あいさつのかわりに
女性を縛り始めて10年を超えた。
付き合っていた女性が、私に性的な逸脱をいろいろと教えてくれた。その一つが緊縛だった。
身体に危険が及ばない縛り方のポイントから始まり、受け手の身体が美しく映えかつ性的な魅力を増す縄のかけ方、拘束感を求める受け手を満たす縛り、縄の作り方とメンテナンス…。4年ほどの間、逢えば毎度縛り、終わればお茶かご飯をしながら反省会、というルーティーンを過ごした。
思えば、縛り手としてはかなり幸せなすべり出しだったと思う。それ以降、縄好きの女性たちとの縁ができた。SNSのアカウントには、緊縛を求めるメッセージが時々来る。縛られたい理由はそれぞれさまざまだけれど、性的な欲求が通奏低音的に鳴っている人が多いように思う。アート緊縛のオーダーもなくはないが、少数派だ。
写真は、緊縛よりずっと長い。
アンリ・カルティエ・ブレッソンに「決定的瞬間」という言葉がある。カメラを通してみた情景を、美的にも動的にも完璧な瞬間をとらえて切り取ることだ。スナップの名手は同名の作品集を残している。いつ見ても、「伝わり方」の豊かさに心が躍る名作だ。
その中にある完璧な一瞬が欲しくて、写真的な反射神経を磨く撮影を続けてきた。カメラ任せにせず、感度・露出・絞り・シャッター速度は自分で決める。イメージに描いた絵と、フィルムに焼き付けられる映像が同じになるように、技術の肉体化にこだわった。バカみたいだが、おかげで眼に露出計が入った。
写真を通して緊縛を考えると、根が一緒だと感じる。
縄を通して目の前の女性を眺め、どう仕上げるか。
レンズを通して、被写体をどう仕上げるか。
「美しく」「かわいく」「辱める」「汚す」…方向性は、縛り手あるいは撮り手に委ねられている。
表現の行為として、それほど習熟がいらない(というと誤解がありそうだが、絵画やクラシック音楽などと比べれば楽なものだ)うえに、自由に自分の世界、あるいは欲望、あるいは願望…を形にできる。
だからとても緊縛撮影は楽しい。
受け手の方と私の感情がかみ合っている決定的な瞬間を追いかけていきたい。
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