書くことについて語るときに僕が語ること
昨日からようやく重い腰を上げて、何かを書くことにした。
始まりはまたしても媒体選び。Tumblrはなんかしっくりこないし、はてなブログもいまいちピンとこない。アメブロは論外だし、どうしたものかと思っていたところ、急浮上してきたのはnoteだ。
noteは、ブログとしても使えるし、記事や写真に課金ができる機能があるため、ビジネスコンテンツとしての文章を書くことができる。いや、むしろそちらがこのサービスの本筋で、「誰でもクリエイターになれる」というのが最大の特徴なのだ。
僕は普段、本を読むことを無常の喜びとしているけれど、文章を書くことも実は好きなのである。好きだけど、いや、好きだからただの日記のように文章も文体も気にせずに、気ままに書き散らかしてハイ、終了。みたいなのは自分に許せないのだ。
そんなの、寝起きのボサボサ頭にスッピンの出で立ちで、昨夜の酒の残り香をプンプンさせてパジャマのまんまお出かけしちゃったようなものだ。
そんな本来パーソナルなものを衆目に晒すべきではないと僕は思うのだ。人に見られるものと見られないものには純然と線引きをしようではないか。
そんなわけで、どうせ書くならきちんと書きたいと思うと、もちろんそこには然るべき努力が必要で、努力というのは当然苦しみを伴うものだから、我慢が何より苦手な僕としては、好きなことであるのに苦しみを伴うというダブルバインドな状態になってしまうのだ。
結果、書かない。
だけどそれでは何も始まらないので、自分の中のハードルを少し下げてみることにしたのである。これから先僕がここに書いていくものの中心は、日記とコラムの中間のような存在にしたいと思っている。
ただその日の出来事をダラダラと書くことはしたくない。そんなのは家に帰って犬なり猫なり亀なりに話せばいいのだ。
日常の中にある出来事に対して、何かしらの視点や意見があることが望ましい。
つまり僕は日々を注意深く、おざなりにすることなく過ごしていきたいというだけのことかもしれない。
いや、それも堅苦しいな。要するに、毎日を面白がるということなんだと思う。
今日は久しぶりに自転車に乗った。シクロクロスシーズンが終わって以来、3ヶ月近くも乗ってなかった。気候も良くなってきたから水の近くに行きたくて、浜名湖をかすめるルートで軽めに40kmほどポタリング。
GWの観光客で賑わう舘山寺にて、恥を忍んで自撮りタイムを設けたので、その成果をここに披露します。
明日もいい日でありますように。
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