『九十九神示』全文掲載 【峠の巻】⑤
2024年5月出版『九十九神示』の全文を各章ごとに掲載しています。
今回は、「峠の巻」⑤を掲載します。
諭されること嫌いなお方、神語る者嗤うお方、己の足りんところ素直に認められんお方、何もかも過去の因縁じゃのう。
お偉い過去お持ちの方ほど、人の話聞けんのう。
こうして神の申す言葉にも、心掻き乱されて仕方ないであろう。
この文読んで偉そうじゃと申すお方、ああでもないこうでもないと難癖付けたがるお方、偉ぶっておるのはそなたの方であるぞ。
人や神を上から見よるそなたの慢心が、そのように映しておるのじゃ。
神示、それぞれの身魂の曇り映す鏡じゃと申しておろう。
受け取る者の心相応、八通りに読めるのじゃ。
曇りなき者にはどこまでも有難く映り、心勇んで参るのぞ。
この文読んで目丸く致し、何故もっと早く知らせんのじゃと申す者おるなれど、真知らせるための導きは常々与えて来たのであるぞ。
すべては因果と申しておろう。心相応と申しておろう。
図々しき悪魔の声は甘くて大きいが、人民の自由意思守る神の声は儚く小さいぞ。
そなた自身が神の小さき声に耳欹て、自ら学ばんとせん限り、申すものも申されんことわかるであろうに。
人であれ獣であれ、無理に水飲ますこと出来んであろうがな。
神は人の言葉を通してそなたに話しかけてもおるのぞ。
この方、そなたの守護霊様や周りの人間を通して、これまで何度もそなたに話しかけて来たぞ。
その度にそなたはそれを無下に致し、無視し続けて来たのであるぞ。
素直一等じゃとくどう申して来たであろう。
節介焼かれておるうちが花ぞ。
そなた叱ってくれる者、意見してくれる者、真知らせてくれる者あることが、神と繋がる臍の緒であること知りなされよ。
いつまでも己省みず、神にも人にも反発致し、駄々捏ねて我が我がと申しておる者、いよいよ天涯孤独となり、誰一人そなたを構ってくれんことになりますぞ。
神受け入れん、真理受け入れんとは、天国受け入れんと申すことぞ。
うれしたのしの人生、いらんと申すことぞ。
神を求める者、粗探し致さんぞ。
神を求める者、選り好み致さんぞ。
すべての事象に神の姿を見、すべてのお人に神の言葉聞くぞ。
真学ぶ気力、己見つめる気力すら失くしておるのがそなたらの因縁であるから、こうして何度も何度もくどう申しておるのぞ。
そなた、己の至らなさ素直に認め、神に頭下げられるかのう。
人に頭下げられるかのう。
詫びなされ、改心なされと言われて腹立てる者、身魂曇りに曇っておる何よりの証拠ぞ。
実るほど頭を垂れる稲穂かな。
真知り、身魂磨かれるほどに、人はこれまでの己の傲慢さ、感謝の無さ、自分さえ良けりゃいい我良しの心で人様ぞんざいにして来た愛なき生き様身に沁みて、自ずと頭低くなるのじゃ。
大き己に気付くにつれ、人類の因果を我がものとして感じ入り、その破壊と不調和の罪を、自ずと深く詫びとうなるのぞ。
神にも人にも頭下げられんそなた、早う身魂磨いてくだされよ。
素直になりて、真学びなされよ。
神にも人にも、学ばせていただくという心、持たねばならんのう。
皆々に素直に頭下げられねば、いつまで経っても堂々巡りじゃ。
その道理、おわかりくだされよ。
天国間近ぞ。
何もかもいよいよ激しくなりますぞ。
この地の学びを卒業するか、留年するか、いよいよの審判の時であるぞ。
留年ならばまだ良いぞ。一から出直しとならんでくだされよ。
己が決めるのぞ。己の行き先、しっかり見定めなされよ。
そなた自身の魂のことであるぞ。
この世の道理に呑まれるでないぞ。
この世の生活に流されるでないぞ。
