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EVER GIVEN号海難

3月末まで海に出っぱなしていました。
 その間にスエズ運河で大きな海難が起こり、海や船に関心のない日本ですら珍しく大きめのニュースになりました。世界では少なくとも日本国内よりは大きいニュースだったようです。
 もうすでに、物理的な海難処理は終了しており、スエズ運河の滞留も解消されています。
 今回のような事案発生に際して、オンタイムで情報収集や発信ができないタイムラグに直面すると、洋上勤務と研究者の両立という私自身の立ち位置に限界を感じます。

遅ればせながら、少しだけコメントしようかと思います。
・海難原因推測
・責任所在
・共同海損
・経済への影響
・再発防止対策
というあたりが陸の人々の興味の対象でしょうか。

海難原因推測

 これについては実は簡単です。現在のほとんどの商船にはVDR(Voyage Data Recorder 航海情報記録装置)が装備されています。これは船の位置や進路・船首方位などを含む航海データ、操舵履歴、ARPA(自動衝突予防援助装置)や物標トラッキングを含むレーダー情報、推進機関動作履歴、そして船橋内の音声記録に至るまで、あらゆる航海情報が自動記録されている装置です。本船であれば直近4日間のデータが残されているはずです。
 航空機事故の際によく聞く「フライトレコーダ」と「ボイスレコーダ」を統合した船版と考えていただければよろしいです。
 エジプト当局のみならず、船主側(保険会社)からもVDRデータの保管を命じられているはずですので、少なくともスエズ港での運河水先人(カナルパイロット)乗船前から海難発生後相当時間までのVDRデータが残っているはずです。これを解析すれば海難原因は誰の目にも疑いなく特定できるはずです。VDRデータはエジプトの捜査当局と船主(保険会社や船舶管理会社)の手にあるはず(実質船主である正栄汽船は、4月3日付事故第3報にて、VDRデータをスエズ運河庁調査員に提出と発表)ですから、いずれ解析結果に基づいた海難原因が公表されるだろうと思います。
 VDRは非常に優れた記録装置で、船橋内の会話音声も明瞭に残っています。船長と水先人の会話も、航海士や操舵手の発言もです。船位をはじめとする航海データや操船動作記録なども同様に秒単位で蓄積されていますので、現代の海難調査は当事者の供述に虚偽があればVDRでバレますので、正直な供述であるほうが良い心証評価を得ます。
 VDRデータが破壊或いは破損、故障で記録なしといった場合はどうなるか。本船はECDIS(Electronic Charts Display and Indication System 電子海図情報表示装置)搭載義務船ですから、ECDISに航海データ、操舵履歴、推進機関動作履歴などが自動記録されています。レーダ情報についてはECDISにリンクさせていたか否かによりますが、ECDISである程度精度ある航海再現が可能です。音声データはECDISにはありませんが。
 ですから、一人の死傷者もいない今回の海難について、砂嵐(他の船が海難を起こしていないのが不思議です)なのか、本船の操舵装置の故障なのか、操船号令や操船指揮のミスなのか、運河そのものに原因(浚渫不十分による水深異状など)があったのか、船長と水先人間にトラブルがあったのか否か、などといった原因推測を何の証拠もなく得意げに論じる、知ったかぶり、には大した意味はありません。そのうち調査結果が出ますので。

責任所在

 海難の現場責任は海難原因の確定と一体です。船長、水先人、エジプト当局(運河管制・管理)というあたりのどれかに所在するでしょう。
 賠償責任はどうでしょうか。外航商船は運航関係者が多国籍にわたることが通常です。本船も例にもれません。
・船籍国 パナマ
・登録船主国 パナマ(ペーパーカンパニー)
・実質船主国 日本
・船舶管理会社国籍 ドイツ
・ISM管理会社国籍 ギリシャ
・船員配乗会社国籍 日本
・船員母国 インド
・定期用船者国籍 台湾
・船級協会国籍 アメリカ
・HM保険会社国籍 日本
・P&I保険会社国籍 イギリス
といった感じのようです。

