神と調和して、神の御代を作り上げるのじゃ。太古の人間はそれをしておった。そこに帰るのぞ。
*本記事は『よひとやむみな』(2021年・ナチュラルスピリット社)本文より一部を抜粋して掲載したものです。読みやすさを優先し、文章の割愛、レイアウトの調整、独自のルビや注釈を施していることをご了承ください。
岩戸の巻「神憑り」より
人間同士の戦や天災ばかりで、
今度の岩戸をひらくと思っていたら大きな間違いじゃ。
戦や天災で解決するような簡単なことではない。
あいた口がふさがらないことになって来るのだから、
早く身魂磨いてくれよ。
恐いものなどないようになっておってくれよ。
肉体の恐さではないぞ。
タマの恐さだぞ。
タマの恐さとは、震え上がるような恐さだぞ。
見たことのないような地獄絵ぞ。
タマの戦やわざわいとは、見当がつかんであろう。
心配するなと申しながら、
怖がらせているように人々は思うなれど、
真実を伝えねばならん。
身魂が磨かれれば、恐れを遠ざけることができるぞ。
中心に戻ることができるぞ。
中心に座し「そら来たか」と思い、慌てぬことじゃ。
それが真理を通した生き方であるぞ。
真通理が第一。
自分の勝手な考えではならん。
宇宙の理が第一だということを、分かっておくれ。
神の御言に耳を傾けよ。
神懸かれるようにならねばならん。
懸かりと申しても、
そこらに御座る天狗やキツネや狸憑きではない。
誠の神懸かりであるぞ。
誠の神懸かりは、
神殿という磨いた身魂の中に神が鎮まり、
神と人と、ともに生きることぞ。
神と人の意識がまつろい、身体を使って、
地上に天国を作ることぞ。
花も種だけでは咲かん。
太陽と雨と風があって、芽が出て花が咲くぞ。
香りが広がるぞ。
実がなるぞ。
人も同じじゃ。
神と調和して、神の御代を作り上げるのじゃ。
人も神の世界が分かるようになる。
神だけでは、地上に天国を作ることはできん。
人だけでも、天国を作ることはできん。
今の世を見れば分かるであろう。
太古の人間は、それをしておった。
そこに帰るのぞ。
『よひとやむみな』はAmazonや全国の書店にて購入可能です。
https://www.amazon.co.jp/dp/4864513724
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?