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空気が歪んだ苦しい現場の思い出



それは、一つの小さなプレゼンから始まった。


その当時は、メールのような便利なものはまだ無かった。
電話やFAXが連絡手段だった。

その当時、私は舞台照明装置の輸入会社の大阪営業所で技術職をしていた。が、プロジェクトベースの見積もりも作成し、必要があればクライアントとも打ち合わせする。大手のように営業部、技術部、〇〇部という部署は無く。最初の打ち合わせから図面やプランを出し、見積もりをあげ、注文後は、その工事の工程を調整して機材を調達し、引き渡しまで面倒を見る。まぁ、早い話なんでも屋。

なんでもやらされているというよりは、なんでもできるのが仕事として楽しかったし、やりがいを感じていた。


プレゼン

会議室には、10名の人間が口の字型に並んでいた。
今のようにプロジェクターや大型のモニターがある会議室じゃなかったので
各自私の作成したプレゼンボードを配布し、それを見る形でプレゼンが進められた。

こちら側は、設計事務所兼内装工事会社アキタの畝川とその上司、台電社の山田、そして私。先方担当者は・・・あれ?
たくさんいらっしゃる。10人ぐらいはいただろうか。女性が圧倒的に多い。ただちょっと変だ。なぜだろう。

アキタの畝川が会議を仕切り、私が照明のプレゼンをした、実際に運営する内容が正確に把握ができていなかったので、あえてスローペースで進め、相手の反応を伺いながら、慎重に進める。

「これでは、ショーができないわ。」
これは、あきらかに、元男性だった女性の声だ。

7日前、アキタと台電社のオリエンテーションで、カラオケで歌う時の演出用の照明程度としか聞いていなかったので、鋭い目線をアキタの畝川と台電社の山田に投げた。
(どうにかこの状況を調整してよ・・・、目で訴えたが、分かっているのに彼らは無視を決め込んでいた。)

「すいません、ショーをするなんていうことを全く聞いていなかったもので・・・ここから少し照明機材の説明をさせていただいて、そのあと、非常に申し訳ないのですが、どのようなショーをなさるのか教えて・・・」

「すいません、後日修正した物を提出させてください。」会話を遮って台電社の山田が話をした。

「すまんけど、渡部さん、このあとは私たちで話するので一旦ここで会社に戻ってくれるかな」

「はい、わかりました」

私は会議室を離れた、「ああぁ、また余計なことを言うてしまった。」このプロジェクトは流れたなぁ。台電社がどこか別の下請けを使って再プレゼンするだろうなと思っていた。

まぁいいか、美味しいラーメンでも食べて帰ろっと。

携帯が鳴った。

台電社の山田さんからだ、さっきの空気を読まない発言を指摘するのだろう。
こういう時、私は不用意に電話に出ると感情が不安定になる、感情に流されて発言してしまうので「言わなきゃよかった」ことをつい言ってしまうのだ。しばらく気持ちを落ち着かせる。よし!クレーム受けるココロの構えは整った。
「はい、渡部です」
台電社の山田の声は少し興奮気味だった。
「今すぐもどれるかなぁ〜」
先方担当者は、会議で会話の続きをしたかったのに、なぜ返してしまったのか?すぐに担当者をもどせ!と迫ったそうだ。

「先ほどは大変失礼しました。どういったショーを行うのか教えていただければ、後日それに合った舞台照明のご提案をさせていただきます。」

それは、俗に言う「オカマのショーパブ」だった。
いや、彼女ら?彼ら?? 面倒なので彼女らと言うことにする。
彼女らにすれば、「オカマ」ではなく「ニューハーフ」のショーパブらしい。正直「オカマ」と「ニューハーフ」の違いがよくわからなかったがここは、彼女らの提案を受け入れよう。
一通りの内容を確認。プランらしいものを書けそうな気がしてきた。

1週間後、同じメンバー、同じ会議室、違ったのはプレゼンテーションの内容だけだ。「先日、お話しさせていただいた内容に基づいて、舞台照明設備の提案をさせていただきます。」プランの一通りの説明が終了した。納得していただいた様子だった。

その後、会議の途中経過を聞いていたはずなのに、アキタの畝川が照明器具を減らす提案をする。少し理不尽な申し出だと思えたが、予算に合わせないとプロジェクトが止まってしまう。演出的にはちょっと寂しくなるが予算が無いのであれば仕方ない。渋々機材を削る。

ショーをするためには、これが必要だからこの部分は譲れないと断固とした対応をするべきだった。

あるいは、オーナーサイドの確認をとってあるのかを確認するべきだった。

この判断の誤りは、後々大きな失敗へとつながることになるのだが、その時は知る由もなかった。

この後の流れはスムーズだった。納期がギリギリだったので台電社からはすぐ注文書がきた。機材を手配し、工事も順調に進んだ。

新地

残すところあと7日ほどで引き渡し日、オーナーの誘いで北新地に飲みに行くことになる。
オーナーの名前は下海健一。外食チェーンも経営している。私と同じ歳だったが、貫禄が違う。一目見るとただ者ではない雰囲気を醸し出している。カタギの人間には見えない。後で知ったのだが元暴走族。車のことはよくわからないが、普通のベンツより明らかに高そうなベンツを所有している。ただ、品がない。