 今回、定期用船者である台湾のEVERGREENは、責任所在は船主にあると発表しました。日本国内ではそれに対して疑問の声が多いようですが、海事の世界では船主に責任が所在することは当たり前です。モーリシャスでのWAKASHIO号座礁海難(船主の長鋪汽船ではなく定期用船者の商船三井が前面に出て事故対応を行った)と比較して定期用船者責任説を主張するコメントが多く見受けられますが、WAKASHIO号海難でも責任所在や賠償責任は船主にあることは疑いなく、商船三井は事故船のファンネルマーク(煙突塗色)や自社名が広く出たことさらに油濁事故という事故の性質や海保職員などを派遣した国交省からの指示などを踏まえ、社会的責任という観点で対応を天秤にかけた結果、事故対応には自社が前面に出る選択をしたに過ぎません。事故の責任所在や賠償責任を商船三井が負うということでは全くないのです。今回はEVERGREENがそのような対応をしないというだけであって、通常のことです。商船三井の対応が異例中の異例だったといって良いのです。
 EVERGREENは本船の事故発生から商業運航再開までをオフハイヤーとして取扱うだけです。オフハイヤーは不稼働ということであり、オフハイヤー期間とは用船料を支払わない期間ということです。用船契約にはオフハイヤー条項がありそれに基づいて処理されるのみです。今回のような(安全水路とされる)スエズ運河内での座礁海難は、用船者に責任を問うことはあり得ず、船主責任で疑いないところです。
 HM(船体機関)保険会社は3社契約していたようですが、担当範囲は本船の損傷とオフハイヤー損失の補填までです。サルベージ費用をどうするかはHM保険会社とP&I保険会社とで議論して線引きするのではないかと思います。
 P&I(船主責任)保険会社はHM保険会社が面倒を見ない範囲をカバーします。運河掘削個所の埋め戻しや運河への損害そのもの、エジプト当局からの損害請求などは全てP&I保険会社が対応するのではないかと思います。おそらく最終解決までには長くかかります。数年或いはもしかすれば10年ほどかかるかもしれません。これは相手(しかも政府)のいる話ですから、急転直下、短期解決の可能性もありますが。P&I保険会社がイギリスである以上、エジプト政府との協議はスムーズな気もしますが、どうでしょうか。
 滞留船の運航損害を負う話は海事の歴史において、まあないことといって良いでしょう。エジプトの運河収入への損害も実際には滞留船は通航していることから、通航予約キャンセル船についてのみ対象となるかと思いますが、その件数や金額は大きなものではないと察しがつきます。なぜなら、運河閉塞は1週間でした。海事専門家であれば大潮時に離礁させることは常識であって、十分に予測がついていた話だからです。事故当時、情報収集が極めて制限的な環境の洋上にいた私でさえ、離礁と運河通行再開まで「長くはかからない」「一週間程度」と研究者間でのLINE発信をしています。

共同海損

 実質船主は4月はじめにGA(General Average 共同海損)を宣言しました。これも当然のことです。共同海損とは、海運特有の制度と言われ、洋上での危険は船体機関貨物一体のものという考えに基づいて、海難に際して生存するために発生した損害を、保全された価値に比例して関係者で広く負担する制度です。
 簡単に言えば、海難に遭遇し、貨物を含む船ごと救助されて、救助業者の費用や海難で失った貨物や船の被害修理費用が発生したとします。それらが総額で10億円だったとしましょう。救助された結果、保全された残存価値を所有者ごとに評価します。船主は残存した船体機関45億円の所有者。用船者は残存燃料5億円の所有者。荷主は残存貨物50億円の所有者。この場合、船主は4.5億円、用船者は0.5億円、荷主は5億円を負担することになります。
 えらく単純にしましたが、これが共同海損の原理です。GAの宣言は船主の特権です。船主にとっては海難処理費用や賠償の負担を劇的に減らすことができますが、反対に、荷主は不満を持ちます。輸送を頼んだだけなのに、多くの場合自分には責任のない海難処理費用の分担を強いられるわけですから。ですから、共同海損の処理にも時間がかかります。荷主が一者のみの場合でも数年かかるのが普通です。今回、2万TEUのメガコンテナ船です。荷主がいったい何人いるのかわかりません。コンテナ1個だけの荷主もいるわけですし、数百個の荷主もいるでしょう。その所在地も世界中に散らばっています。コンテナ一個ずつの救助成功時の残存貨物価値を算定していく必要もあります。

