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あなたはカップ麺の作り方を説明できるか?

一言で言うと「お湯を入れて3分」

その中に、いくつかの手順が存在する。

フタをはがす行為
お湯を注ぐ行為
注ぐためのお湯を沸かす行為
フタをする行為

これらの行為を間違いなく遂行させるためには、操作する人がどの程度のコンテキストを持っていて、どこまでなら省いていいのか、説明の粒度はどの程度で行うのが適切か、などそれなりに考える必要がある。

「フタを半分まではがす」
半分という言葉がなければこの時点で全てはがす可能性はザラにある。捨てる可能性もある。もちろん、後にフタをすることをわかっていればそれはないだろうが、読み手のコンテキストを考慮すると外せない。

カップ焼きそばのように、剥がされるともう成立しないものについては特殊デザインで最適化されている。注ぎ口と捨て口が別だし、フタに線まで引かれている。いわゆるバカ除け。

全然関係ないけれど、コピー機の修理屋さんをしていた時、ちょっとしたデザインに助けられていた。ネジの色、ネジの長さ、ハーネスのコネクタ形状など、基本的にはミスしてはならない。が、そもそも部品自体が「ミスれない」ようにできているのだ。ネジの直径が違ったり、長さがどう考えても足りなかったり、コネクタを逆にするとささらなかったりした。なので「ミスしたが成立する」が存在せず、基本的には「唯一無二」の状態しか存在しなかった。(まぁ、モジュールを跨ぐとふつうにささったりするけど)

話を戻そう。
「熱湯を内側の線までゆっくり注ぐ」
熱湯という言葉のチョイスは微妙な気がする。日清的には「沸かした直後のお湯」だそう。
https://faq.nissin.com/faq/faq_detail.html?id=531&category=3&page=1
「沸かす」ということと「沸騰させる」ということはほぼイコールでいいだろう。でも、60度も80度も熱湯は熱湯だし、シャワーでいうと43度もあればまず熱湯だし、ちょっと曖昧かな?と感じた。

あと、「内側の線」
あれは線と認定するのが微妙だと感じる人はいないだろうか。なにかこう、意図したものではなく、パッケージ生成のタイミングでやむを得ずできてしまった段差のように見えてしまう。ここでは内側の線と書かれているので、まぁこれかな?と思うことはあるが、お湯を注ぐときはいつも不安になる。

「ゆっくり注ぐ」は免責も兼ねて必要な表現だろうか。もちろん、ユーザーのけがを防ぐのが第一に決まっているが、色々面倒なコンテキストを想像してしまう。

あとの手順は、妥当かなと感じた。「よくかき混ぜて」はわざわざ赤くする必要があると個人的には感じた。結構、そこの方にスープの粉がたまっていて、上の方が澄んでしまっていたりする。まぁ十中八九混ぜるだろうけれど、ここは混ぜてと書くのが無難だと思った。

わたしは技術文章を書く仕事をしている。例えば「コマンドを実行しましょう」という言葉を使う時、それが「入力をしてエンター」ということが伝わるのだろうか?と考える。おそらく、十中八九伝わる。が、実際に人に教えてやってみると「これ、ここでエンターでいいですか?」と聞かれるのだ。これは、エンターを押せば走ることはわかっているが、実行のタイミングを迷っているという状態だ。そこで、「入力したらエンターを押せ」というと安心して行動してくれる。人に何かをさせるときは、本当に気をつかう。

クレジットカード決済の時もそうだ。「暗証番号の入力をお願いします」と「暗証番号を入力して、終わったら緑色のボタンを押してください」とでは動きが変わってくる。言い方ひとつで行動がどこまで進むかかわる。あれは多分、私たちが確定まで押すのが正しいのだろうけれど、そんなことクレジットカードを使い慣れてない人にはわからない。

この辺りの細やかな気配りの積み重ねは、日々意識しておきたいものだな、などと考えながら、空腹と締め切りで眠れない深夜3時に罪深きカップ麺(正確には麺じゃくて米だったけど)を食したのだった。


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