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いぬやしき:孤独な二人の見た世界、目指した世界(途中からネタバレあり)

邦画もついにここまでのCG表現ができるようになった!最高じゃないか。
それが見終わった直後の感想である。
CG満載のSFアクションがついに日本でも作られるようになったんだ。
そして同時にこの映画の根底にある普遍的なテーマにも気づかされたのだ。


わたしはいぬやしきという作品をつい最近まで全く知らなかった。
GANTZなどでおなじみの奥浩哉氏によるSF漫画が原作となってアニメ化、そして今回実写映画化されたとのこと。
映画館のポスターでとんねるずののりさんが空を飛んでいるのを見たのが、わたしといぬやしきの最初の出会いだった。

そんな具合なのではっきりいってこの映画に関しては興味が薄かった。
しかし監督がアイアムアヒーローの佐藤信介氏と知り俄然興味を持ったのだ。
2016年に公開されたアイアムアヒーロー。
こちらも漫画原作映画。
日本の商業作品としてはかなり振り切った残酷描写でゾンビパンデミックの世界を描き切った、あの佐藤監督の作品と言われたら気になるのも当然である。

しかし前知識が全くなかったので、とりあえずAmazonプライムでいぬやしきのアニメ版第1話を見てみた。
感想は

つらい…。

私は今44歳。
劇中の犬屋敷 壱郎は58歳。
私は既婚者だが子供はいないので家族環境も年齢も違うのだが、とてつもなくつらくなった。
見るに耐えないと言ってもいい。
特別に残酷な描写が酷いとかではない。
誇張されているとは言え、社会、家庭から孤立している犬屋敷の日々がつらすぎるのだ。

まず見た目は58歳とは思えぬほどに老け込んでいる。
会社では年下の上司に使えないやつ扱いをされるいわゆる窓際ポジション。
家庭でも高校生の娘からは汚いもの扱いされ、中学生の息子とも会話がない。
妻とも寝室は別である。
やっとの想いで買ったマイホーム(一戸建て)も子供達には『しょぼい』だの『奥まってて日が入らないし団地と変わらない』などと散々である。
そしてそういったことを隠さず父親に発言できてしまう家庭環境。
最悪という言葉しかない。
会社にも家にも居場所がない定年間際の男性の人生がこれでもかと悲劇的に描かれていて見るに忍びなかった。
とどめに犬屋敷は末期ガンということが判明するわけだが、はっきりいってあんな人生だったら死んでいるのも同然ではないのか?と。
彼は何のために生きてきたのか。生きていくのか。

そんなわけで実写映画を見るのをちょっとやめようかとすら思ったのだが、やはりアイアムアヒーローの時の感動と佐藤監督ならではの味付けが忘れられなかった私は劇場へと足を運んだのだ。
アクション部分の評判が良かったので、それを観るだけでもいいやという気分で。

私は原作を読んでいないし、アニメ版も第一話を見た程度なので劇場版がオリジナルとどの程度違った演出をされているのかはわからないが、この映画は大当たりだった。
まず予告編などで公開されているCGバリバリのアクションだがはっきりいって邦画では過去最高レベルではないか?
ちょっと前のハリウッド映画に匹敵するくらいの仕上がりだったと思う。
あくまで私のイメージだがマーベルのアイアンマン1くらいのレベルには充分に達していたと思うし、ワクワク感はかなりのものだった。
少なくとも『やっぱり邦画はCGがなぁ…。』みたいな感想を持つことはなかった。


※ここから映画の内容、結末部分にも触れることになります。未見の方はご注意ください。

実は私が『この映画は大当たりだった。』と言ったのは決してアクションシーンが良かったからだけではない。
どちらかというとそれ以外の部分、主にドラマというか2人の主人公の描きかたが私にはヒットしたのだ。
原作はどうかしらないが、この映画の主人公は佐藤健演じる獅子神 皓(ししがみ ひろ)である。
いや、正確に言うと私にはそう思えたという話だ。
序盤こそ木梨憲武が演じる犬屋敷 壱郎(いぬやしき いちろう)の視点で始まるが、話が進むにつれて獅子神こそが佐藤監督の描きたかった人物なのではないかとさえ思えてくる。

犬屋敷は不幸だ。
そして、その不幸は昭和の時代からあったいわゆるテンプレ的な不幸だ。
会社にも家にも居場所がない。
歳だけ重ねていくが希望も夢もない。
ただ、平穏に生きていきたいだけなのにガンがそれすらも奪おうとする。

