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信仰の聖地戸隠

聖地としての文脈

霊気に満ちたこの地が「聖地」とされるいくつかの文脈を紐解いていきましょう。

  • 日本人なら誰もが知っている「天の岩戸」伝説に関係する神々と地主神である「九頭龍大神」が祀られている

  • 雨乞いの神、一龕龍王が祀られている

  • 修験道の神、飯綱大明神が祀られている

  • 鬼が棲んでいる

  • 元々は神仏習合の寺だったが、明治時代に神仏分離で神社になった

  • 険しい岩山は修験道の霊場として栄え、その修行の跡が山々に刻まれている

  • 江戸時代からは鬼神(怪)を除ける瑞獣白澤の札(怪避図)を刷り配っている

  • 政治や財界にも大きな影響力を持ったという霊能者「姫野公明師」の建立した寺院や神社、公明師の霊廟がある

  • 全国六十六の一の宮が祀られている

それぞれの文脈から何を思ったか、自分はどの文脈に関心を持つか、そしてその文脈を抜きにしてこの地からどんなことを感じるか、そんなことを大切にしながら「聖地」を歩いてみるのも良いかもしれませんね。
感じたことに意味づけするのはあなたです。

神気に満たされた杉並木の参道

祭神:天手力雄命(天の岩戸伝説)


天照大神がお隠れになった岩戸が下界に落ち、それが戸隠連峰と言われている。
孝元天皇5年(紀元前211年)に天手力雄命の子孫がこの地に命を祀ったとされる。
天手力雄命の本地仏は聖観音菩薩とされ、現在は千曲市の長泉寺に安置されている。

アマテラスがお隠れになり、暗い闇に包まれた世界を、神々が力を合わせて光があふれ生命の輝く場所へと取り戻した「天の岩戸伝説」をこの地はとても大切にしています。
天の岩戸伝説に関係する鶏を神聖視し、衆徒や旅人に鶏肉や鶏卵を食べることを、かつて禁じていたほどです。
戸隠で宿泊される際は、深山の闇との対比で朝日の輝き・生きている実感を感じられるといいかもしれませんね。


祭神:九頭龍大神(地主神または鬼とされる)


古くから祀られていた農耕を司る地主神「九頭龍大神」を学問行者が平安時代、法華経の功徳でこの地に封印した。
学問行者は849年に「戸隠寺」を建立したと伝えられる。その後、「戸隠山顕光寺」となり、奥の院には聖観音菩薩が祀られていたが、明治維新の神仏分離で菩薩は千曲市の長泉寺本尊、仁王尊像は長野市の寛慶寺に移され、顕光寺は「戸隠神社」になった。

長野県では各地で龍神が祀られていたり、伝説になっています。
諏訪大社の元々の祭神が蛇神であったり、竜の子太郎で有名な上田の小泉小太郎、地底の維摩国から浅間山の麓へと生還したが、蛇身となってしまった甲賀三郎など。
古代神である龍神が鎮座する戸隠の地でそのエネルギーを感じてみてくださいね。


祭神:一龕龍王

黒姫山にある種池の主で、旱魃の時に種池の水を汲んで雨乞いをすると雨が降るといいます。


祭神:飯綱大明神(飯綱権現・皇足穂命)

戸隠近くの霊峰、飯綱山は皇足穂命(保食神)が降臨した聖地として崇められ、奥社にも飯綱大明神として祀られています。
飯綱大明神の本地仏は延命地蔵菩薩といわれています。


