アニメウマ娘3rd seasonの覚書

 これを書いているのは、アニメウマ娘プリティーダービー3rd seasonの最終話を視聴した直後。忘れないうちに、今感じたことをまとめ書いておこうと思います。
※劇場版の発表など色々話題豊富ですが、それは今回関係ないので脇に置いておきます。

 まず最初に一言。

 言われているほど悪くなかった。

 評価、なんていうとおこがましくも思えますが、とりあえず私の中での3期の立ち位置は、ネットでよく目立っている意見ほど悪くはありません。
 2期が良すぎただけだ、という声もありますが、個人的には一部同意。でもちょっと微妙にニュアンスは違うかな、という感じです。
 要は「気になる点はいろいろあるけど、事情も分かる」てところ。
 そんな中途半端な評価の評論を残す意味とは、と言われそうですが、これには私なりの意味と理由があります。
 それは「ストーリーテリングとシリーズ構成の考え方として、覚えておいた方が良いな」と感じたことが私自身たくさんあったからです。
 前置きが長くなりました。まずは「好きだな」と感じたところから行きましょう。

「好きだな」と感じたところ

①ウマ耳の作画

 は? と思うかもしれないけど、これは本当に良かった。ケモノ耳にこだわりのある人間としては、今期の耳の描写はとてもGoodでした。
 ペラペラのつるんとした耳に見えるようでは嫌なんです。こう、耳の内部構造とか、毛並みとかがわかるような感じになっているととても嬉しいんです。今期はそこがとてもよかった。耳に肉感があるのがいい。
 何言ってんだこいつ。
 フェチの話でした。

②ドゥラメンテを出し惜しみしなかったこと

 放送開始前、ほとんどの視聴者が心配していたと思います。
「——ドゥラメンテはどうするのか?」
 詳述するのも野暮なのでもう書きませんが、ドゥラメンテは馬主の権利関係の複雑さから、実装がなかなか難しいと言われていた馬です。しかしながら、キタサンの物語を描くのであれば必要不可欠な馬でもあります。変名登場だったらどうしよう。いやさすがに出すでしょ。全カットかもよ……? などなど、様々な憶測が飛び交っていました。
 この問いに放送開始1分で回答したことは、とても良かったと思います。
 視聴者の「ドゥラメンテはどうなる?」という期待や不安の時間を最小限にさせることで、物語に集中させる効果がありました。
 引っ張って引っ張って、もったいを付ける方法もあったかもしれませんが、私はそうしなくて良かったと思っています。でなければ、放送開始から何話にもわたって、SNSの感想の大半が「で、ドゥラメンテは?」ばかりになってしまうところだったでしょうから。

③終盤の「衰え」描写

 今期のテーマは「衰えと引き際」。ウマ娘の人生のパートとして、ピークアウト後の展開は殆ど描かれてきませんでした(一部育成シナリオくらいでしょうか)。
 衰えはアスリートの物語として「生きてる」という実感をもたせられる題材です。特にウマ娘はいつまで経っても卒業しない会長や副会長がいるので、この子達は本質的に生きてるのか? と不安になることがあります。たまに「ウマ娘の世界って、競走馬たちにとっての楽園というか、天国というか、虹の橋の向こう側なのでは? 虹の彼方へゆこうとか歌ってるし……」などと変な勘ぐりをしてしまうくらいです。
 そんな中で、この題材はとてもよかった。物語や世界観、人物像にとても深みを増しますから。
 描写としても、11話以降のキタサンとその周囲のズレや変化の表現はとても良かったし、良い視点だったように思います。ゴールドシップの引退レースを濃いめに描いた意味もちゃんとありましたし、伏線というほどでもありませんが、きちんと広げた風呂敷を畳みにいった感じが好印象でした。

④シュヴァル「僕は君が嫌いだ」

 これマジでよかったですよね。
 いやーこういうセリフ、あたしは大好きですよ。
 ただでさえ少年みがあるシュヴァちがこんな愛の告白をするんですから、もうね、あたしゃ寿命が10年伸び縮みしましたよ。
 嫉妬と羨望とあこがれとがない交ぜになった、少年期の恋心にも似た感情。アーイイネェ! 青春ダネェ! ……正気に帰りましょう。
 アニメウマ娘スタッフは、こういう局所的な名セリフを作るのが上手い。
 