新地のニューハーフのショーパブの店に行くのは生涯初であった。半裸に近い衣装でダンスを繰り広げていたが、正直、女性としての性的な魅力は全く感じなかった。元男性だけあって、体幹の力が必要なアクロバティックな動きも見せる。小さいステージの割には本格的なコンサートツアーなどで使うムービングライトが数多く取り付けられていた。

この日、3店舗を(視察?)した。クライアント側から6人、会社からは私と川前君が参加した。アキタの畝川と台電社の山田は不参加。(お姉様方は不参加、この業界も狭い、すぐに噂が広がる。)

この日の出費はダンサーたちに払ったお捻りは別で総額120万円。予算を削る感覚とこの金の使い方の感覚に激しく違和感を覚えた。
飲みに行く人数を調整したら予算がアップできたのになぁ〜と酔の冷めた頭で考えていた。

「わしらの店も、さっきの店みたいになるように頼みますよ、先生。」
下海健一の別れ際のこの一言は私の心にクサビを刺した。
ち、違いすぎる!機材の質、量、演出の厚み、全てにおいてやろうとしている店の設備は劣っていた。
ただ、下海の威圧感に飲まれ、その場で切り返すこともできず、ただ唖然とするしかなかった。
予算を削られて都度クライアント側と調整をしてきたはずなのだが。自分の詰めの甘さに震えが走った。 

翌朝、店舗の店長候補の武田さんに電話した。昨日、下海から言われたことを報告した。
・・・なので、このまま進めれば大変なことになる、もうここまで進んでしまっているけれど、今のうちに機材を増やす提案をするべきだと言った。
しかし、武田の反応はクールだった。
「僕は今の照明で対抗できると思う」と言い切られてしまう。
ここで、絶対に無理です!と言い放つべきだった。
でも、出来なかった。

これで安全弁が塞がった。ここで他に策がないかもっと真剣に考えるべきだった。直接オーナーに直談判するべきだったのだ。悔やんでも仕方ない。

修羅場

爆発するとわかってる爆弾があったら、どんな手を使ってその危機を回避するだろうか?

陰鬱な気持ちとは裏腹に工事は問題なく進み、引き渡しの前日。
この日私の携帯の着信履歴は、オーナーの秘書から10件。
もう、照明の工事自体はほぼ終了していた。

これは只事ではない。あわてて現場に向かう。内装工事も終了していた。

扉をあけると、衝撃の光景が目に入った。
店舗は、幅4メートル、奥行き15メートルほど、奥の2メートルがステージになっている。
客席が両サイドにあり、真ん中1メートルほどが通路兼、ダンスエリアになっている。
ステージ上手に下海が大きな椅子に腰をかけ、タバコを吸っている。
そして周りの客席には、そこの社員50名ほどが整然と座っていた。
音はない、話し声もない。
ただ、ものすごく強い憤怒のエネルギーがその空間を支配していた。
軽い眩暈を覚えながら、私は、震える足でおずおずとステージに歩み寄り、オーナーと視線を合わすため、自然にひざをつく。

「渡部はん、これじゃショーができんとダンサーが言うてますねん。
どないしてくれます?」

答えに困り沈黙が流れた。
口の中が渇き、声が出ない。

「黙ってたらわからんやないか!どうすんねん!」

私は答えに困ったが、勇気を振り絞って先日新地に行った時、下海からの帰り側の約束を聞いたとき、次の日に武田に相談したことを打ち明けた。予算が圧迫されたことも説明した。

「武田ぁ!!! お前も聞いとったらちゃんと報告せんかい!」

「渡部はん、この機材全部いらんので持って帰ってくれるか。そのあと僕が新地の例のショーパブのオーナーの頭を下げて、その照明工事をやった業者を紹介してもらってそこにお願いする。」

「その間、営業できんようになるさかい、その間の損金もそっちに払ってもらうからな!今すぐ全部持って帰れ!」

私を目掛けてガラスの灰皿が飛んできた。50人もいて誰も止めに入ろうとする人はいない。

ガラスの灰皿は割れずに中にあったタバコの灰が破片が足元に散らばった。

今、目の前に包丁があったら自分の首に深く突き刺し、現実逃避したかもしれない。口から声がでない。

この場から消えたい。下海の顔が歪んで見える。

沈黙の時間が流れた・・・

「それか。ええか、渡部お前は、
今からほかの仕事するな。
3日間寝るな。
金の心配はするな。
それでうちの照明を新地の店に負けんようにしてくれ

「でけんかったら、全部持って帰れ!!」

私に選択の余地はなかった。

私は泣きそうな声で「はい、やらせていただきます」と答えた。

72時間

修羅場から離れたものの、私の精神状態は異常だった。
オーナー秘書からの矢のような電話。
「大至急、対策を立ててご連絡いただけますか?」
きっとこの秘書も下海から追い立てられているのだろう。