ふらふらと覚束ぬ浮き草の心、地に足付けてしっかり立て直してくだされよ。
そなたの人生、そなたの御魂ぞ。
そなたが行きたい道、生きたい世界を、そなた自身が決めるのじゃ。
心で思い描き、生き方とするのぞ。
そなたの思いがあやふやなれば、どこまでもあやふやな世となるぞ。
どっち付かずはもうないぞ。天国か、天国ならざる世となるぞ。
篩の息吹とは、ミロクの世への神渡しぞ。
開きかけた岩戸から万民に照り付ける光の高周波じゃ。
目覚める者には目覚めの追い風となり、目覚めぬ者にはさらなる眠りの追い風となるぞ。
真わからんままなれば、ますますわからんことになるから、己の道しかと見定めること肝腎であるぞ。
それもこれも身魂磨けば自ずとわかって参るから、何より身魂磨き一等であるのぞ。
禊の巻、何度も何度も読んでくだされよ。
身魂磨けて参れば、天災を禍いと申すことの取り違え、よくよくわかって参るぞ。
そなたらの住む地、神の御身体じゃと申しておろう。
地そのものが御神体ぞ。
人の身体とて穢れ溜まれば浄化の働き起こるであろうがな。
神の御身体の上に住まわせていただいておること、よくよく胸に刻み、日々感謝しなされよ。
人民生きるための恵み、何もかも神の御身体から与えられておるではないか。
人間のものと申すもの、この世に一つとないのであるぞ。
此度の大峠は、神もそなたらも何もかもが生まれ変わる時であるから、神の御身体もそなたらの身魂も、これまでにない大浄化が必要でありますのじゃ。
我のものじゃと申してしがみつき、抱え込んでおるもの、すべて神にお返しくだされよ。
何もかもが生まれ変わるのであるから、過去の悪しき癖、悪しき念い、きれいさっぱり禊ぎ祓いて、一から出直してくだされよ。
身魂磨かねば磨かぬほどに気の毒が出るから申しておるのぞ。
神恨むでないぞ。
神恨む因縁お持ちの方、大勢おりますぞ。
そなたらが過去に拝んでおったのは、どれもこれも神の仮面、仏の仮面被った悪神悪霊ばかりであったのじゃから、神仏の名のもとに振るわれた言うに言われぬ蛮行、理不尽の数々を思えば神恨むのも致し方ないなれど、それもそなたらが心の天地ひっくり返し、真の神に改神致すために自ら選んだ物語であったのぞ。
神をお許しくだされよ。
そなたら苦しめた悪神も、今は御役御免となりてすっかり心入れ替えさしたから、どうかすべての過去を水に流して、仏心で許してくだされよ。
神とは自然の摂理であるぞ。
宇宙の理、法則そのものでありますぞ。
神恨心、おかしき取り違えであるぞ。
神恨む道理、偽りの学の知恵ぞ。でっち上げぞ。
神は恨まれても構わんが、神恨むことは理恨むこと。
神の理は喜びなれば、喜びに背き続けることとなるのぞ。
苦しみに生き続けることとなるのぞ。
この道理、どうかおわかりくだされよ。
神に従順なれど、天ばかり仰いで救われん許されんと不安、泣き言ばかり申しておる者も大勢じゃ。
悪の宗教で染み付いた罪悪感、取り違え、早う手放してくだされよ。
神は天におるばかりではないぞ。
天も地も、万物皆々神であると申しておろう。
そなたも神であるのぞ。
岩戸開きとは、そなたが神であること思い出すことじゃ。
岩戸に閉じ籠もっておったのは、そなた自身でもあるのぞ。
此度開かれる最後の岩戸とは、神となり行く胎児が生きた、子宮内宇宙のことでありましたのじゃ。
万物万象拝み祀りて、己の中の神心目覚めさせ、神人となって生まれ出てくだされよ。
大峠とは神の帝王切開ぞ。最後の最後の三年苦難ぞ。
時が経つほど難産となるぞ。
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