予感

デジャブや予感が人には感ずることが出来る。不思議でたまらない。でもそれは確かに存在していると思う。

前回、2人の祖父のことを話した。彼らは、私が8つ、14の時に亡くなった。その亡くなるとき、奇妙なことが起きていたと思うことがある。

父方の祖父が亡くなるとき。たまたま東京から長男家族が帰省していた。もう長くはない、この1週間が山場だと言われ、喪服を持ってきていた。そんなある夜、病院から電話が鳴り、私たち家族は急いで祖父母の家に向かった。深夜2時。子ども達は起きることもできず、父に運ばれ、また居間で眠りにつく。午前4時、長男と祖母から亡くなったと電話が鳴った。死亡時刻は確かその30分前か。後から降りかえると、奇妙なことが起こった。私の妹と従妹は年が近く、当時幼稚園の年少くらいだった。もうこの年になると夜泣きもなく朝までぐっすりと寝ている。しかしこの時ばかりは、二人とも大きく夜泣きした。しかも同時に。母たちはこの様子がおかしいと思っていたようだ。結局その時間は、祖父の死亡時刻と一緒だった。彼女たちの夢の中に別れを告げに来ていたのかもしれない。

母方の祖父の時は、そんなことはなかったが、祖父の死を放課後の部活中に聞かされた。葬式は、祖母がクリスチャンであったために、教会で行われた。なんとなくその牧師の話を聞くと、祖父が死んだのは、14時36分。忘れもしない。ちょうどその時刻は、5時間目で退屈な時間。ふとその時刻に顔を上げて時計を見つめた。「14時36分か。」思わず声が漏れて、クラスでも笑いものになっていた。祖父が亡くなった瞬間、自分は時計を見つめていた。何かあると思った。後で家族で話していると、父方の祖父の時に大泣きした妹も、6つ上の従姉も、その時間時計を見て、何となく記憶していたというのだ。さすがにこれは怖くなった。そんなことがあるのか。子どもの力は恐ろしいものだ。

こんな経験を2度もするから、運命だの、予感などに意識してしまうのかもしれない。