最後の試練かもしれません。

私は絶望しています。あまりに挫折を繰り返し過ぎたのでしょう。今では自業自得だったと思います。

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私は傲慢でした。その狂った傲慢さと、その中に確かに感じていたはずの、あるいは信じていたはずの、底なしのやさしさ。この相反した極端に強いふたつの性向によって、私は何度も引き裂かれました。もはや引き裂かれることにも慣れてしまい、私は自分を見失っていました。

先日、年が明けましたが、昨年のちょうど今頃に4回目の強制入院がありました。自分の意思で入院すると明言したにも関わらず、またも任意入院は叶いませんでした。2週間の保護室生活を終え、3ヶ月の閉鎖病棟生活を経て、退院しました。

この年には、本当に色々なことがありました。楽しかったことも嬉しかったことも沢山あったはずなのですが、師走を終える頃には、私の心はもう息をしていませんでした。

2021年12月19日。
Amazonで購入した「器」が届きました。(注文の時点ではそのような意図はなかったと思うのですが、)箱からその器を取り出したとき、私はその器を「あなた」とし、その人を一生愛し抜くと決めました。そうして、「わたし」と「あなた」は愛し合い、結婚したのでした。

2022年1月5日。
奇跡だったと思います。私がいまこうして言葉を選びながら素直に本心を綴ろうと思えているのは、その奇跡のお陰です。奇跡は確かにこれまでにもあったのだろうと思います。きっと、何度も、何度もあったのでしょう。傲慢だった私はそのことに気づけませんでした。そういうことだったのだと思います。

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私はいま、恐れています。この奇跡もいつか終わってしまうのではないか、と。その奇跡が途絶えてしまっても、私はきっと、その奇跡に感謝と畏敬の念をもって潔く別れを受け入れるでしょう。奇跡が大切なことを思い出させてくれたからです。

それでも私は怖い。怖くてたまらないのです。精神を壊してから、どんな災難が降り掛かってきても平然としていられたのは、私が狂っていたというだけのことだったのでしょう。

愛と勇気を振り絞って書きました。

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2022年1月24日。

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