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(7)子供活動をしよう!の段

ノーチのかたっぽ、¥0sukeです。

今日は絵の話でも趣味の話でもなんでもないことについて書きたいと思います。
大人になりたいけどなりたくないという話です。

歳をとったなぁという話

この1年くらいで、自分が大人になったなぁと実感することが急に増えました。

いや。

「大人になった」というよりは、「大人にならざるを得なくなってきた」というほうが近いかもしれません。

社会人経験も3年目、20代も折り返し地点を過ぎました。
自分の親が初めて子を持った年齢に並び、子供の頃好きだった漫画のキャラクターの多くは年下になりました。
サザエさんだって年下です。

風の噂では、かつての地元の同級生の中には結婚して親となり、家を建てて車を所有している人もいるらしいです。
(絡みがないので風の噂ですが…)

小学校1年生の時、6年生は立派なお兄さんに見えたけど、自分が6年生になったときは、全然お兄さんになったとは思わなかった。
大学に入りたての頃、就活をしている4年生の先輩は立派な大人に見えたけど、自分がその歳になっても、全然いいもんじゃなかった。

皆さんも薄々勘づいているでしょう。
歳を重ねても、勝手に心は大人にならない。

まじか〜!

自動的にフォームチェンジするんじゃないのかよ〜!

自分は大人になれているか?

…いや待てよ。
自分では大人になった気がしないだけで、第三者から観測すれば大人なのでは?

法律的には、選挙権もあるし合法的にお酒が飲める。
大人かー…

曲がりなりにも自分で食べる分のお金を自分で稼いでいる。
経済的に自律している。
大人ですねぇ…

自分の生活についての選択権は自分が握っている。好きな時に好きな物を食べられるし、いくら寝坊や夜更かしをしても咎められない。
大人じゃん!!!

昔のアニメ漫画や青春時代に聴いていた曲をリピートして懐かしがっている。
これは老人か…

集計の結果、僕はどうやら大人になってしまったようです。さようなら。

大人は楽

……と、ここまでが20歳を超えてからの僕の気づきです。
それがこの1年で実感を伴い、大人としての振る舞いが板に付いてきた。
社会の歯車として、誰かのために何かをして、お金を貰うという暮らしに慣れてきた。
大人なんだから、という理由で我慢できることが増えた。

自分が大人だと思うと、社会で暮らすのが楽になります。
仕事で何かミスをしても、「経験値が上がった」と思えば、失敗は財産になる。
ついてないことがあっても、「今は長い人生の中の1地点に過ぎないから」「これがずっと続くわけじゃないから」と思えば、目先の出来事にいちいち浮き沈みすることもない。
そしてなにより、そういう大人の考え方をできることに、「僕大人じゃん〜」と自惚れることができ、自己肯定感が上がる。

全ての状況で上のようなネガ→ポジ変換をすることはなかなか難しいものの、口に出して言うようにしていたら、本当に切り替えられるようになってきました。

つまんね〜大人になりつつある

大人になるって、成長するって、とてもいいことだなぁ〜。

でも同時に思うこともあります。

大人ってつまんねぇ〜~〜〜

いい感じに社会に順応してきたように見えますが、ちょっとずつ、自分が「つまらない大人」に近づいている危機感があります。

  • 昔の苦労話や自慢話しかしない

  • 仕事の話しかしない

  • 聞いてないのに隙あらば自分語り

  • 「自分は古い人間だから」と時代に合わない価値観を肯定し、新しい情報を取り入れず、安定を求める

  • 自分の物差しを信用しすぎて偏見でものを見る

  • 自分の経験こそ正解と疑わず、若者や子供を「自分のコピー」に育てようとする

僕が思うつまらない大人、もっと言うと「いやなオッサン」の特徴はこんなところでしょうか。
思いつくままにリストアップしてみると、今の自分にも結構当てはまる項目があって、ドキッとしました。

・昔の苦労話や自慢話しかしない
・仕事の話しかしない
・聞いていないのに隙あらば自分語り

このnoteも自分語りしたいが為にやっていますし、書いている内容も仕事に関することが多めです。
日常生活を送っていても、この経験をどう仕事や創作に還元するかということばかり考えてしまいます。
道端でポスターを見ればデザインの作り方を考え、映画を見れば演出意図を汲み取ろうとし、小説はストーリー構成の勉強だと思って読んでいます。