一方、獅子神は違って見える。
ルックスが良く、特別学校で浮いているというわけでもなく、むしろかわいい女の子に告白されてしまうくらい。
きっとそのままそこそこのレベルの大学に入りちゃんとした社会人になるだろう。
犬屋敷くらいの年にはそれなりの地位に出世もしているはずだ。
獅子神の両親は離婚しており母親と二人暮らし。
決して貧しいというほどでもないが裕福でもない。
だが、獅子神は母親と良好な関係を築いていて、離婚して家を出た元父親の家族(再婚して子供もいる)とも月に一度会っては家族のだんらんを楽しんでいる。
経済的にも父親のサポートを得られるので経済的にも決して不幸というほどではない。
もちろん両親の離婚は彼の心に傷を残したかもしれない。
でもスクリーンのこちらから見ている分には『普通』の家庭であり、彼自身は決して不幸には見えないのだ。

しかしそんな獅子神の人生が変わる。
偶然にも犬屋敷とともに宇宙船の衝突に巻き込まれ、機械の体に改造されてしまうのだ。
ここからの二人の生き方の違いは非常にわかりやすく対照的だ。
犬屋敷は機械の体が殺人すら可能な武器だらけであることに衝撃を受けるが、同時に治癒の力を持つことにも気づき難病の患者を探しては病気を治療していく。
犬屋敷はその人生で初めて目標を持ち、居場所を手に入れるのだ。
一方、獅子神は父親の家庭のような温かい家庭や幸せな人々に違和感を感じていたこともあり、とある一家を惨殺してしまう。
理由などはないのだろう。
たまたま近くに幸せそうな家庭があったからやった。
その家族に恨みなどはない。
ここから獅子神は自身の暴力衝動を開放していくようになる。

犬屋敷は他人の病気を治すことに力を使い、獅子神は自分の衝動の赴くままに力を使う。
犬屋敷も獅子神も他人とのコミュニケーション能力に乏しい人間だったのかもしれない、そういった意味では二人はよく似ている。
二人は力を使うことで他人とのコミュニケーションを取っていたともいえる。
そのやり方は対極にあったが、求めていたものは同じなのだ。

物語中盤、獅子神が殺人の指名手配容疑者として警察に追われるようになると話はさらに緊迫感を増す。
獅子神の物語は現代ならではの不幸を呼び込むのだ。
ネットの向こうの顔の見えない人間たちからの悪意である。
これは犬屋敷の背負っているわかりやすい不幸とは違う、新しいタイプの不幸だ。
獅子神が凶悪犯として指名手配され、メディアに顔写真が載るとネット上の『自称正義の味方』があっという間に彼の自宅を割り出す。
マスコミが駆け付け、獅子神の母親は世間の非難を一身に浴びる。
さらにネット上の正義感は暴走。
ついに獅子神の母は責任に押しつぶされ自殺してしまうのだ。
さらに獅子神をかくまったクラスメイトの渡辺 しおんも警察の突入時に銃撃の犠牲となってしまう。
顔の見えない正義が獅子神の大事なものを一瞬にして奪い去ってしまった。
自分の存在を認めてくれていたものがなくなってしまう不幸。
自分の居場所がない不幸。
獅子神は犬屋敷と同じ境遇になってしまった。

この獅子神の心の移り変わり、環境の変化、その描き方は秀逸だった。
確かにデフォルメが過ぎる点もあるし、ちょっと簡単に描きすぎに感じなくもないが獅子神を主人公としてそのカウンターとして旧世代の不幸を背負った犬屋敷と闘わせる、というのはいい対比だったと思う。
孤独な二人にはそれぞれ目指した世界(くらし)があった。
それを手に入れるために二人は全く違う行動をとっていたのだけれど、実は根幹にある想いはいっしょだった。
自分の居場所を守りたい。
ただそれだけだったのだ。

人の心の闇をつかさどる象徴としての獅子神、そして光を象徴する犬屋敷。
人間なら誰でも持っている善と悪の心、その心の葛藤を佐藤監督はこのいぬやしきというコンテンツを借りて表現したのではないか。
2人の闘いは実は人間なら誰でも持っている心の中の葛藤の象徴ではなかったか。
はるか昔からある天使vs悪魔というテーマ。
善と悪、表裏一体のものでありそれを一つの体に宿す人間。
まさに獅子神と犬屋敷のバトルはアルマゲドンのようであった。
この映画は天使ルシファー(獅子神)の転落の物語だったのかもしれない。


追記:
映画を見ている途中で獅子神に同調しかけている自分に気づいた。
ネットの向こうから悪意を発してくるやつらをモニター越しに次々と殺害する獅子神。
この時、自分が爽快感を感じていることに築いてぞっとした。
ネットの向こうの悪意をこうやって抹殺出来たらさぞやすっきりするだろう。
顔が見えないからといって好き放題悪意を向けてくるやつらを自由に殺せたら…。

あなたはこの映画を見てどう感じただろうか。
登場人物の中の誰に一番共感できただろうか。
恥ずかしい話だが私は復讐者としての獅子神に共感していた。




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