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器は拡がる

今月初旬に『トランスフォーメーションゲーム®︎札幌 2DAYS』に参加しました。ゲームの内容やその時の様子などは素晴らしいファシリテーターチョモランマ山下さんのnoteをご覧ください。

この2日間が、まあ濃厚な2日間でありまして・・わたしは何を話すんでも声がふるえて涙がでるメーター振り切った状態にしょっちゅうなっていて、今思い出しても恥ずかしさで身悶えするほどです。

そんなゲーム2日目の朝のこと。

主催者でもあり参加者でもある魔法学校の中の方Mさんに、「涙がでるときってどんな感じ?」ときかれた。悩みながらもいちばん近そうな例えとして、「(わたしのハートに)金魚鉢みたいないれものがあって、その中に水がたっぷり入っている。そのいれものがふるえると中の水があふれてしまう感じ。その水はわたしそのもので、そんな感じで涙がでる。」って話をしました。おもしろい例えだねってその時はそれで終わった。

眼鏡を洗う超音波洗浄器みたいに、本音を言おうとするたびふるえだすわたしの心は、私自身が持て余してしまうほど大量の水(感情と言ってもいい)をたたえている 。それに飲み込まれたくなくて、いつしか水があふれないように重たい蓋で心をしっかり閉めてしまっていた(人前で泣くなんて言語道断!冠婚葬祭、映画で泣くのはギリOKって感じでした。)。

それがゲーム中、あっさりと開いた。なんの力も必要なく、ただ蓋はすーっと開いた。たぶんずっと開けていいタイミングを待っていたのだ。

そうして2日間、激しく水があふれてからしばらくしてふと思った。

新しい器が必要だ。

イメージしてみる。

この胸にあふれる水を、器にいれずに全身に巡らせればいいかも?そんな映像がチラッと浮かぶ。

うーん。全身むくみそうだからやめておこう。

しかし金魚鉢では小さすぎる。プラスチックの水槽では味気ない。

ガラスもいつか割れてしまう。すぐにあふれることのない大きいものがいい。

美ら海水族館にあるでかい水槽は掃除がめんどくさそう。海はうお座さんにお任せしたい。


そうだ、茨木のり子さんの詩にでてくるような、しいんとしたみずうみを、わたしの胸にうみだそう。大好きな支笏湖みたいにきれいな水の。

壊れなくて、大きくて、素敵だ。

新しい器は拡がって、最後はみずうみになった。いつかすべてと調和する、豊かなみずうみになるといい。これからも波立ったり水かさ増したりしながら、

わたしは美しい水のように生きる。


あとがき的な

文章の種類?が、自分でも謎です。日記のようで、詩のようで、現実にあったこととイメージの世界がとっちらかっててなんのことやねんと思う方もいるかもしれませんが、伝わる方に伝わったらうれしいです。

2日間、いっしょにゲームをしてくれたみなさんと目に見えないたくさんのサポートに、心から感謝しています。また気がつくことがあれば書きます。

ありがとうございました😊




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