パンチラインとでも言うべきでしょうか。シリーズ終盤に入るタイミングでのこのセリフは、明確にシナリオが良化していくターニングポイントでしたし、インパクトも抜群でした。2期でも後半にライスシャワーの話を挿入するなど、ストーリーがマンネリ化しそうなタイミングでこういた工夫が施されていました。これは連続ドラマの構成としては、とても参考になる手法です。まあ、史実がこのタイミングだからだろと言われたらそれまでなんですが……。
 シュヴァルのこのセリフは2期の「テイオーが出ていればなんて絶対に言わせない!」や「これが諦めないってことだ!」に匹敵するレベルの名言だったと思います。それだけに、ここまでに至る流れが……と、それは後半の話でした。

 細かいところを上げれば色々他にもあるのですが、構成やストーリーテリングという観点からみると、これくらいでしょうか(ウマ耳を挙げた意味とは)
 続いて「もったいないな」と感じた点です。

「もったいないな」と感じた点

①共感させる力に乏しい

 本作のキタサンは主人公です。ですがこの主人公に共感しながら視聴できた視聴者はどれくらいいたでしょうか……? 想像に過ぎないのですが、あまり多くなかったのではないでしょうか。多分、ネット上の不評の原因の大半はここにあるような気がしています。
 前提として、キタサンはGⅠ7勝の圧倒的な名馬です。菊花賞を勝利して以降、派手な大敗は晩年の宝塚記念の9着しかありません。実に14走中13走で複勝圏内(3着以内)なのです。
 一方で、作中では「勝てない」ことの残酷さをこれでもかと何度も描写しています。(サトノのジンクスやシュヴァル姉妹の勝ちきれない切なさ、そして夢を諦め去っていくウマ娘など)
 そんな中で「勝ちまくっている」のに、勝利とは全く違う部分でふわふわと悩み、迷走するキタサンの姿に共感するのは難しいはずです。
 だって世界が「勝てないのは辛いこと! 勝たなきゃ悲しい!」と説きまくっているのに「勝ってるのに迷走してる」キャラに感情移入する方が難しいのです。
 おまけにアニメのキタサンは勝ちまくった結果孤独になってしまう、いわゆる育成シナリオでのオペラオーのような強者ゆえの悩みみたいなものもありません。みんなに慕われ、友達も多く、愛されている描写をこれまたたくさん視聴者は見せつけられています。
 これで「明確な夢やありたい姿形が見つからない」という自分探しの旅に出たがる大学生みたいな悩みを見せられても、なんとも……。

②ドゥラメンテの存在が(世界観的に)壁にならなかった

 ①の話に関係する話なのですが、せっかく出したドゥラメンテの存在が「私とは違ってちゃんと夢や目標が明確にある人」でしかなく「直接対決で最後まで勝てなかった」という点での壁になっていません。
 シュヴァルとヴィルシーナの会話で「私は結局(貴婦人に)勝てなかった」というセリフがあったわけで、ここにドゥラメンテとキタサンの関係をもっと関連付けられたはずなのですが……。
「勝ち負けは残酷!」と言っている世界で、キタサンにとって、ドゥラメンテが勝ち負けの壁になっていない以上、世界観の常識的には、キタサンは挫折をしていないのです。
 「夢や目標が明確に無いのは悲しいことだ」と誰も言っていない(どころか「無い」人がありえないと思われている)世界で「私にはそれが無いんだ」という孤独感、を描きたかったのかもしれません。
 でも、だとしたらキタサンは慕われ過ぎていますし、面倒を見てもらいすぎています。誰に話しても理解してもらえず、孤立していく描写が必要だったように思います。むしろ、孤立は「衰えに抗う」という姿勢になってから深まっていました。周りのウマ娘との会話は明らかに「衰え」を自覚してから減っています。それはもっと早い段階で来て良かったんじゃないでしょうか、と思うのです。
 こういう流れで先述したシュヴァルの名言が出てきても、完全には没入しきれず引っかかる部分が残ってしまうわけで、折角のいいシーンが本当にもったいないと感じたのでした。

