![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/134272270/rectangle_large_type_2_f04800179c14983cba65977f2b0c847d.png?width=800)
人間だもの
きらきら輝いている素敵なひとたちは
ネガティブな感情なんて感じないひとなんだろうな、と思っていた
何氣なく観ていた動画である発信者の方が
「わたしも人間なのでイラッとすることはよくあります」とおっしゃっていて、
「おお!?こんなニコニコと朗らかに発信されてる方でも、イラッとすることがあるんだ……!」
と 思いながら
そこで、ようやく氣がついた
![](https://assets.st-note.com/img/1710690352655-KAt6i3F3Ny.jpg?width=800)
人間だもんね……
そりゃあ、そうだよね……!!!
勝手に「ああいう人たちはポジティブの塊なんや。わたしとは違って、ネガティブなことを思うことはないのだ」
なんて認識していたけど
そうではなくて、
きらきら輝いて(みえ)る人も
人氣者の発信者も
「ネガティブな感情を感じていない」
わけでも
「ネガティブな感情を排除している」
わけでもなくて
「ネガティブな感情を感じる自分のことも否定せず、受け入れている」
のだと、やっとわかった
「そんな自分でもええやん」って
わたしってば自分以外のひとを
勝手に見上げる癖があるので
誰かの一部(発信とか)を見ただけで、
「あの人はいつでもポジティブで素敵」
と 勝手に期待値をあげてしまう
崇高化しちゃうんよね……
(自分がされたらすげー嫌なのに)
それで、
「えっ?この人でもそんな(残念な/失礼な)こと言うんだ……わぁがっかり……」
なんて勝手に幻滅したりしていた
(超失礼)
最近の氣づきは
「性格悪くても別にいいじゃん」です
「性格の悪い自分ではダメだ」
と 思ってるから
「いい人」をしようとしてしまう
「嫌われないように」
「あわよくば好かれるように」
と 相手の好みそうな言動を無意識に探っていた
「ちょっと嫌な自分」を
「出してはならん」
と「抑圧」していたおかげで、
身の回りでは辛辣なことを言ってきたり、
つい、「性格悪ッ」と言いそうになる人が
わたしの前に絶えずやってきていました
だけど彼らは
ただの「映像」にすぎないのです
「どうも〜〜隠してるあなたですよ〜〜〜」
と、ご丁寧に
わたしに教えてくれているんですよね……
ああ つらい……
え〜〜〜?わたしって、
こんなに、こんなに……
性格悪いんかい!!!!😂
口も悪いし!!めっちゃ嫌味やし!!!
ほんっっまに最悪やん!!!!!笑
でも、
「性格悪いわたしでもええやん」
「口悪くてもええやん」
相手がわたしをどう思うか(結果)はわたしがコントロールできるものじゃないし
それはもう置いといて、
自分が素直に思ってること言いたいことを言ってみたらええやん
と思ったら、
心がフワッとラクになりました
カドが取れた、というか
「あ〜〜〜どんな自分でも受け入れる、ってこういうことか」とやっとわかった感じ
「いい子でいなきゃ」
「嫌なことを言わないようにしなきゃ」
って してたからしんどかったのよね
無意識でやってた「いい子」を手放して、
自然に湧きあがってくる感情が
どんなものであれ(ポジティブでもネガティブでも)受け入れていくこと
それが自分との仲直りで
自己肯定感をあげる、につながる一歩
なのかもしれないな、って
「性格悪いわたしでも大丈夫」
って アファメーションしてたら
笑いがこみあげてきました😇
「つっこみオモロいっすねwww」
って言われたこともあったよなぁそういえば
「はっきり伝える」ことも
「的確な指摘」も
別に「悪いこと」じゃない、と思い出せた
わたしは口が悪いかもしれない
腹は黒いかもしれない
だけどそんな自分のことも認めて出してゆく
蓮の花だって泥から生まれるのだ
どろどろしててもええやない、
人間だもの
🪷🌟
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?