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『評価への執着』と上手く付き合うには

『数への執着や、徒に膨らんだ承認欲求を切り捨てるにはどうしたら良いと思いますか?』
 というお悩みを、マシュマロから頂きました。

 マシュマロ主さんの苦しいお気持ち……とても良くわかります。自分を卑下するのは見て下さる方々に対して失礼なことも、数に囚われてはいけないことも、悔しければ努力すれば良いことも、承認欲求を膨らませ過ぎてはいけないことも、頭では解るんです。
 けれど、それでも苦しさが拭いきれない時があるんですよね。頭で解ったらすぐに心に反映するものでは無いですもん。本当にむずかしい悩みだと思います。

 私はそういう時、一度どん底まで沈みます。自分がどれだけちっぽけで、無価値で、ありきたりで、凡庸で、怠惰で、才能の無いだめな人間なのだということを己に思い出させるのです。
 自己顕示欲も自己有用感も、プライドも優越感もみんなみんな全部取っ払って、否定できる自己評価は全て否定して、自尊心の海の底まで沈み込みます。
 なぜそんなことをするのかというと、『自分には何の価値もない』というどん底でこそ、逆によく見えるようになるものがあるんです。
 自分には何の才能も無い。けれど、話を一つ書き上げた、これは凄いことだ。頭の中でキャラクターが話す声が聞こえる、これは誰にでもできる才能じゃない。自分の文章は拙い、けれどイイネをしてくれた人がいる、これは誰にも否定できない事実だ。感想をくれた人がいる、面白いと言ってくれた人がいる。つまり、私の文章が誰かの心を動かしたことは確実なんだ。
 ……と、いうように。どん底にたどりついてなお、否定できない自分の価値の存在に気づくことができます。
 自己肯定感というのは持ったほうが良いと言われますが、肥大化しすぎると苦しみの原因となるものでもあります。だから私は定期的に『どん底』へ沈みます。何もかも脱ぎ捨ててたどり着いた底で見上げた景色が、自分の拠り所となる確かな価値だと思うのです。
 中途半端な深海ではなく海底までたどり着いてしまったほうが、底を蹴り上げて案外すんなり浮上できたりしますしね!

 ……とまぁ、私なりのやり方を書いてはみたものの、この方法は誰にでも合うやり方ではないと思うんです。
 私はドMですし、そもそも『自分は無価値でも存在して良い』という確固たる自信があるので気軽にどん底へ沈めますが、人によっては途中で窒息してしまうこともあるでしょうし、水圧に潰されてしまう場合もあるのではと思います。ですので違う方法も……!

 もう1つおすすめの方法は、執着を分散させることです。
 『ライナスの毛布』をご存知でしょうか?スヌーピーに出てくるあの毛布をいつも抱えている男の子です。持っていると安心できる何かを常に手放せない事を『ライナスの毛布』とか、『ブランケット症候群』と呼びます。
 創作者にとって読者からの評価はまさしく、『ライナスの毛布』だと思うのです。貰えるとすごく安心できます。自分には価値があるのだと知ることができ、ホッとします。けれど得られないと途端に不安になります。評価が欲しくて欲しくてどうしようもなくなり、精神的にも不安定になります。
 そしてこのやっかいな『ブランケット症候群』を解決するためには、2つの方法があります。1つは、満足するまで『ライナスの毛布』を与えられることです。しかし、満足するまで湯水のように評価をもらうのは、現実的じゃないですね……。
 もう1つの方法は、執着を分散させることです。持っていると落ち着くものを、毛布だけでなく、ぬいぐるみやお守りや、その他色々なものに分散させて、執着を薄れさせてゆく解決方法です。
 創作者の場合に置き換えるのならば、評価されることや場所を複数に増やすのが良いのではないでしょうか。誰かが褒めてくれる場所、感謝してもらえること、自分に価値があると思える場所が複数あれば、1つのものに執着して苦しむことを減らせるのではと思います。
 私の場合なら、文章の他に絵を書いたり、手芸をしたり、料理をしたり。仕事や、ボランティアや、献血なども、私の執着を分散させてくれています。
 読み手さんからの評価は、本当に『ライナスの毛布』そのものです。もらえるとホッとして、嬉しくて、幸せで……だからその分、もらえなくなった時の不安や恐怖が激しいものです。
 でも、いつも毛布を抱えていることはできません。抱えていなくても安定した精神でいられることが、やはり健全なのだと思います。
 マシュマロ主さんが上手く執着を分散させられるよう、私も願っております。

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