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(15)オリジナルは受け入れられ難い

流行病にかかってしまい、1週間以上病床に伏していた。

体の具合が悪いというのは本当に最悪で、熱に頭痛にうなされていると、映画や読書を楽しむ気にもなれない。
大変忙しい毎日を送っていたため、休みが貰えたらやりたいと思っていたことはたくさんあった。
陽性とわかった際、1週間も仕事しなくて済むなら何しようかなと、楽しみさえあった。

しかしいざ自宅療養になると、体内のウイルスを排除することに全体力を使ってしまい、行動らしい行動は全く取れなかった。
不自由な身体とは対照的に、頭だけは何故か冴えており、思索に溺れるばかり1週間を過ごした。

物思いに耽ることしかできないというのもなかなか珍しい状況なので、最近の自分の暮らしと創作について考えてみた。

仕事と作品作りの違い

この数ヶ月は、朝起きて会社に行き、道中ではnoteで文章を書くかSNSで有益な情報を集め、日中はデザインや企画のお仕事という毎日を過ごした。

休み時間も昼食を摂りながらnoteか情報収集。
帰宅したら個人の活動としてのイラストを制作。
平日はほとんどのエネルギーを会社での仕事に使い果たしてしまうが、個人活動の締切も平等に迫ってくる。

土日は集中的に絵を描いて、日曜の夜に提出。
土日の方が締切に追われて精神的にも追い詰められていることが多いので、月曜日は大抵寝不足から始まる。

四六時中、人のために何かを作っている。

頼まれて作るというのは、自分が作りたいものではなく、依頼主が欲しいものを作るということだ。

頭を捻って要望を叶える方法を考えるので、創作のエネルギーは使う。
しかし、頭の中にあるアイディアは一向に実現しないので、創作意欲が十分に満たされる訳では無い。

それに、お金や時間など限られた条件の中で作ると、どうしても得意な表現や手癖に頼ってしまいがちである。
可能な限り短時間でいい物を作らないと、皆が損をする。
顧客の手に渡るもので、新しい表現を実験するのもなかなかリスキーだ。
表現の幅を広く保つためにも、遊びは必要らしい。

オリジナルは楽しい、しかしウケない

たまには息抜きをと思い、スケジュールの合間にオリジナル世界観のイラストをちまちま描くことにした。
やはり自由な創作はとても楽しい。
おおむね納得のいく作品に仕上がり、満を持して描いたイラストをTwitterに投稿した。

これはその時のツイート。
時間をかけた作品だったので、想像していた期待値よりもずいぶん反応が少ないと思った。

もちろん、反応をくださった方々には心から感謝しているし、RTといいねの数だけに一喜一憂して創作している訳では無い。
作品の良さと反応の多さは必ずしも相関しないし、ハロウィンイラストなのに半月近く遅刻しているので、タイミング等さまざまな要因が絡んでいるとは思う。

しかし、これは今回に限った話ではない。
人気の動物(もしくはペット)を可愛らしく描いた作品と比較すると、オリジナル作品は伸びない傾向にあるのは、紛れもない事実だ。

それもそうだ。

知らねーやつが作った創作物の鑑賞に時間を割くのは、抵抗がある。

多くの人が感じているのではないだろうか。

新規開拓にエネルギーを使うよりも、既に整えられた土地で過ごす方が快適なので、これは当然といえば当然だ。

Twitterで二次創作を投稿する人気の絵描きが、オリジナルの漫画を投稿した時だけ極端に反応が少ない、という事例はタイムラインでよく目にする。

歌唱力を評価された新人シンガーがついにメジャーデビュー。初めのうちはカバーアルバムで知名度を上げ、満を持してオリジナルソングを発表したが聴いて貰えない、という話もよく聞く。

耕された土壌は自分の功績ではない

膨大な時間とエネルギーを掛けた作品が完成した時は、なんていい物ができたんだと思う。

作品がとてもいい物ならば、放っておいても良さをわかってくれる誰かが現れて、評価してくれるだろうと思ってしまう。

実際は決してそんなことないのだが。

人気作家の伊坂幸太郎氏も、デビュー作『オーデュボンの祈り』の新装版あとがきで、「書き上がった時は、これが世に出たらすごいことになるぞと思ったが、実際はそんなことはなかった」という風なことを綴っていた。

『オーデュボンの祈り』ほどの名作に、自分の作品を重ねるのはかなりダサいが、あの伊坂幸太郎でさえデビュー当時は悩んでいたとわかり、少し安心した。
(自作の良さが真であると少しも疑っていない点は見逃してください)

要するに、作品の評価は、見る人や時代によって変わるし、売り方(発信のしかた)によっても変わる相対的なもの。
気にしすぎてもしょうがないが、だからこそ戦略的に発信すれば評価を集めることもできるかもしれない。

二次創作や動物のイラストは、モチーフの人気が既に築かれているものなので、見つけてもらいやすい。
本家コンテンツをきっかけに参入してもらいやすいので、評価数を増やす観点に限って言えば、かなりコスパが良い。

しかし、「二次創作の人」というイメージが定着してしまうと、オリジナル作品を見てもらえないというジレンマを抱えている。
「本家コンテンツが好きなだけで、あなたの絵が好きなわけではない」という人をどうやって振り向かせるか、結局は同じ壁にぶつかることになる。

本家のお陰で底上げされた人気を、自分だけの功績だと思い込んでしまうと、オリジナル路線に切り替えた時のダメージが大きくなる。

純度の高いものを作り続けるしかない

僕はノーチのしっぽ研究所を結成してから、「2人で作り上げた世界の素敵さを伝えたい」とずっと思っている。

生き物の魅力を知ってもらったり、好きな漫画やアニメの二次創作を見てもらうのも楽しい。
しかしオリジナルの物語を作ることはやめたくないし、オリジナルが自分たちの代表作になってほしい。

なにより、作っている自分たちがとても楽しいので、つられて面白がってくれる人達もいると信じている。

それを実現するためには、ブレずにオリジナルを作り続けることが最低条件だ。
いくら面白いものを思いついても、作品として仕上げない限りは、外から見れば何もしていないのと同じだ。

朝井リョウ『何者』で、「頭の中にあるうちは、いつだって、なんだって傑作なんだよな」というセリフがあった。
確か批判的な文脈で吐かれたセリフだったと思うが、僕はこの言葉がやけに印象に残っている。

オリジナルでウケたい。
そう思っているくせに、僕は面白いと思ったアイディアの1%もアウトプットできていない。
量も質も足りていない。

この記事を書き始めたときは、オリジナルはウケないなあとボヤくつもりだったが、最終的には描かなきゃ、作らなきゃという反省に終わった。

ろくに作らない自分を過剰に責めそうなので、今回はここらで終わり。

描かなきゃなぁ〜

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