総じて……

放送前の懸念と予想

 放送前、私はキタサンブラックが主人公ということである懸念をしていました。
 それは「キタサン無双過ぎてドラマあんまりなくない?」という点。
 まあでも上手くやるでしょう、と楽観視していました。

 想定では丸くまとめるならこんな流れかな、と予想していました。
(以下しょーもないストーリー予想)
①キタサンはドゥラメンテという壁にぶち当たる
②しかもドゥラメンテの方が憧れていたテイオーみたいな競走人生を送っていることに嫉妬(あるいは自分に失望)する
③周囲に励まされ、ドゥラメンテを乗り越えることが目標になるが、彼女は怪我でターフを去ってしまい、勝ち逃げされてしまう。
④ドゥラメンテの幻影を追い続けるあまり、幼馴染であるダイヤの存在をないがしろにしてしまう(1期のスぺとグラスみたいに)
⑤有馬記念でそのダイヤに敗れ、自分が幼馴染の存在まで見失っていたことに気づき、自分が一体何を目指しているのか、ますます迷走してしまう。
⑥海外遠征するダイヤの姿に、ドゥラメンテ(海外遠征の計画があった)の幻影を見てしまい、国内で勝ち続けるも灰色の日々。孤立も深まる。
⑦しかしダイヤがフランスで大敗し、競走能力にも悪影響が残ってしまう。
⑧ボロボロになりながら、それでも悔いは無いと前を向く幼馴染の姿に、自分もまた、ボロボロになっても構わないから全力で、自分を慕ってくれる身近な人たちのために走るべきなのだと思いを新たにする。
⑨学びを得て、己の目標ではなくみんなのために走ることを自分の理想とし、ラストランへ向かう。そしてみんなの愛馬になった……。
⑩ドゥラメンテとターフで再開してハッピーエンド!
+α 途中灰色の日々を送っていたキタサンを張り飛ばすようにクラウンやシュヴァルが一泡吹かせるエピソードが挿入されていく。これらも後に立ち直るための積み重ねになる。

↑上記の感じです。この辺はアニメ放送前にXのスペースにてフォロワーさんたちと語り合っていたので、後出しではないです……。

 私の予想では「衰え」がキーワードになってくるとは思っていませんでした。でも今考えれば「これが男の引き際だ!」なのですから、これを入れなきゃダメですよね。私は浅かった。

それでも惜しい

 でも、だとしてもやっぱり、もっとドゥラメンテが「壁」としての役割を果たして良かったんじゃないかと思うのです。キタサンが勝ったレースをカットするようなことをせず、勝っているのに「あの子には勝てていない」と思わせるだけで、十分キタサンが自分の在り方に自信を持てなくなる理由になったはずです。そうしていれば、おそらくもっとこのアニメのキタサンが視聴者の共感を呼べたのではないでしょうか。そして、その流れでも「衰えと引き際」に話は持っていけたはずです。
 悪いシナリオだとは思いません。でも、ポテンシャルはもっとあったと思います。それこそ、私が放送前に想像していたよりもキタサンブラックという題材はずっと潜在能力に溢れていました。
 「ウマ娘としての生き方」と「衰え」両方をテーマにしたシナリオは、私がパッと安直に想像したストーリーよりも深みが出ていたと思います。あとはほんのひと匙、キタサンに共感しやすい工夫があればこのシリーズはもっと評価されていたはずです。
 史実の再現をしなくてはいけないバランスと、聞き取りをしていたというキタサンの関係者からの視点、そしてスタッフたちが描きたかったキャラクターたちの描写の都合によって、そのポテンシャルを発揮しきることが無かったのではないかと思います。

シリーズ別の好み

 世の3期批判の中で、実は私が特に違和感を覚えているものがあります。
 それはRTTT(Road to the Top)の方がずっと良かったというものです。
 私の個人的な意見ですが、私の好みとしては

