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美術館で会った人だろ、アンタ。 7

『シュルレアリスム宣言』100年
シュルレアリスムと日本
京都文化博物館

そうだ京都に行こう。

今回は岡崎ぢゃなくて烏丸御池。
地下鉄の駅を出ると
なんだか頑張っちゃいました風の
建物がごろごろしてる。
うん、京都はこれだから面白いね。

『シュルレアリスム宣言』100年

このマニュフェストをものした
アンドレ・ブルトン師は
四次元怪獣ではなく詩人であるとのことだ。
詩人は定義している。

シュルレアリスム
男性名詞。心の純粋なオートマティスム
(自動現象)であり、それにもとずいて
口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、
思考の実際上の働きを実現しようと企てる。
理性によって行使されるどんな統制もなく、
美学上ないし道徳上のどんな気遣いからも
はなれた思考の書き取り。

めんどくせーし長い。
そーいやダダイズムなんてのもあったなぁ。

うん、誤読を執行しよう。

シュルレアリスムの人たちはお約束を排除したい。
そんなものはclicheぢゃないかい。
そんな気持ちでどんどんことを進めた。

人間の精神はpattern recognitionの積層によって
形成されていく。
pattern recognitionをclicheとして剥いで行くと
個人的無意識の層に至る。

つまりシュルレアリスムはサイコダイヴへの
アプローチである。

かような仮説の蓋然性を検証したく
京都を訪れたのだね。

ナカの人たちは結構丁寧な仕事をしておられた。
シュルレアリスムの紹介から受容。
そして展開から拡張および戦争体制による弾圧。
敗戦後の浸透など。
何せ文化博物館だからね歴史は大事なんですよ。
残念であったのは、
岡上叔子の作品にふれられていないこと。
現代美術作品の中にみられる
シュルレアリスムのDNAについて
触れられていないこと。
2点であるます。
判っちゃいるんだろうね。

この展覧会の図録としてもとめた
「シュルレアリスムと日本」(青幻舎)は
なかなかに良い資料で
大いに学ばせてもらえたのであるます。

さて検討作業に入ろう。

先駆として位置づけされているのが

東郷青児「超現実派の散歩」。
この人は最初からこんな感じなんですね。
ぬるっとしたアニマ。
ヅラかぶせてみたり、つけまつげしたり。
最初っから元型に出会っていたんだね。

阿部金剛「Rien №1」
これはありだと思うんだけど。
これだけだとしんどくないか。
内面風景がこれだと生きづらいだろう。

福沢一郎「他人の恋」
画力があるから切った貼ったしなくていい。
この人はコラージュから始めてみたんだね。
この人は理屈も分かっている人らしい。
逆にclicheを積層させて
異化させようとしたんだね。

古賀春江「音楽」
すごく有名な人。
薄皮を何枚かはいだだけのような感じ。
やっておられることは
この人もコラージュ絵画だろうけど。
イメージが未だ表層的なんだなぁ。

で次に来るのが

吉原治良「縄をまとう男」
この人こんなことしてたんだぁ。
この人ここからどんどんclicheを剥いで行って
どんどん「具体的」になっていくんだよね。

高井貞二「煙」
こーゆーの好きなんだよね。
分かり易い不可思議。
そんなに深くは潜っていないんだけど
三年に一度くらいは脳裏に浮かぶ風景。

飯田操朗「婦人の愛」
夢の中で出会ってしまうと
情動を激しく揺さぶってくる風景があるだろう。
それが何であるかは
死ぬまでに判ればいいんだよね。
そういうことだよ。

ここまでが概ね1935年まで作品。
ここから1941年頃まで
すごい作品やつまんない作品が出てくる。

福沢一郎「人」
このイメージはなんか既視感がある。
まぁ今の眼で見てってことだけどね。
90年位前にこの絵にでくわしていたら
おおこれわって感じで感動したろうね。
コラージュ絵画の一方で
意識下に深く潜っていたんだね。

小牧源太郎「民族系譜学」
今回の白眉の一つ。
この昆虫を解剖したようなイメージは
頭の中にこびりついてしまう。
理屈ぢゃないインパクトを
もらっちゃいました。
だって意識下にこんな元型を隠してるんなんて。

麻生三郎「形態A」「形態B」
なんか熟し方が不足しているような
イメージなんだけど力を感じるね。
他の作品でもそんな感じなんで
これは個性なんだろうね。
深く潜ればいいってもんぢゃないと。

靉光「眼のある風景」
ナンバーワンはこれでしょう。
この風景の持つ力は
なんか意識下に侵食してくるような
気がする。

寺田正明「生命の創造」
画面を赤く塗りつぶして
エルンストのロプロプを
隠蔽しているね。

北脇昇「周易解理図(泰否)」
1941年に
ここに至ってしまったんですね。
メタ・シュルレアリスム。
次回企画としてここから現代に至る
artの流れを解題しちゃ如何ですかねぇ。

そんな訳で印象批評のまがいものを
こじつけもろとも羅列してしまった。
まぁいいんじゃないかと思ってるけど。

蛇足ではあるが
この展覧会は京都文化博物館4階特別展示室。
で、2階総合展示室の奥のほうで地味に
「シュルレアリスムと京都」も開催されてた。
「北脇昇と小牧源太郎の戦中戦後」って
展示もあってなかなかに興味深いものがあった
のですよ。

でね、錦市場とか、ひやかして祇園まで行って
壱銭洋食でビールをやっつけて
ごきげんで帰途についたのですよ。

E.N.D.


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