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ぜんぶ、すてれば

沢山の文章を読んだからすごいとか、少ない文章は深みがないなどと、昔は長編を読んだ時に口には出さないが、心の中で沢山の文章を読んだ自分をほめていたのに過ぎない。思い込み(自分の常識)がいかに視野を狭めているか・・・・ほとんど人はその「事実」を客観的に理解することができない。

過去の経験から必死の思いで習得して知識は、ゆるぎのないものとして本人の日々の生活、仕事で役に立っていることは、それを知っていることで、「考える」ことなしに一番適切な(言い方が悪いが・・・無難な)判断ができていたのは、まぎれもない事実である。無難というのは、誰からも文句を言われない。理由は簡単。みんなやってるから・・・
あるいは、過去の例から・・・・
自分で判断することを良いとしないセオリーが日本の会社のセオリーとなっている会社も多いのではないかと思う。

でも、思い出してみて欲しい、判断しないといけない場面に直面した時。
自分なりのアイデアがこころの隅っこに疼くことがあったのではないだろうか?

我慢できずにそのアイデアを会議や上司、あるいはクライアントに提案すると結果は・・・・

大体の場合は「却下」である。
それが今の社会というと夢がない。

かくいう自分はどうだったか・・・・?
独立した時は、仕事欲しさに東奔西走し、自分の意思を殺してまで仕事を受注することの身を粉にして働いた。それが会社の売上高を伸ばす方法だとおもっていたからそういう行動を起こしたわけだが、果たしてそれは正かったのか?

そのころ、デザインの仕事をしていた。いいだろうと思って提出するとほとんど、修正、修正だらけでかえってくる。自分は間違っているのだろうか?明らかにこっちがいいとおもっていても、クライアントの意見は絶対であり、抵抗しようもんなら、、、人間扱いしてもらえない。(笑)仕方がないのでリクエストに合わせ調整するのが、やっぱり修正。いつ終わりか?果てしない修正エンドレスに悩まされる。
悪い病気にでもかかったような気分である。
友人曰く、毒ヘビにでも噛まれたと思って我慢するしかない。

ノミは、自分の背丈の数十倍もジャンプするという。ある人がノミをビンの中に閉じ込めた、ビンの高さははるかに低いのでノミはジャンプするたびに体をビンの蓋にぶつけることになる。そうなると、ジャンプしないノミになってしまうそうだ。

自分はこのノミのようなものかもしれない。自分の意見を言うことが怖くなり、デザインができなくなってしまった。(笑)

こういう時に、どのようにこの問題に立ち向かっておけばよかったのだろう?
これは、私の消えることのない疑問です。

著者は、勇敢であるし、メンタルも強い、カッコイイ。
野球で監督のサインを無視してバットを振って、ビンタをもらっても自分の意見を貫く強さがあります。

ヘタレな私はこの状況下で鬱になりました。・・・・

本を読んでなるほどなぁ〜と思う一方、私とは同じ生物学上「人」ではあるが、頭脳に走っているオペレーションプログラム(行動プログラム)が全く異なってると思うのでした。



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