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(32)わからんと描けんのです

絵を描く人は、描かない人に比べて世界をよく観察していると思う。

絵描きの脳には「もし自分がこれを描くなら…」というモードが常にスタンバっているので、(見た目に限って言えば)世界をよく観察する癖が付いていると言って良いだろう。

描く前提で辺りを見渡すと、世の中にはなぜそう見えるかを説明できないものが多すぎて、結構面白い。
今日は、そういう小さなオモシロを集めて書いてみる。

コイル

駅のホームでボーッと電車を待っていたら、視界を端から端まで横断する複数本の線に気がついた。
その駅は地平より少し高い位置にホームがあるタイプだったので、線路沿いの道路に並ぶ電線柱の頂上が、ホームから見るとちょうど目線の高さに見えるのだった。

細い線が数本、線路と平行にピーンと張られていて、どこまでも左右にまっすぐ伸びている。見回すとパノラマ写真のような見え方をして面白い。
人間の視界は魚眼パースのような形になっているので当然といえば当然だが、実際になが〜〜いものを1点からじっくり見渡すと、自分から離れるほど歪んでみえるのを体感できる。

それに気がついて頭を左右にフリフリして遊んでいたところ、更に面白いことに気がついた。
電話線と思われる螺旋状の線。軸となる太い線に、細い線が緩いコイルのように巻きついた構造だ。

青空を背景に左右に走るコイルを真正面から見ると、遠近感が無視されて完全な正弦波に見える。
一瞬へぇ〜と思ったが、sinカーブは円運動を取り出した波形なのでそりゃそうかと思い直した。

しかし、視界の中心から少し外れたところに目をやると、波のカーブの上下のどちらかが尖り、どちらかがゆるくなる。

極端に表現すると、正面からでは
〜〜〜〜〜〜〜~~
のように見えるコイルも、斜めから見ると
︵︵︵︵︵︵︵︵︵
もしくは
︶︶︶︶︶︶︶︶︶
のような見え方になる。
あれれ、どうしてこうなるんだ?

ゆっくり考えてみれば原理は理解できる。コイルを単純化して、丸く切り抜いた紙を互い違いに繋げて作ったジグザグ状のバネとする。
これを斜めから見ると、圧縮されて見える面と、引き伸ばされて見える面が交互に現れる。その上端と下端だけみれば、尖ったカーブと緩いカーブが現れるはずだ。

理屈は分かったが、やはりどこか直感に反している。こういう単純な図形ほど、パースに乗せようとするとわからなくなるし、こういう瞬間の連続で、「思ったように描けない」というもどかしさに苦しむことになる。
そこそこ絵が描けるようになってきたと自惚れることも増えたが、少なくとも螺旋に関しては、「実物を見ながらじゃないと絶対に正しく描けないかも」と気づけて良かった。こういう気づきを積み重ね、ろくに見ないで描いて間違えるリスクを減らしていこう。

光の帯

アニメ等で、水平線に夕陽が沈んでいくシーンをよく見る。
夕陽が海面に反射してオレンジの光の帯となり、夕陽と自分を繋ぐ道のような、幻想的な風景を作り出す。

でもこの光の帯、ちょっと不思議じゃない?と思った。

小中学校の理科の授業で、「光は直進し、平らな面にぶつかると入射角=反射角となるように跳ね返る」と教わった。これは経験的にも納得出来る。
この理屈を夕陽のシーンにも当てはめてみる。

視界の正面、水平線よりすこし上に夕陽があるとする。話を単純化するために、夕陽をレーザー光、海面が完全な鏡面と仮定しよう。
太陽は十分に遠いので、太陽光は地球に対して平行に届く。つまり、観測者の視点から見ると、前方やや斜め上から、無数のレーザー光が海面を照らしていることになる。

このとき、無数のレーザー光のうち観測者の目に入るのは、海面上のあるピンポイントに当たった光だけだ。
実際、自分が宇宙から地球上にいる人間を狙う宇宙人スナイパーだったとして、砲身角度が固定されたレーザー砲で、海面に反射させつつターゲットを撃ち抜くと考えれば、至難の業なのがわかる。的確な照射位置に砲台をセットしなければ、地球人の小さな瞳は貫けないだろう。

しかし、この想定は現実と合わない。
実際は海面上に光の帯が見えているのだから、海面のそこそこ広い範囲に反射された光が、観測者の目に届いているのである。つまり宇宙人スナイパーは、海面の帯状領域のどこかにヒットさせればミッションクリアである。先程と比べると格段に当たり判定が広がった。
そんなことありうるのか?

頭の中にこんな図を思い浮かべる。左のようになる気がするが、実際は右の見え方をする。
違和感の正体はたぶんこれだ。

もうお分かりだと思うが、答えは至って単純。「海面を完全な鏡面とする」という仮定が間違っているだけだ。
現実では海面は波打っているため、水平線に対し入射角=反射角とならない。正面やや上方から海面に差し込んだ光は、乱反射して角度が変わる。右や左へ逸れた光は目まで届かないが、それ以外の光は結構な割合が目に到達できる。こうして海面は帯状に輝いてみえるというわけだ。

同じような現象は身の回りに溢れている。
雨の日の夜、濡れたアスファルトに車のブレーキランプが映り、にゅーんと伸びてみえたり、病院のリノリウムの床に映った蛍光灯の反射光が帯状にみえたり。

ちなみに、太陽の位置が高すぎたり波が高すぎたりすると光の道はできないらしく、それなりに発生条件は限られているそうだ。

なぜそう見えるのか、考えるだけでもおもしろい

上記は見る人が見たら「何をいまさら」という気づきばかりかもしれないが、自分の中でおやと思った観察結果について考え、納得のいく説明を付けられたのが面白かった。大いに自己満足。

脳の絵描きスイッチが入っているときに世界を見渡すと、こうした小さな気づきにたくさん遭遇する。描いたことの無いものを描こうとして上手く描けず、初めて気づくこともある。

たぶん多くの人にとってこれらの気づきは別に面白くない。それはそれで良い。
世界の見え方についての考察の深さと、その人の人格への評価は全く関係がないし、「気づかない人は人生損してる」とも思わない。
僕は1人でこういうことをぐるぐる考えるのが好きなので、それが楽しくて絵を描いているだけだと思う。


もしあなたが絵を描かない人で、それでもこの記事のような思考プロセスが面白いと思ったのなら。

存外あなたは絵描きに向いているのかもしれません…

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