「幸福」になってから「成功」を目指す。
今思えば、10代あたりから、高校受験あたりから、「幸福」というものを「ドーパミンからくる興奮」だと思っておりました。
もちろん、ドーパミン由来の幸福も幸福と言えば幸福です。
ただし、ドーパミン由来の幸福は「相対的」に幸福になっているだけです。
例えば、僕は高校受験で「一人だけ」一番偏差値の高い高校に合格しました。あの時の興奮と喜びったらないです。
この経験から「幸福=成功・興奮・勝利・最上」だと考えるようになりました。
小学生から野球をやっており、勝つことの喜びをたくさん知ったことで、「勝利、結果」というものが幸福だと思い込むようになりました。
僕の中で「成功=幸福」となってました。
恋愛でも「容姿」ばかりに目がいってしまう
恋愛でもその傾向が出てしまいます。自分を好いてくれる、一緒にいて純粋に楽しいという感情がわからなくなっていました。
そこで、綺麗な人、かわいい人と一緒にいる自分を好きになるために、人と付き合うようになりました。
つまり美女と付き合えれば恋愛はうまくいったことになるし、
僕の思考の中に「相手の女性」という存在はほぼいなくて、ただの「攻略の対象」にすぎなかったのです。
攻略できないゲームほど面白くて、執着する。
執着真っ最中の人間というものは、それを「純粋な愛」「不屈の精神」だと思い込もうとします。
なぜなら、そのほうが自分にとって都合が良いから。自分を正当化できるし、自分自身深く傷つかないからです。
「本当は独りになるのが不安」「私は愛されるに値する人間じゃない」「自分に才能なんてない」というような絶望的な気持ちを自分に対して巧妙に隠したい時、人は視野狭窄に陥り、美しくパッケージ化しようとします。
結局彼女ができている人は、特別なテクニックを使っているわけではなく、普段から人との繋がりを大事にして、ご機嫌に生きている。
だから病むこともない。特段すごい上昇志向もないけれども、とてもご機嫌に生きている。
なぜなら上昇しなくても幸せだから。
すでに幸せな人が好きなことを磨いていった結果、なぜか成功も得てしまうという。
高校生くらいからずっと臨戦態勢で生きてきた僕は、どうも幸福と不幸が交互に目まぐるしくやってくる。それはドーパミン刺激が幸福だと思っているからだ。
一旦幸せになる
「幸せ」と「成功」の両方を手に入れたいなら、「幸せ」の土台の上に「成功」を作ることです。
「成功」することで「幸せ」になろうとするから、
言い換えるなら、
「お金持ち」になることで「幸せ」になろうとするから、
「結婚」することで「幸せ」になろうとするから、
「出世」することで「幸せ」になろうとするから、
どんどん(長期的にみた時に)不幸な道を歩んでしまうのです。
この10年で痛いほどそれを味わってしまいました。
幸福になるために
この書籍にも書かれています。
3つの幸福ホルモンがあり、「セロトニン」「オキシトシン」「ドーパミン」です。
ドーパミンの幸福もありますが、おまけみたいなもんです。
人生を幸福でご機嫌に生きるには、「セロトニン」の幸福が土台になります。
セロトニンを放出できる生き方をすることで、人生の幸福の土台を作るのです。
セロトニンを放出する生き方を構築する
セロトニン減少の原因
朝散歩毎日やります。
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