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意味なんてない、書きたいことを書こう。

note、はじめました。

正確に言うと、以前書いていたこともあるし
他の媒体で日々を綴っていたことも
あったのだけど
また改めて「新しいスペース」が
必要になったのです。

「まっさらな状態で書きたい」
という気持ちが出てきたのだ。(やっと!)


オフラインでの私は
「聞き役」であることがほとんどで
自分の話をすることがあまりない。

「で、最近どうよ?」とかって話を振られても
「うーん、まあなんとかね。そっちはどう?」
なんてすぐにバトンを渡してしまう。

じゃあ、話すことがないかというと
それが死ぬほどあるんです。
誇張じゃないよ、ホント死ぬほどあるの(笑)

何気ない毎日の中でも
感じていることや考えてること
ふと思うことがたくさんたくさんあって
いつでも身体の中でうずまいてる。

しかも、それって消えないの。
ちゃんと、全部、持ち続けてる。
身体の中にすべて収納されていて
ふとした瞬間に浮かび上がってくる。


それをね
話したいって思うことはあるんだ。

でも、「最近どうよ?」の問いの
答えになるかというと
私の考えていることはあまりにも
相手のニーズ(話したいトピックス)とは
かけ離れていて。

そのことを分かっていて
話すことはできないのね。
だって、私の目的もまた
「その相手と良い時間を過ごしたい」だから。

でも、「話したい」の。
この身体の中にあるものを、外側に出したい。


紙のノートに書くことも好きで
もうかれこれ20年以上書き続けているけれど
インターネット上に書くというのは
また違う味わいがある。
「相手」がいるのだ。

それはネットを通じて画面の向こう側で
本当に私の書き綴る文字を読む人が
いるのかもしれないけれど
その手前に、相手がいる感じがする。

ブログであれ、Facebookであれ
入力画面があって、投稿ボタンがある。
そこに入力して、投稿を受け入れられて
画面に表示される。

画面に私の話を「手渡す」
そして「受け取られる」。

誰に読まれるでもなくても
「誰かに話している」感覚がそこにある。
そして、生身の人間とちがって
どんなタイミングでどんな話をしても
大丈夫なのだ。


「この言葉で分かるかな?」
「この話は大丈夫かな?」
画面の向こう側にいる人を慮って
書けなくなってしまった時期を経ているので
今回ここではひとつ、決めていることがある。

伝わるか伝わらないかなんて、気にしない。
文の長さなんて、気にしない。
「ちゃんと」なんて、書かない。

私の好きなタイミングで
私の書きたいことを書く。
私の内側から立ち上ってきた言葉を
ただただ書き留めていくのだ。

noteは
それを受け止めてくれそうな気がするんだ。


「おまえの話なんて誰が聞きたいと思うんだよ」
なんても思うけど、大丈夫、画面だから(笑)

だからうっかりここを見ちゃった人は
おもしろいなって思ったら読んでね。
「ホント、うっかり見ちゃったぜ」って人は
その時間を自分の好きなことに使ってね。

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