戸隠山の鬼

  • 九頭龍大神・・・九つの頭と龍の尾を持つ、九頭一尾の鬼

  • 鬼女紅葉・・・第六天魔の力を持つ鬼で戸隠に流れ棲み、平維茂に退治された

  • 九生大王・・・観音菩薩の助力を得た吉備大臣に退治された

  • 身の丈一丈の鬼・・・源満仲に「鬼切」と後に呼ばれる太刀で退治された

  • 一夜山の鬼・・・戸隠山近くの水無瀬に棲む鬼で天武天皇に滅ぼされ、地名は鬼無里になった

  • 官那羅・・・国外から来て戸隠に棲みついた鬼で、熱田大明神と諏訪大明神の助力で満清将軍に退治された

  • 悪童丸・・・戸隠明神の申し子として越後で生まれたが、戸隠に追放された後、酒典童子(酒呑童子)となって大江山に棲み、源頼光らに討伐された

九頭龍大神のような土着の鬼神から渡来人を想像させるような鬼、たまたま流れ着いた鬼など、さまざまな鬼が各時代に現れたようです。


山岳信仰:修験道の霊場


人里離れた深山の岩場は室町時代には比叡山、高野山と並ぶ霊場になった。
開山の祖は役の行者で、飯縄山で修行していた学問行者が天手力雄命と九頭龍大神の神殿を造ったと言われている。
天台宗系・真言宗系の修験者がいたが、後の争いで天台宗系が勝利し、真言宗系は滅びる。
戸隠山顕光寺も天台宗の寺院として明治時代まで存続した。
修験者が修行した洞窟や霊窟三十三窟が山中に確認されている。

学問行者が飯綱権現の導きで三十三窟に相応の御仏尊像を安置して霊窟を開きました。その後、長い年月の中で三十三窟は失われてしまいましたが、姫野公明師が挺身隊とともに命懸けで昭和初期に公明師の霊能力で探索して再興しました。

想像を絶する過酷な環境で修行することで法力・神通力を授かる修験者たち。
このページのカバー写真にしている戸隠連峰の龍背のような山頂を疾る修験者を想像すると、ここで超自然の力が身に付く気がしませんか?


戸隠流忍術

「戸隠流忍術」のルーツとしては、800年前に遡りますときは養和元年(1181)、木曾義仲(きそよしなか)は、平家軍と一戦を交えました。
その戦いの際に、義仲の家臣として加わったのが仁科大助(にしなだいすけ)です。大助は、古くから戸隠や飯綱で修験道の修行をして、さまざまな技を身につけていました。
そして、寿永3年(1184)、義仲が討ち死にしたあと、伊賀に逃れて、さらにそこで伊賀流忍術を習得してから、戸隠の地にふたたび戻って、戸隠流忍術を開きました。別名、戸隠大助と呼ばれる彼こそ、戸隠流の開祖です。
戸隠流忍術は、開祖以来、脈々と受け継がれ、いまは初見良昭先生が34代目の宗家となります。
忍術と言えば、伊賀流、甲賀流が有名ではありますが、古武道としてその技が伝承されているのは戸隠流だけです。

信州戸隠ちびっ子忍者村ホームページより

修験者の中には忍者として乱世の闇を生き、歴史を作ってきた人々もいるようです。
戸隠での体験は時空を超えたロマンに想いを広げる機会にもなるかもしれませんね。


瑞獣白澤


中国発祥の神獣白澤の札が江戸時代から戸隠では配布されている。
白澤は人語を理解し、世の天下の鬼神についての情報を伝えることで鬼神による災厄から人を守る瑞獣である。
旅中の災いから守ることから山岳信仰と関連が深いと考えられている。

遠い遠い昔、中国の黄帝に鬼神(怪)についての情報を伝えた白澤。
生命を賭けた修行に挑む修験者にとって山中の怪から身を守るための助けになったのでしょうね。
近くに怪無山があるのも興味深いです。
私たちに近寄る怪からも白澤はきっと守ってくれることでしょう。


姫野公明師:最後の戸隠修験者

政財界の大物や宮家ともつながりのあった尼僧で、数多の伝説を残している。
姫野公明師が開山した神仏習合の公明院は、戸隠天命稲荷神社、怪無山、飯縄山と太陽の運行に一致して直線上に配置されている。

沖縄返還交渉を陰で導いたと言われる姫野公明師。
師が建立した公明院と戸隠天命稲荷神社にもきっと意図があるはず。
公明院には師の眠る霊廟があり、戸隠エネルギーの一部としてこの世を守っているのではないでしょうか。


日本六十六社一の宮祭神

「天下泰平」、「国家安穏」、「一切衆生」、「平等利益」を願って安置された六十六国の一の宮が遺跡として存在していましたが、これも公明師が再建しました。
これらの宮をお参りすることは全国六十六の一の宮をお詣りすることになります。


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