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(14)絵が上手くなる瞬間

ディズニー+で、アニメーターが絵を描いている映像を見た。

邦題は『描いてみよう!夢と魔法のディズニー』。
ディズニースタジオのトップアニメーターたちが、キャラクターの描き方を解説してくれる短い番組だ。

↓サンプル動画

僕が見た回では『アラジン』のジーニー担当アニメーターであるエリック・ゴールドバーグ氏が、さらさらとジーニーを描きながら、キャラクターを生き生きと見せるコツや自身の生い立ち等を語っていた。

この映像を見ている時、突然「絵が上手くなった!」と感じた瞬間があった。

実際、この映像を視聴し終えた直後に絵を描いてみたが、これまでよりも格段にスムーズに、理想的な線を引けるようになっていたのである。

わかったかも…!で上手くなる

その瞬間というのは、ゴールドバーグ氏が最初の一筆を描いたシーンでいきなり訪れた。

ジーニーの体の大雑把な形を下描きする前に、彼は1本のS字カーブをシャッと引いたのだ。
そして解説する。
「これはアクションラインというもので、イラスト全体の動きのガイドになるものです。」

続いて彼は、アクションラインに沿ってさらさらと丸を描いていった。
これはジーニーの体のシルエットを決めるもので、日本のイラスト用語だと「アタリ」と言ったりする。

その描き始めの一連の動作と彼の語り口に魅了されていると、ふと「なんかわかったかも」と思った。
次の瞬間には、あ、今僕は絵が上手くなったな、と実感した。

「知ってる」と「わかってる」って違う

アクションラインやアタリの存在自体は、もう何年も前から知っていた。
自分でイラストを描く際にも普通に使っていたし、なんら新しい知識ではなかった。

※「アクションライン」については、エリック・ゴールドバーグ氏自身の著書でも解説されているので気になる方はチェックしてみてください

しかし、ゴールドバーグ氏が全身を動かして楽しそうに鉛筆を動かすさま、彼の言葉や表情、1本1本の踊るような線を眺めているうちに、初めて自分の中で知識と感覚が繋がった気がした。

これまで僕は、描き始めに引いたアクションラインがいまいちしっくりこないまま描き進め、出来上がったときにはそれを無視したポーズになっていることが多かった。
アクションラインを引いたのに、アタリもちゃんと取ったのに、完成したものはどこかぎこちない気がする。
その原因は、アクションラインを引いた瞬間に思い描いた完成形のイメージが、描いているうちにどんどん薄れて、遂には何がしたいのかわからなくなることだった。

ゴールドバーグ氏の描き方は、これまでの僕と同じ工程を踏んでいるにも関わらず、全く違かった。

彼には、最初に引いた1本のアクションラインの時点で、ジーニーの完成系が見えていた。
そして一筆加える事に、そのイメージにどんどん近づいていく。
紙から浮かせた状態で鉛筆を動かし、線を引く予行練習をして、イメージに近い線だけを厳選して引く。
余計な一手は全くない。
アタリが描き上がった時点では、いくつか並んだ丸の中心を、1本のS字カーブが貫いているだけ。

しかし、その捻れた洋梨のような単純な図形は、既に生き生きとしたジーニーだった。

傍から見ていてもそうなのだから、描いている本人にとってはもっとジーニーに見えているはずである。

そこからはもう消化試合だった。
1本線が増えるごとに、みるみるジーニーになっていく。
まるで最初からその紙の上にジーニーの姿が浮かび上がることが決まっていて、自動的にその結果に収束していくかのようだった。

ユリイカ!!!!

これだ。この感覚だ。

アクションラインの躍動を、消さないように忘れないように、おっかなびっくり描き進めてはダメだ。

むしろ、アクションラインの動きをより大袈裟に強くしていくつもりで、理想の1本をイメージしてから引くんだ。

全体の線の流れ、動きの方向をリンクさせるんだ。

これらの思考が、言語的・論理的にではなく、感覚的に一瞬で脳内を駆け巡った。
ひらめいた、という感じだ。
天啓と形容したくなるほどの衝撃だった。

おそらく、脳内の引き出しに知識としてしまってあった理論を、初めて感覚的に理解したのだと思う。
いつの間にか自転車に乗れるようになるのと同じように、知識と感覚が繋がった。

脳内現象としてはそれだけのことだが、この「ユリイカ!」の快感は、かなり大きかった。

描ける…描けるぞ…!!

自分の手を動かして確かめて、本当に絵が上手くなったと確信した。

下の絵は、映像を視聴した直後に描いたもの。
見かけ上は伝わりづらいかもしれないが、かなりキャラクターたちを生き生きと描けたのではないかと思う。

最初に引いたアクションラインは以下のようなもの。
再現なので描き始めの頃から完全にこの通りだった訳では無いが、概ねこんな感じの動きをイメージし、その通りに仕上がったと思う。

瞬間的に絵が上手くなることは、まあまあある

今回は、アニメーターの制作過程を見て、動きのある絵の描き方を理解した(気がした)。

僕は絵を描き始めてから結構な年数が経つが、こういう経験はこれまで何度かあった。

大抵は絵を描いている時ではなく、漫画や映画などを楽しんでいる時か、絵についての技法書を読んでいる時だった。
急に「わかったかも!」と思い、描いてみると描けるようになっているのだ。
いずれもインプットした知識を感覚的に理解した瞬間だった。

逆に言えば、絵の上達には「①理論のインプット」と「②感覚的理解」の2ステップが有効ということになる。

①は、とにかくいい作品をたくさん見て、参考書を読み漁って、上手い人が上手い理由を学ぶしかない。
中でも、歴史上の先人たちが積み上げてきた理論はやはり素晴らしい。
100年経っても色褪せないクラシックは、100年生き残ってきただけの理由がある。
人類の美術史は紀元前から始まっているので、2000年以上の蓄積を学びたい放題だ。
古代ギリシア芸術もルネサンス期の宮廷画家も江戸の浮世絵師も、現代人が全く歯が立たないくらいうまい。

②の瞬間は意識的に出来るものではないし、いつ来るかわからない。
それなら祈るしかないのか…とも思うが、絵を描く時間や、絵について考えている時間を日常的に増やしていけば、チャンスは増えるかもしれない。
漫然とだらだら見たり描いたりし続けていても、いたずらに老いるばかりなので、意識的に効率よく上達したい。

頭を使って考えながらたくさん勉強して、学んだことを意識しながら描き続けること。
いくら勉強しても、知識の本質を理解し、自分の技として使いこなせるようになるまでが非常にしんどい。
うまく描けない。
うまい人と比べてへこむ。

うまい人は何の苦労もなくさらさらと描いているように見える。
あんなに絵がうまかったら楽しいだろうなと羨ましくなる。
しかし、彼ら彼女らは、必ず過去に自分と同じ悩みを通過しているはずだ。
悩んだ末にようやく本質を理解し、持ち技を増やしていった結果、うまくなったのだ。

そしてその到達点にいてもなお、描けない描けないと悩み続けているのだろう。
生涯絵を描き続けた葛飾北斎ですら、晩年に「この世の森羅万象を描けるようになりたいのに、寿命がまだまだ足りない」的な事を言ったらしい。
80歳を超えて世界的なトップ絵師になってもなお、まだそう思えることが凄い。

僕もいち早くその領域に達するため、これからも幸せに苦しみ続けることにしたい。

うまくなりてぇよ〜

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