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gallery 『狐面』

片付け中、かつて写した写真を発掘した。
ギャラリーの企画展に出展するためにあつらえた、わたしらしくない額の中に
居心地悪そうにおさまっていた。


いつだったか、
「狐面作りたい」
という謎の創作欲が湧いて
数日かけて狐面をつくった。


完成した狐面はどこに持っていくでもなく、
どこに発表するでもなかった。
「つくりたい。だからつくった」
という、完全なる自己満足。
完成したことで満足を得たわたしは
「よし、捨てよう」
と すぐに決めた。
飾りたくてつくったのではない。
誰かに見せびらかしたいわけでもない。
「つくりたい」という欲のためだった。
その欲が満たされたのだから
モノはいつまでも要らないのだった。
「破壊」までがセットとなって
わたしの「創造」になっている。



狐面を捨てる前に記録として写真を撮った。
セルフポートレートだった。
真夏に黒髪ロングのウィッグをつけ、
呼吸の穴のないお面をつけ、
三脚と撮影位置を何往復もした。
クーラーを入れていても真夏のそれは応えた。
息も絶え絶えで写した写真だった。


企画展には参加表明をした以上、〆切までに完成させてギャラリーに搬入しないといけなかった。
参加は自分で決めたことで、
制作はぎりぎりまでねばったものの、納得いく作品がつくれないまま、
「(仮)」で撮影していた狐面のセルフポートレートをどうにかこうにか企画趣旨である「多重露光」に変貌させ、手ごたえのないまま出展した。
展示はもやもやしたまま、あっけなく終わった。
片付ける氣力も湧かなかったのか、
その当時、組写真で出展した作品は
そのままフレームにおさまっていた。


額の裏側の金具を取り、写真を取り出した。
びりり、と破いたらうつくしく、
写真の写真、を写した。
こっちのほうが作品になるんじゃないか、と皮肉を思う。
自分でつくったものなのに、
明日には燃えるごみだ。


狐面の下のわたしは、
笑っていたか泣いていたか。

汗だくだったことだけは確かだ。

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