【第4章】まつり合いの心
2023年10月出版『日月神示に学ぶ ひふみの生き方』の全文を各章・各チャプターごとに掲載しています。
今回は、第4章『まつり合いの心』を掲載します。
◎『日月神示』の最重要ワードである「まつり」
まつりとは調和合わすことと申してあろうがな、
この道でみな生き返るのざぞ。(地つ巻・第十二帖)
まつりとはまつわる事で、まつり合わす事ざぞ。
まつり合わすとは草は草として、
木は木として、それぞれのまつり合わせぞ。(日月の巻・第九帖)
「あなない」と並び、『日月神示』において何度も繰り返される重要な言葉が「まつり」です。
「まつり」とは「祀る」ことであり、神々だけでなく人間同士や動植物に至るまで、天地万物を敬い、尊ぶことを意味し、この世のあらゆる存在を「祀り合わせる」(互いに尊び調和させる)ことが本当の意味での「祭り」(祀り)であり、私たち人間の本来の生き方であると神示は言います。
また、「まつる」とは「まつらう」ことでもあり、「まつらう」とは従うことを意味します。
人類はその創造性ゆえにいつからか地球の支配者となり、自然や動植物を人間社会の私利私欲のおもむくままにコントロールし、傷つけて来ました。
私たちが破壊と不調和の道を進むことをやめ、再び宇宙の原理原則、自然の摂理にまつらって(従って)生きる道に立ち返ることで、〈闇の時代〉を終わらせ、〈光の時代〉へと舵を切ることが出来るのであり、「陰極まりて陽となる」銀河のサイクルを迎えている今こそがその時なのだと神示は言います。
◎祭りを通して「まつり合い」をしていた日本人
山は神ぞ、川は神ぞ、海も神ぞ、雨も神、風も神ぞ、
天地みな神ぞ、草木も神ぞ、
神祀れと申すのは神にまつらうことと申してあろが、
神々まつり合わすことぞ、
皆何もかもまつり合った姿が神の姿、神の心ぞ。
皆まつれば何も足らんことないぞ、余ることないぞ、
これが神国の姿ぞ (富士の巻・第八帖)
御神前で拝むばかりでは狭いぞ。
野菜拝めば野菜が、
魚拝めば魚が己となるのじゃ。
拝むことは和すこと。
和すことが友つくる秘訣ぞ。
友を己とすることは、
己を友とすることじゃ。(補巻月光の巻・第五十六帖)
私たち日本人は、古の時代から「祭り」を大切にして来ました。
「祭り」とは神にまつらうことであり、神と人、霊と人、人と人、自然と人が一体になって、この世のすべての存在、事象を「まつり合わせる」ことの大切さを誰もが知っていたのです。
神示には、「神の国には、政治も経済も軍事もないのざぞ。まつりがあるだけぞ。まつらうことによって何もかもうれしうれしになるのざぞ」(天つ巻・第三十帖)とあるように、人間同士や社会的課題においても、それぞれが「まつり合い」の心さえ持っていれば、すべては調和のもとに治まり、何事も円満に運んで行くのだと言います。(政治の語源は「政」であり、上代までは政治と祭りは一つでした)
また、「皆まつれば何も足らんことないぞ、余ることないぞ」とあるように、あらゆる存在が互いに「まつり合う」ことで自然界や社会のバランスが整い、何かが足りなくなることも余ることもない、ちょうどよい世の中になるのです。
◎悪とまつり合うところに本当の善が働く
善のみで善ならず。悪のみで悪ならず。
夜明けの御用大切と申してあろうが。
外道の悪、殺すでないぞ。
抱き参らすから消えるのであるぞ。(春の巻・第四十三帖)
何もかも尊べば何もかも味方ぞ、
敵、尊べば敵が敵でなくなるのぞ (天つ巻・第十二帖)
偽りと悪とまつりて
善の働きすることあるぞ (黒鉄の巻・第九帖)
2020年、世界中を席巻したコロナウィルスのパンデミック騒動をはじめ、世界各地で頻発する歴史的規模の天変地異や、核使用を念頭に置いた第三次世界大戦の脅威など、現在、私たちは身の安全と人類存亡における多くの不安を抱えていると言えます。
しかし、神示では「今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。神力が九分九厘で負けたようになった時に、誠の神力出して、ぐれんとひっくり返して、神の世にして、(中略)天地神々様にお目にかけるぞ」(下つ巻・第二十帖)とあり、悪の所業がギリギリのところ(九分九厘)まで行き着いた末に、残り「一厘」の神の働きが起こり、世界の善と悪、闇と光がぐるんと反転するのだと言います。
ここで言う「とどめの戦」とは、物理的な戦争のみを指すのではなく、近代以降、人々の心を惑わせ、骨抜きにしようと心血を注いで来た悪神、悪霊たちの策略の始終であり、「九分九厘」とは、まさにその最終局面の一つである世界的な核戦争が秒読み段階に入っている今現在を指していると思われます。
コロナ騒動以降、世界中の人々が世の中の真実に目覚め、あらゆる社会の根底に悪意と腐敗が根ざしていることに気づき始めました。
光と闇は常に表裏一体であり、大きな影が生まれるところには必ず大きな光が射します。
また、陰陽太極図のように、陽の動きの中にも陰が働き、陰の動きの中にも常に陽が働いています。
私たちが悪いことだと捉える出来事にも、その奥には浄化や膿出しのための「善の作用」があり、「御用としての悪」が存在するという視点を決して忘れてはいけないのです。
「悪を悪と見るのが悪」(秋の巻・第二帖)だと神示は言います。
また、「(悪を)抱き参らす人の心に誠の不動の天国来るぞ。抱き参らせば悪は悪ならずと申してあろうが」(秋の巻・第一帖)とあり、前記したように「(悪は)抱き参らすから消えるのであるぞ」とも言っています。
すべての存在が本来「一つ」なのであれば、悪もまた私たちの中にある働きの一面なのであり、自らの中にある悪を認め、受け入れることで、悪を悪として対立し、排除しようとする分離の意識が消えて行くのです。
この世のあらゆる事象は「光と闇」「善と悪」の働き合いであり、それらを互いにまつり合わせることこそが調和、平和への唯一の道です。
その根源的な宇宙の真理を私たちが思い出し、体現して行くことが、本当の意味で世の中を「ひっくり返す」神力となるのです。
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