都庁って入るの大変だから、いた人は凄いって思われるし辞めたらもったいないって思われるわね
ここ1カ月ほど、学校の先生を辞めた方のnoteキュレーションを続けていました。だってnoteを見ていると、先生を辞めた方の記事がたくさん見つかるもので。
そんな中、久々に、先生以外の方の公務員退職者のnoteをキュレーションしました。
新卒で都庁に入ったMaiさんという方で、とにかく、「ザ・公務員に合わない方」の気持ちを代表してる記事をたくさん書かれていたので、紹介してみました。
そんなMaiさんですが、昔都庁で勤めていたんでしょ、凄いねと言われると違和感を感じるという記事を書いています。
なぜ公務員に対してそういう言葉が投げかけられるか。現役公務員の皆さんは薄々感じているのではないでしょうか。
そもそも公務員というのは、今や絶滅危惧種であるはずのコネ採用を除けば、基本的に採用は実力制。
中途採用でない限り、高校までの国数理社英の勉強の延長たる教養試験、大学での社会科学や理工学の勉強の延長たる専門試験を受けて合格する以上、いわゆる「勉強をして、一定の結果が出せる人」でないと採用されません。
したがって、公務員だった(である)人に対して凄いね、という言葉が投げかけられるのは、試験に受かって就職した経歴自体を、羨んで、あるいは尊敬のまなざしで(婉曲的には、蔑む気持ちも少しあるのかな、さまざまな気持ちがないまぜになっている言葉かもしれませんが)、一応表面上は誉め言葉として、言っているのだと思われます。
もっとも、いったん就職してしまうと、地方公務員の場合、前例ベースの仕事が大部分を占めます。Maiさんが感じていたとおり、そこまで頭が良い人でなくてもできる仕事がごろごろあるというのは、確かに一般論としては正しいです。
そもそも公務員試験なんて、いってみれば公平に人を選ぶために、便宜上実施しているに過ぎない試験です。一定の能力を証明できた人を、優秀なほうから順に採用しているだけであって、仕事で求められる能力水準からすればオーバースペックな人材もごろごろいるんでしょうから。
もちろん中央官庁のキャリア組(国家総合職)ならば、入った後も、複雑怪奇な法制度の制定改廃や政策の策定など、頭を使う仕事がそれなりにあるので、本当に優秀な人を集めないと大変なわけですが。ただ、待遇が余りに悪いので、そういう人が来なくなっているという話がいま言われてるわけですね。
話を戻すと、都庁にいたことが凄いのではなく、都庁に入ったことが凄いということを周りは言っているんじゃないか、という気がするんです。
話は少しずれますが、これが学歴の話だとどうなんでしょうかね。東大出身の人が凄いといわれるのは、やはり東大に入れる頭脳があったからですよね。日本の大学は、「入りやすく出にくい」ところではないので、東大卒業というより、入るのが大変難しい東大に入ったこと自体が凄いってことですね。
ただ、東大は学歴であって、職場のように長くいるところではないので、学歴と仕事選びは別です。もちろん学歴としては一生ついて回るし、東大を出る頭の人なら、そのあとはいい企業に入る、起業するなどして、その頭を使いこなしてそれなりのことをしているであろう(もちろん例外はあり。)、という話になります。
これに対して、公務員試験突破と、そのあとの仕事は、公務員を辞めない限りセットの関係にあります。ただ、公務員に受かって頭は良いけど、いったん中に入ってしまったあとの仕事の中身としてはさほどすごくない、というギャップがままありますし、公務員の地位とセットであるゆえに手放したら終わりという面があるわけです(だからもったいないと言われる)。
そして、東大出てれば知的能力の証明になるけど、公務員試験合格(入庁)歴自体は(すごいねとは言われるが、辞めてしまえばただの人という面もあって)、結局学歴とセットで地頭証明に使わない限り、単体ではあまり転職などでは役に立たず、ただの賛辞であるようにも感じます。
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