経済への影響

 スエズ運河は欧州にとっては生命線の一つです。今回はそれが再確認されたと言えます。離礁が失敗していれば、欧州経済へのマイナス要因として本格的な作用を及ぼした可能性はあります。が、前述の通り、海事専門家(経済や政策ではなく、海技士などの船舶科学分野の専門家)から見れば、離礁時期は十分に予測がつきましたので、実際の悪影響は微細なものであったろうと思います。スエズ運河においては砂嵐や船舶交通の輻輳による船混み、パナマ運河でも運河修理や船混み、シンガポール海峡でもインドネシア焼き畑による煙霧や船混み、世界最大の石炭積出港ニューキャッスル(オーストラリア)ですら船混みでの長期停留などなど、海運には突発的な交通停留はつきものですから、瞬間的なマーケットの変動はありますが、停留解消とともにあっという間にマーケットは平常化します。ですから、今回も速やかに忘れさられるでしょう。そんな海難事故ありましたっけ・・・と。特に日本では。

再発防止対策

 再発防止対策としていくつか考えられます。

・スエズ運河の通航許容船型の変更
 運河航行帯の最狭幅の長さを超える全長の船を通航禁止とする。或いはそのサイズの船の通航料を大幅値上げする。

・スエズ運河の再拡幅
 スエズ運河は非常に狭い運河です。私はパナマックス船型で通りましたが、いざというときの余裕水域が少ないので再拡幅は必要になるだろうと思っています。第二運河を作る選択肢もありますが、それよりは拡幅工事のほうがはるかに容易ですし現実的だろうと思います。エジプトにとっても悪い話ではないと思いますが、今回のような閉塞海難が起きない限りは現状で困っていないのであれば、すなわち通航容量に不足していないということですから、再拡幅を実施する必要は感じないのでしょう。私は今回事故のあったスエズ港側ではなく、地中海側の運河口であるポートサイド港の水路の狭さと逃げ場所のなさを何とかしてほしいです。強風時は非常に危険です。これは実体験によるものです。

・気象基準の厳格化
 気象予測精度の向上と、気象予測に基づいた通航基準の厳格化。

・タグボートの有効活用
 船のサイズや風圧側面積等で線引きし、運河通航中の船首尾タグボート(ライン取り)配置の義務化。

・運河水先人のモラル向上
 スエズ運河は別名マルボロカナル。現在の海事社会ではマルボロが高額なのでL&Mに変わっていますが、接待用のタバコを大量に必要とする場所として有名です。以前よりは相当ましになってきていますし、要求のない水先人もいます。歴史的な経緯もあり、日本人船長主犯説もあるので、何ともつらいところですが。。。ムスリムの考え方もあって難しい面はありますが、マルボロやL&Mなしに全ての水先人がモラルをもって誠実な仕事をする、そういう運河になってほしいと思います。今回の海難にこれが関連しているのか否かは全く分かりませんが、より安全な運河とするためにはモラル面でもリフレッシュしてもらいたいと願います。

 つらつらと書いてきましたが、側壁の砂を掘って離礁、船体損傷軽微という砂漠運河特有の顛末には改めて驚きます。世界のほとんどの水路では側壁に座礁した場合、船体損傷はそれなりの被害を覚悟せねばなりませんし、船底破孔を生じるのは当たり前というべきです。しかし本件では今のところ船体に破孔や水密破綻のニュースは出てきていません。そういった意味においては幸運だったと言えます。
 海技力の低下は日本人船員はもちろんのこと、全ての国籍の船員に対して世界中で指摘されています。海難の7割から8割は船員に起因するともいわれています。少なくとも海難の半数程度は船員が直接の原因とされています。私個人の意見ですが、いつ実現するかはともかくとして、船舶は無人化に向かって進むべきだと思います。今回の海難が人為的な原因というのではなく、海難や人材不足や労働問題や科学技術の進化などの大きな流れの中でそう思うのです。

実務海技士が海を取り巻く社会科学分野の研究を行う先駆けとなれるよう励みます。