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(19)歳をとると涙もろくなる

あと1週間で26歳。
この1年半くらいで、急激に涙もろくなったと感じる。
感受性が豊かになったというか、些細なことでも感動したり、面白いと思ったりするようになった。

自分の人生こそ他人事

少し前までは、自分は心が動きにくい奴だという自認があった。

思春期の14歳ころから、青年期の23歳くらいまで。

なんとなーく「つまんね〜の」みたいな感情が心の中を巣食っていて、映画やドラマを見て泣いたり、楽しそうに毎日を送っている友達と比べると、自分には人生を楽しむ才能がないと思っていた。

それなりに友達もいて、学校行事や部活に一生懸命になって、成績も常に学年トップクラスで、どう見ても上手くいっていた。
しかし体感としては、窓の向こうの優等生を暗い部屋から眺めているような、モニターで他人の人生を見せ続けられているような、眠いときに聞こえる隣の部屋のうるさいテレビのような、自分事という実感がないものだった。

災害やテロに巻き込まれてあっという間に人生が終わるのを期待していた。
全く苦痛なしに自分の存在を消せる薬が目の前に差し出されたら、迷いなく飲むだろうと思っていた。

20歳ころからは、その何となしの厭世観が巣を喰い破って暴れだし、心の病気の名前で呼ばれるようになった。

1年半大学を休学して、ようやく外に出られるようになって就職も叶ったが、結局ずるずるとメンタル不調は続き、24歳前半くらいまでは、消えない死にたさに苦しみ続けた。

運良く肌感が合う会社に転職できて、仕事ぶりを認めてもらえるようになり、自信もつき、ようやく社会に馴染めてきたと感じるようになったのがこの1年半くらい。

心が元気になった以上に、歳をとった

単に心が健康になってきたので、元来自分の中にあった感受性が発芽したというのもあるが、それにしたって、涙もろくなりすぎだと思う。

感極まって思ったことをたくさん言いたくなるので、家族と家で映画を見る時なんかは、黙って見ていられない。
日常生活でもちょっとした音楽やCMでもうるっとくる事があるし、駅に貼ってあるポスターや、スーパーに並ぶ商品を見て感動することもある。

「歳を取ると涙もろくなる」と言うが、これは人生経験を積むほど共感できることが増えるからだと思う。

社会人生活を始めて、尊敬できるものもすごく増えた。
特に、クリエイティブな仕事をしているので、クリエイティブ系の物事に触れることが多く、「これも誰かが作ったのか」と、いちいち感心するようになった。
知っていることが増えると、より凄さがわかる。

身の回りに溢れるイラストやデザインは、伝えたい情報が伝わりやすくするためにこだわり抜かれている。

モチーフを目立たせるために1%だけ明るさを変える。
デザインにバランスに違和感があるので、オブジェクトを0.1ミリ動かす。
文字組みが綺麗にみえるように、1文字ずつ手作業で文字間を調整する。

こういう地味な仕事は、大抵プロの世界ではできて当たり前なので、誰にも気付かれない。
しかし、できていないとどこか素人っぽく見えたり、稚拙な印象になる。

できて当たり前のことは案外すごくて、その総和で社会が成り立ってるんだな〜と思うと、何でも凄く見えてきて、その技術をもっと知りたくなる。

老いて衰えたくないはないが、歳を取るのはいい事かもしれない

新しい経験をすると、共感できる範囲が広がり、より多くのものに感動できるようになる。
人ひとりの人生でこの世の森羅万象を理解し経験することは不可能だが、長く生きたぶんだけ多くを経験できる。
そう思うと、長生きするのも悪くないかもという気がしてくる。

大人になると無感動になるという話も聞くが、それは同じ毎日の繰り返しに飽きているか、エネルギーを使い果たして感動する体力が残っていないからだ。

ほうっておいたって時は流れるし、僕は老いる。
コンマ1秒後以降の自分の感動の総量は、今の自分の行動ひとつで大きく変わるかもしれない。
やったことのないことをやってみる価値はある。

涙もろくなったな〜という話を書こうとしたら、最後は自己啓発文になってしまった。
これってダサいですかね。
ダサいよね。
このダサさを老いた自分が見たら、感動してくれるかな。
いや、小っ恥ずかしいだけだと思う。
しかしなんか、その恥ずかしさも含めて、素敵じゃないかなと感動している自分もいる。

いやはや、涙もろくなったものだ。

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