 2期>3期>RTTT>1期の順になります。

 2期が素晴らしかったのは、史実通りに再現しつつ、各競走馬の都合を合わせつつ「史実ありき」「設定ありき」に見せない工夫(悪く言えばごまかし)がとてもとても上手だったことです。テイオーのJCがカットされたとか、ライスへの世間の風当たりが実際より強すぎないかとか、違和感がゼロかと言われれば、そんなことはありません。でも、それを補って余りある構成の上手さで視聴者を「納得させてしまった」。これに尽きます。

 3期はこの点で「やりたいこと」が渋滞してしまって、うまくこのごまかしが機能していないように見えました。結果として、共感のしどころが難しく、史実ありきに見えてしまった部分も多々あったように感じます。
 でも、やりたいことは分かりましたし、それはある意味で一貫していました。
 例えていうなら、食材は正しく選び、出来上がった料理もレシピのタイトル通り。でも、材料の切り方や加熱の仕方がもう一工夫できたんじゃないか。そんな料理という感じです。

 一方でRTTTは、メニューにカレーと書いてあって「カレーください」と注文したら最高においしい肉じゃがを出されたような感じでした。
 あの物語は、トップロードの菊花賞戴冠への道を描くものだったはず。あるいは、99世代の三者三様な栄光への(苦難も含めた)道を描くものだったはず。それが蓋を開けてみれば、アヤベさんとその妹の魂の浄化物語になっていました。
 人の死はとかく感動を呼びやすいものです。けれどもだからこそ、安易に感動の道具にしてはいけないとも思います。
 あの物語がもっとも感動させるべきだったのはアヤベさんが妹さんへの罪悪感という呪いから解き放たれる瞬間ではなく、トプロ委員長の夢が叶う瞬間だったはずです。
 1話が放送された時はとても感動したのですが、話が進むにつれてアヤベさんに感動成分を乗っ取られていく感覚に、強烈な違和感があったことを覚えています。そのしわ寄せとしてオペラオーの扱いが薄味になっていったのも。
 そういう意味で私は、3期よりRTTTの方が(ストーリーの)出来が良かったとはあまり言いたくないのが正直なところです。


 雑多に書きましたね。
 後で見返したら、色々とダメな点が多い論評かもしれません。
 でも、これらは群像劇を連載中である自分への戒めと覚書です。
 よそから見ている人間は、あれこれいろんなことが言えるものです。
 実際そこには私たちの知り得ない様々な事情があるはずです。
 創作の現場は、自由なようでいて不自由なことばかりです。
 まして「史実」という強烈な制約がかかっているウマ娘というコンテンツであればなおさら。
 もしかしたら、競走馬のキャリアやローテーション選択にあれこれ注文を付けたくなるファン心理と似ているのかもしれません。
(素人は黙っとれ――)
 なんて声が聞こえてきそうです。
 でも、実際私たちが見ている競走馬の姿も、実像とはかけ離れているのでしょう。それは他ならぬ馬主の北島三郎さんも監修したという今作アニメのキタサンの描写で感じ取ることができました。
 私たちが見ていた競走馬のキタサンブラックと、北島さんたちが見ていたキタサンブラックは、多分大きく違うのです。
 私たちが見ていたキタサンブラックは、虚像だったのでしょう。
 各々の夢や希望を勝手に乗せて、フィルターに通した姿だったのでしょう。
 けれども同時に、それらも含めて名馬の肖像は成り立っているとも思うのです。関係者だけが知る実際の姿の他に、我々が記憶している虚像とが重なり合って、一頭の名馬の姿は語り継がれていくものです。
 そして、それは小説やアニメなどの「物語」もまた同様です。
 製作者の意図とはまた違った虚像が、視聴者たちの中に生まれ、それらが重なり合い「あの作品は~」と語られていく。
 私も素人ですが、書き手としての顔も持っています。
 きっとそれらの作品も、今日の私のような受け取り手によって、様々な虚像でもって受け止められているのだろうな、と思うわけです。
 頑張ろうと思います。

 劇場版、発表されましたね。
 ポッケさんが主人公なら、ポッケさんを大事にお願いします!
 いま願うことはそれだけです。
 楽しみにしています。

P.S.
オールハイユーさん好きすぎるんですけど
このまま黄金俳優になっていただけないでしょうか……?
あのビジュアルヤバすぎるんですけど。(小声)

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