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(12)書くことの効果を振り返ってみよう!の段

こんにちは。
ノーチのかたっぽ、¥0sukeです。

急に「日記を書いてみよう」と思い立ってから約3ヶ月、不定期更新ですが、なんとか続けられています。
文章を書くことが日々のスキマ時間の楽しみとなり、習慣となり、生活にも変化が現れてきました。
ここいらで一度、日記を書くことにどんな効果があったか、中間反省会にしようかと思います。

きっかけ

日記を書こうと思ったのは、2冊の本を読んだのがきっかけでした。

1冊目は外山滋比古著『思考の整理学』

40年近く前に書かれた学術エッセイで、自由なアイディアを発想するための思考法を綴った本です。

普段はあまりこういう自己啓発的な本は読まないのですが、この頃企画書を書くお仕事が増えてきて自分の発想に限界を感じ、縋る思いで手に取りました(結局最後まで読めてないけど…)。

印象に残った部分だけピックアップすると、新聞のスクラップでも本の印象に残った言葉でもなんでもいいので、紙に書いて袋に突っ込んで保存しておくのが良いという記述がありました。

アイディアの種を保存する機能もありますが、袋ごとにカテゴリ分けすれば自分が好きな傾向が分かってくるし、集めれば集めるほど、心惹かれる言葉の共通点がわかってくる、というわけです。

2冊目は、魚豊作『チ。-地球の運動について-』

地動説を証明するために命を賭けた人々の奮闘を描いた作品で、このマンガがすごい!を受賞したことで話題になりました。

詳しいことはネタバレになるので触れませんが、研究の成果を書き記した手記が、複数の主人公に引き継がれていく物語です。

先人たちが一生を掛けて積み上げてきた知の蓄積に、自分も一生掛けて、一筆を書き足す。

自分が死んで体は灰になっても、自分が生きた証が後世に残り続け、何らかの影響を与える。

ただ漫然と過ごすだけでなく、書き残すことの大切さを教えてくれる作品です。

僕はこういうものにモロに影響を受けやすい性格なので、すぐに自分の人生に取り入れようと思い、おもむろに日記を書き始めたわけです。

定着する

はて、何を書いたらいいのかしら。

日記といえば普通、その日にあった出来事とその感想を書くもの。
しかし社会人の毎日は、ほとんどが職場と家の往復です。

エピソードをそのまま書こうと思っても同じような記事ばかりになってしまうし、かといって仕事に関することをネット上に公開するわけにもいかない。

ネタになりそうなことと言えば、どこかへ出かけたり、映画を見たり本を読んだりする体験が月に数回程度です。

しかもせっかくの貴重な経験をしても、日々に忙殺されて感動は埋もれていき、いつしか思い出すこともできなくなり、気づけば心身共に老いていく…

そんな感動が薄まっていく感覚も、書くことを意識し始めてからは幾分よくなりました。

何かに感動したときにすぐにスマホを開いてnoteで記事を書き始め、書き途中の下書きを貯めておく。

衝動に任せてちょっとだけ書き、飽きたらやめてそのままにしておきます。

書き始めのハードルはクリアしているので、後は通勤などのスキマ時間にちびちび書き進めるだけ。

放置しすぎるとどうでも良くなってしまうので、毎日ちょっとずつ加筆して、1週間くらいで完成させます。

この1週間の間、記事を加筆するために、感動した出来事を何度も思い出しますが、

この時間がとても心の健康に良い。

忙しい毎日の中で感動した数少ない体験を、何日もかけて大切に大切に思い出しながら記すことで、長期記憶として定着します。

感動を補完するための情報を調べたりして、よりそのコンテンツを好きになることもあります。

記録として残るので、後から読み返して当時の感動を甦らせることも容易。

メリットだらけで嬉しいですね。

まとまる

もうひとつ、書くことで頭の中の整理がつくというメリットを強く実感しています。

「書くことでまとまる」という効果は、以前も情報としては知っていましたが、自分の生活に取り入れてみて改めて実感が伴いました。

ぼーっと生きているつもりでと日々考えていることはたくさんあるようで、無意識的なモヤモヤ思考に脳内メモリが割かれ、気づいたら考えすぎで疲れている、ということがしょっちゅうあります。

そんなモヤモヤを一個一個明文化すると、自分の中で結論が出て、自分を納得させることができ、考えるべき課題が減るのが良い。

1テーマに集中して考えるので、ランダムに思考が広がっていくのも防げます。

本業のお仕事で企画を立てることが多いのですが、ブレスト会議でたくさんアイディアを出しても、結局そのあとに情報を取捨選択して整理する作業が必要です。

普通に過ごしていると、企画で言うところの、ブレスト会議ばかりやってまとめる作業をやっていない状態で放置してしまいます。

そのごちゃごちゃ脳内を片付ける手段のひとつが、「文を書くこと」のような気がします。

反省とこれから

書くこと自体への抵抗はかなり減ったものの、わかりやすい言い回しにした方がいいとか、この順番だと伝わりにくいとか、考えているうちに時間だけが過ぎ、全然進まない。

こんな冗長で中身のない文章誰も読んでいないだろうから好きなように書こうと思っていながら、一方では「人に読んで欲しい」という自意識が邪魔をして、 結果自分で読んでも人が読んでもつまらない出来になっている気がする。

今この瞬間から、ですます調で書くのを辞めて、自分の内面に向けた文を書くのはどうか。

案外論じたいことはある。
人に説きたいわけではないが、ただ論じてみて、自分がどういう結論に行き着くかを試してみたい。

なんか評論家気取りみたいでやな感じになってしまいますね。
ですます調を使うか使わないかは、引き続き適宜で。
勝手に縛りを設ける方がキツイです。

Web上で読みやすくするためにはとにかくたくさん改行したほうがいいってことだけ学んだので、それだけ気をつけます。

ということで、ますます独りよがっていきたいと思います。
この文が別に何かになる訳じゃないし。
人に向けて読ませる時はそれなりに頑張ればいいですね。

そんじゃおわり〜

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