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水先人の移乗事故

2023年5月5日、長崎港で水先人の移乗事故(落水死亡)が発生し、広く報道されました。業務中の死亡事故であり、深く哀悼の意を捧げます。

水先人は、PILOT(パイロット)と呼称されます。パイロットと言えば、航空機操縦士を思い浮かべる方が圧倒的に多いと思いますが、厳密には、AIR PILOT(エアパイロット)のように(エアラインパイロット、ファイターパイロットなどなど)呼称して、水先人と区別されます。余談ですが、航空機の世界は艦船の世界をモデルとして近年発祥しましたので、類似しているわけです。

 水先人の移乗事故は少なくありません。挟まれ又は落水或いは艇への落下ということになります。多くの場合、無傷や軽傷ではすみません。死亡や引退に直結する割合は高いといってよいと思います。
 水先人が嚮導する艦船の世界は、圧倒的に貨物船の世界です。世界での移乗事故は毎年多く発生していますし、日本でも事情は変わりません。
 原因は、本船側のハードの問題と水先人自身の問題、その他です。
 本船のハード問題は単純です。国際的に規定されている設備要求に不足、設置状態不良、整備状態不良、といった事項です。
 水先人自身の問題も単純です。肉体的衰え、タイミングの悪い発病、といった事項です。
 その他は少し厄介です。風の急変や局地的な風浪、本船や水先艇の突発的な動きの合わなさ、といった事項になります。
 いつもは報道も大してされないのですが、今回はクルーズ客船の入港嚮導ということで、目撃者も多かったと思われますので、ニュースバリューがあると思われたのでしょう。

 水先制度は沿岸国の海上交通安全、海域の安全と効率化、港湾の安全と効率化、といった目的で国際的にも広く実施されており、港を持つ国であれば、水先制度があって当たり前、ないことはあり得ないというものです。
 原則的には貿易船全て、外国船全て、小型船を除く内航船全てが対象となりますが、開港不開港の別、海域や港湾の状況、水先人数や効率化を考慮して、水先対象船が定められています。

 水先人は対象船の船橋で船長への水域案内(嚮導)をしますので、水域の入口にある水先人乗下船地点(パイロットステーション)で、入港船に水先艇から移乗し、出港船から水先艇に移乗する必要があります。
 荒天下でも、本船の出入港が可能なレベルである限り、移乗作業は実施されます。大変危険な作業です。

 日本では、水先艇(専用の小型艇の水先区もありますし、タグボートを利用する水先区もあります)を用いた移乗をしていますが、外国はどうでしょうか。
 コスト的にも便宜性からも、やはり水先艇を使用することが多いです。中には、気象海象条件で水先艇が変わる場所もあります。例えばベルギー・オランダ沖にあるSTEENBANK PILOT STATIONは、厳しい冬季北海で安全性を高めるために大型双胴船を使用します。冬季以外は母船式の小型艇です。さらに、割増料金となりますが、ヘリコプターも使用されます。
 ヘリコプターでの水先人乗下船は広く行われています。南アフリカ、オーストラリアがヘリコプター乗下船のメッカと言えるかもしれません。外航船の多くは甲板上にヘリポートを備えています。ヘリコプターが着船できるヘリパッド、着船はできないが吊上げ下ろしができるウインチパッドのいずれかもしくは両方ということです。備えていない船でも問題はありません。ヘリがホバリングして、ワイヤーでの吊り上げ下げによって水先人の乗下船は行われます。水先人用ヘリコプターの運用については、きちんと国際的な統一マニュアルがありますし、ヘリポートのある船は搭載義務のある図書として所持し、ヘリコプター離着船操練も実施しています。

 日本でも過去に水先人用ヘリコプターの導入検討がされたことがあります。航空法の壁とコスト(負担)の壁が大きかったようですが、水先制度改革が継続されている中、導入に向けた検討を再開しても良いように思います。
 航空法の壁を破ったドクターヘリの実現と普及、ドローンの急速な発達、空飛ぶクルマなどといった空の活用が活発に議論されている現在、実現可能性は以前よりは大きいように感じます。
 メリットは、
・水先人の効率運用(移動時間の減少、回転率を上げて生産性向上、人材不足の対策として有効)
・水先人の疲労負担軽減で安全性向上(業務から業務への移動疲労を軽減)
・移乗の安全性向上と事故減少
・荒天時の乗下船可能性拡大
 デメリットは、
・コスト増大
・ヘリコプター操縦士不足への対策
・離着船技術を持ったヘリコプター操縦士の確保
・水先艇との住み分けの明確化
・基地の整備が必要
 是非専門家による議論を期待します。

 他には、リモート嚮導があげられます。水先人が水先艇で本船に並航しながら、無線で本船船長を嚮導する方法です。現状では、どうしても移乗が困難な場合などに本船船長の同意を得て実施されているようですので、試験的なものと言えるのかもしれませんが、将来的には、増加する可能性を否定できません。

 過去には、国際水先人協会や国際海事機関(IMO)の肝いりで、ウインチで巻上げ降ろしがなされるゴンドラタイプの水先人昇降機が試行されたりもしたのですが、事故やトラブルが多く、結局は縄梯子(パイロットラダー)や水先人用舷梯(パイロットアシストラダー)を自分で登ってもらう形に戻ったという経緯があります。
 ちなみに、水先人乗船口が水面上9m以上ある場合は、原則、パイロットアシストラダーとパイロットラダーを組み合わせる「コンビネーションラダー」となります。9m以下なら、原則、パイロットラダーのみです。実際には当地のルールや指示に従います。
 ラダーの昇り降り時に、安全ベルトやロリップ等を使うことについては、本船と艇の上下運動や風浪の急変等、不定要素が多すぎて逆に安全を阻害する(瞬間的な反射対応についてこれない)可能性があり、導入は難しいと思われます。

 まずは今回の事故原因を究明し、その再発防止策が大切です。そして、さらなる安全性の向上策としていろいろな議論が高まることを期待します。


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