へたり込みたかった。体に力が入らない。
近くの喫茶店に入る。なにも考える気がしない。
出された水を飲むが、水の味がしない。
口の中をなにか冷たい液体が流れ入る感覚はかろうじてある。
胃が痛む。 高卒で入った会社で胃潰瘍になったときの痛みが蘇る。
多分、胃が出血している。感覚でわかる。
ホットミルクを頼み、冷めるまでしばらく放心状態になる。
そのとき私は自分の顔を見ていなかったが、きっと血の気が引いたひどいありさまだったに違いない。
こんなとき、相談できる人がいると心強いのだが…

ドアを乱暴に開けて喫茶店に下海が入ってきた。
「渡部ぇいるかぁ!」
「こんなとこでなに油売ってるねん!寝てる暇なんかないぞ!
早よ仕事せんか!!」
下海が私の髪の毛をつかむと力任せに引っ張る、そうすると髪の毛がバッサリ抜けた。
下海の右手は血だらけだ、いや血だけではない・・・なんだこれは? 「うぉぁあーーっ!」叫んでいた。

「お客さん、お客さん、大丈夫ですか?」 夢だった。
冷えたホットミルクが目の前にあった。
味のしない冷えたホットミルクを飲んで考えた。

近くの席で楽しそうに会話し、コロコロと笑う女子高生のグループがいる。 笑い声がうっとうしい。イライラする。
私は頭を掻きむしり、自分の手で自分の頭を殴った。
ゴンゴンと音がするほど殴った。落ち着かない。 周りの笑い声がやんだ。
女子高生は引いて出ていったのだ。
私は麻薬中毒者のように見えたのだろうか?

私は高校のころ親の会社が倒産し、夜逃げを体験している。
あまりに辛い悲しい出来事だったのか、私の記憶は抹消されている。
ということは、今私が現在体験しているこの状況はその時に比べ
「たいしたことじゃない」のかもしれないという感覚が湧いてきた。

考えろ!考えろ!考えろ!

たそがれている時間はなかった。
辛い体験を映画館でプレイバックして何度もなんどもみて苦しみを再び味わうだけの不毛な時間だ。
そして、こころの傷に塩を塗りつけるのだ。
急に頭に血液が流れ始めた。
機能していなかった臓器に新鮮な血が通い始めた。

残された時間は、3日間、72時間だ。
いや、70時間だ。現在、現場にある機材。調達可能な機材。
手伝ってくれる人。これらを頭の中で整理する。
電話をかけてジタバタしても時間の浪費だ。

機材は、買わずに借りよう。そういえば、現場の近くに取引先の舞台照明会社があるのを思い出す。
レンタル機材なら、今日出荷できる・・・
時計を見る。
午後3時15分。

東京本社に電話をかける。事情を簡潔に説明し、今日発送できる機材と使えそうな機材があれば、確認なんて必要ないから大阪に送ってくれるように頼む。
親身になって聞いてくれる東京本社の宮川さんと会話するうちに目頭が熱くなる。

続いて、舞台照明会社に電話する。そこはその喫茶店から歩いて行ける距離だったので、今から行くことだけ告げて喫茶店を出る。

使えそうな機材をチェックして、明日から1ヶ月ほど貸して欲しい旨を伝える。機材は、明日ピックアップしに行くことを伝える。

工事は私の旧友に頼む、他の仕事をキャンセルしてここにきてくれることになった。

頭の中ではすでにスケジュールが出来上がっていた。
DAY1 DAY2 照明仕込み工事、調整開始。
DAY3 調整と追加機材を設置。引き渡し。
うまくいかなかった時どうするか?
そんなことは一切考えなかった。

「出来ると信じる、そして進める、それしか生きる道はない」

70時間経過していた。
帰宅せず、現場に段ボールを引いてそこで時々仮眠を少し取る。なぜか辛い気持ちにはならなかった。機材を返品され、損金を払うには避けたかった。そう思う気持ちが勝っていた。

3日後

ステージの周りにオーナーの下海剣一と武田、そして数人のニューハーフたち。
こちら側は、私と新前、設計事務所の畝山と台電社の山田。
ちょっと説明をするべきかと思ったが、場がしらけるのでやめる。
「では、始めます」 照明のプレゼンを行なった。
3日前とは全く異なる照明機材がステージいっぱいに取り付けてあった。
プレゼンが終了した。
これでだめなら、煮るなり焼くなり好きにしたらいい。
腹は決まっていた。
「持って帰れ!」と言われたら、その時は持って帰る。
「金額が高い!」とか言われたら、3日前「金の心配をするなと言ったのは誰だ」とキレるだろう。

小さい拍手が聞こえた、オーナーの下海剣一が手を叩いている。
が、目は怖そうだ。
オーナーが拍手すると他のメンバーも合わせるように拍手をしている。

「よっしゃ、次はわしらの頑張る番や」
ようやってくれたとは言わなかったが、顔はにこやかだった。




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