イデア論の必然性について

 イデア論というのは、認知心理学的には「トップダウン」の思考法である。ここに「論点先取」という重大な問題が潜んではいるのだが、気にしなくていい。イデア論は、数学では「原像」のことだ。受験数学で「大学への数学」を学んでいた人たちならすっとわかる。そう、あの逆像法のときに考えていたような考え方だ。たとえあここに"XYLITOL(キシリトール)"という名前のついたロッテのガムがある。これもまた、イデアの「影」に過ぎないというわけだ。つまり、天界にはちゃんとキシリトールの「鋳型」が(本来的に)存在しており、目の前にあるキシリトールは、キシリトールそれ自体の「インスタンス」に過ぎないというわけだ。これがイデア論。つまり、トップダウンの思考法だ。

 これに対し、ボトムアップの思考法がある。トップダウンが唯一神信仰によるものだとすれば、ボトムアップは、八百万の神々(感覚世界の実体)を信仰しているということになる。

 さて、「片手落ち」という言葉がある。特にこのトップダウンとボトムアップとは、両立することが極めて難しい。何しろ、足の裏から頭のてっぺんまでマッピングが揃っていないといけないからだ。

 しかし、原理を飲み込みさえすれば、誰にでもできるはずだ。なぜなら、人は基本的には天と地の間に存在しているからだ。だって、君たちは地上を直立二足歩行しているから、見上げることも見下ろすことも(ほとんど)いつでもできるじゃないか。要はそういうこと。

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