ミタマを不断ふだんに磨いて
一筋の誠を通してくれよ。(上つ巻・第一帖)



「富士は晴れたり、日本晴れ」というフレーズで始まる『日月神示』には、文中何度も「富士」という言葉が登場し、神示によっては「二二ふじ」、あるいは「不二ふじ」という漢字が充てられています。


この「二二ふじ」「不二ふじ」という読ませ方には、実は宇宙の根源的な構造が示されています。


まず、宇宙の初めにはただ創造主の意識だけがあり、創造主は「自分」が無限の可能性を持つ果てしない存在であることを知っていましたが、「自分」が何者であるかを体験し、認識するためには、「自分ではないもの」(自分という意識だけではないもの)が必要でした。


こうして「無」から「有」が生まれ、もともと「一つ」だった存在が「二つ」に分かれたことで宇宙の森羅万象が生まれ、元なる創造主意識の鏡として私たち一つ一つの意識が生まれたのです。


二二ふじ」という言葉は、この宇宙の根源的な〈分離〉を表しており、宇宙に生きるすべての存在は創造主から分かたれた神の分身であるという根本的構造を示しています。


◎「富士」=「不二」は宇宙の統合を表している


一なるものは平面的には分離し得ない。
二なるものは、平面的には一に統合し得ないのである。
分離して分離せず、統合して統合せざる、
天地一体、神人合一しんじんごういつ陰陽不二いんようふじの大歓喜は、
立体的神秘の中に秘められている。(地震の巻・第二帖)



宇宙の根源には「無」から「有」への分離があり、創造主は自らが「光」であることを知ると、その対極の性質を持つ「闇」(イコール悪でありません)を創りました。


なぜなら「光」のまばゆさ、美しさ、暖かさを知るには「光ではないもの」が必要だからです。


また、自らが宇宙のすべてを眺める「天」の存在であることを知ると、その真価を知るために「天ではないもの」が必要になり、その対極の性質を持つ「地」を創りました。


同じように自らがすべてを生み出す「神」の存在であることを知ると、その真価を知るために「神ではないもの」が必要となり、天使、人間、植物、動物、虫、鉱物など、ありとあらゆる生命体が生み出されました。


しかし、ここで忘れてはならないのは、宇宙に生きるすべての存在は、創造主から分かたれた存在ではあるものの、本質的には創造主自身の分身であるということです。


「光と闇」(陰陽)は対極の性質を持つものの、一つなる同じ存在の中に生み出されたものであり、「神と人」もまた、一つなる同じ存在が別の形で現れたものに過ぎないのです。


神示では、「祖先は過去の自分であり、子孫は新しき自分、未来の自分であるぞ。兄弟姉妹は最も近き横の自分であるぞ。人類は横の自分、動、植、鉱物は更にその外の自分であるぞ。切りはなすこと出来ん」(冬の巻・第一帖)と言っています。


つまり、すべての存在は創造主から分かたれたものであることを表す「富士=二二ふじ」に対し、「富士=不二ふじ」とは、本質的にはすべては「一つ」であり、宇宙に生きるすべての生命はイコール自分自身であるということを表しており、この2つの読ませ方に宇宙の構造の大いなるパラドックスが込められているのです。


そして、一度は分かたれた存在たちが再び和合し、一つに戻って行くという〈分離と統合〉のプロセスこそが、宇宙のあらゆる働きと営みの真髄であり、生きとし生けるすべての生命にとっての最大にして根源的な喜び、つまり「弥栄」なのです。(そうして「不二・・は晴れたり、二本・・晴れ」となるのです)


また、「一なるものは平面的には分離し得ない。二なるものは、平面的には一に統合し得ない」とあるように、宇宙のあらゆる分離は多次元や多領域にまたがって立体的に起こっているものであり、それゆえ統合のプロセスもまた人だけではなし得ず、神だけではなし得ず、多次元、多領域が関わり合い、「天と地」「神と人」「陰と陽」が互いに助け合い、働き合うことではじめて弥栄し、宇宙の大歓喜が成就して行くのです。



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