「自分は古い人間だから」と時代に合わない価値観を肯定し、新しい情報を取り入れず、安定を求める

TikTokやInstagramの雰囲気に馴染めず、意識的に自分から遠ざけています。
ライブ配信アプリにも適応できず、すぐに辞めてしまいました。

つまらないところ

明記しておきますが、上記のような暮らしが決して悪だと言いたい訳ではありません。
「つまらない大人」の振る舞いをしている人を糾弾したいわけでもありません。

常に仕事を意識していることは、あらゆる経験を仕事に昇華できるということです。
自分の価値観に自信があることはいい事です。
歴史を知っていることは、若者とは異なる視野を持っているということです。

ただ僕は、自分が大人になったことを実感するにつれ、自分が「つまらなくなってきている」ことも実感してしまうのです。

まず、様々な経験を積んで感情が安定してきたことで、気分の起伏を抑えられるようになりました。

自分の機嫌の手網を、自分で握れるのが成熟した大人です。

しかし、自由奔放に走り回る機会が減っただけ、どうやって全力で泣いたり笑ったりしていたのか、感情の解き放ち方を忘れてしまいます。
映画をつくり手目線で見ることもひとつの楽しみ方ではありますが、手放しで感動していた頃にもう戻れないという寂しさもあります。

次に、自分が興味があること以外に対して、とても鈍感になりました。
自分の仕事に関連することについては必死に勉強しようとしますが、それ以外のことに割くエネルギーが残っていません。

デキる大人にとっての休日は、仕事のエネルギーを補充するためのもの。
プライベートの時間は、知見を深めて仕事に還元するためのもの。

そんなの嫌だよ〜!!!!

自分という人間を語る時に、仕事しか語れることが無くなるのって、なんか嫌なんです…

大人の肩書きって、職業しか許されないみたいなところありますよね。
子供の頃だって、将来の夢を聞かれたら、職業名を答えるのが常識でした。
今の僕だったら、名前の前に冠される文言は、イラストレーターとか、絵本作家とか、DTPオペレーターとか…

でもそれはビジネスシーンでの僕の一面に過ぎなくて、僕の全てではない。
当たり前のことですが、職業名の看板を掲げて過ごしていると、自分は誰なんだっけと時々思います。

童心は尊いものですね

子供の頃は皆、物事をおもしろがる天才でした。
同じ絵本を1000回読めたし、ジェンガでドミノを作って壊すだけで土曜日を潰せたし、10分の休み時間でコツコツ描いた自作の迷路で自由帳を1冊埋められました。

今はどうでしょう?
大抵の本は、1回読めば本棚の肥やし。
買うだけ買って、1回も読んでない本の山だけが高くなっていく始末。
貴重な休日は、前日の無意味な夜更かしによる寝坊で半分潰れ、残りの半分はYouTubeやTwitterを眺めているうちに過ぎ去ります。
自由に描けと言われても、なかなか描きたいものが浮かばない。
義務感やウケ狙いの意識が常につきまといます。

心が安定している大人は、ちょっとやそっとでクヨクヨしないし、自由でお気楽な毎日を過ごせます。
でも心の安定レベルMAXになったら、驚くことも、感動することも減ってしまう。

大人になってしまいたいけど、童心を失いたくない。

だからこそ僕は、この歳になって急に積極的に、子供活動をするようになったのだと思います。

イオンに買い物に行った時に、トイザらスがあれば絶対に入ります。
本屋に行けば児童書や絵本のコーナーを見ます。
子供の頃好きだった『ウォーリーを探せ!』を買い集めています。
クレヨンしんちゃんを見返しています。

消えつつある童心の炎に薪をくべるために。

薄れゆく幼少期の記憶をなぞって、今に写し取るために。

自分が大人になりきれていないことを確かめるために。

エンジョイ、キッズライフ!

書いていて惨めになってきましたが、それでも僕はこれからも、子供活動に勤しみ続けることでしょう。
童心にかえる時間って、めちゃくちゃ楽しいですもの。
たぶんですけど、脳科学的にも健康にいいと思います。(テキトーこきました)

実際に、子供と同じ目の輝きを持ち続けている人は素敵です。
溢れんばかりのワクワクを抑えきれずに紅潮した顔で、指先を震わせながら、好きなものについて教えてくれる人の話は、未知のジャンルだとしても面白いものです。
そういう人とたくさん話したいし、自分もそうでありたい。

迫り来る「老い」を振りほどき、いかにして子供のままでいるか。

僕の20代後半の課題はこれです。
子供騙しにいつまでも騙され、面白がり続けるたいと思います。

レッツ、エンジョイ、キッズライフ!!!

今日はここまで。
日に日に長くなっていますね。
最後までお読みいただきありがとうございました。

前にディズニーランド行った時の。
イッツアスモールワールドがランドでいちばん面白いアトラクションだと思います。いろんな所でいろんな事がわちゃわちゃしているのをゆっくり見れるから。シーではシンドバッドがいちばん好き。

それでは。

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