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心地よい風に吹かれて、魚と戯れる

時間に追われることもなく、朝陽が登るのを全身で感じて始まる一日は、最高に気持ちがよい。アラームで叩き起こされるのではなく、睡眠のリズムや鳥のさえずりで目覚めるのも好き。

さて、梅雨が明けて、楽しみにしていた釣りの季節がやってくる。

うみ。

故郷。

私にはもともと、(わかりやすく言うと)「のどかな the田舎の故郷」がない。今までは全国各地、旅をしながら&仕事がてら旅をしながら、第二・第三の故郷をつくっていた。久々の海は最高に嬉しかった。帰ってきた感が、心地よかった。

今回はそんな旅を、日記として書き留めておこう。備忘録的な、目的地もなにもないヒトリゴト。


おとなの遠足のはじまり

「AM04:00現地集合」

ワクワクする。遠足のようだな?!と思ったら、本当に眠れなかった。仕事が終わって仮眠を取ろうとするけれど、睡魔さんはやってこなかった。彼らは、肝心なときにこない。

AM00:00
諦めて、出発。伊豆に着いたら、寝よう。そんな軽い気持ちでいた私は、時を戻したいとさえ思い、なんとしてでも寝ておけばよかったと。

「初めての、オール、釣り」が決定。

オールは夜勤をやっていた7年ぶりくらい。朝陽をぼけえっと眺めながらの出船。目は閉じようとするのに、太陽は美しかった。指で無理やり瞼をこじ開けてみたら、綺麗な空だった。

寝起きの鳥たちがいて、朝の空気に溶けながら、物思いに浸っていた。頭はホワンホワンでよくわかっていないけれど。ポイントまでの約20〜30分、自然に身を任せながら、ただただ「生きている」をしていた。風が心地よい。

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停泊して、皆が一斉に仕掛けを始める。ああ、もう始めているな、私もやるか。

だめだ。

波がゆらゆら、だいぶ荒かった。やめてくれ、と何度も心の中で叫んだが、やはりやってきた船酔い。これには勝てなかった。船長が、はよ寝ちゃったほうがいいよ。と心配してくれた。

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今回の餌は、桜えび....ではなくコマセを小さな針につける作業。大きくて立派な子を選び、尻尾を切り、生きてるエビに見えるように針に通す。瞬時に死んだ。

でも頑張る、早く釣りたいと耐える。
坊主(一匹も釣れないこと)はいやだ。大きいの、たくさん釣りたい。

自分のことで精一杯だったからか、お魚がかかっても全然気がつかず、一匹目は船長に教えてもらう。

おやすみなさい

「おはよう。寝起きが船上も、いいな。」なんて思いながらも、寝てたことを何もなかったかのようにそそくさと再開する。バレているのに。

釣れた。寝る。釣れた。寝る。を何セットかして、いい状態をキープできるようになった。学び。普段はこんな酔い、ないから。

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後半戦は調子が良かった。
引きがいい元気な子たちがたくさんかかってくれた。今釣れてるのは、イサキ、メジナ、サバ、、どの子が連れるかわからないのが、五目釣りの醍醐味。

ツーショットを撮りたく捕まえようとするけど、ケースから飛び出し足元に逃げる。船中にバチバチ響き渡るほど暴れ回る魚と、一人格闘し続ける。「もう、ちょっとおちついて!!」とお魚に向かって言うらしい。

引きの瞬間の動きがそれぞれ違っていて、「あ、◯◯がかかった」とわかる場合、お目にかかるまでのお楽しみの場合と。魚はどんな気持ちで針に引っかかって、何を考えながら釣られるんだろう。

人間にはわからないことが気になるし、聞いてみたくなる。

約六時間の釣果はこんな感じ。

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お刺身、塩焼き、煮付け、味噌煮、フリット、味噌漬け、あとなんだっけ。

ダイニングテーブルに乗り切らないくらいの魚を、一つも残らず丸っとお料理にしていただいた。最高。

たべものを獲ること

連れた子に名前をつけ、お喋りを楽しみ、これから一体化することを伝え、暴れる様子に申し訳ないなと思う。釣ったのは自分なのに、食べずに飼いたくなってしまうのが、厄介。

帰宅してクーラーボックスを開け、名付けた子たちと再会をする。さっきまで元気だったのに。

感謝を伝え、友達ということを脳内メモリから消去し、モードに入る。20匹くらいの子たちを、下処理して鮮度を保たせる。頭を落とし、内蔵を取り、命をいただく支度を、丁寧にする。「ああ〜これから産卵だったんだねぇ。」「君がアニサキスか...!」「脂肪のつき加減いいねぇ」なんてひとりごと。

たべものをとって、調理して、いただく。この流れは自分の中で

「いきてる」

をより実感させてくれるもの。

スーパーで売られてるものは、いつどこで取れたか、どんな状態だったのかが全く見えない。この魚が、どんな姿をしているのか見たことがない人もいる。お金を出せば何でも買えるような、ポチるだけで自宅に届く時代だからこそ、自分で獲ることで有り難みがわかる。漁師さん・生産者さんがいるからこそ暮らしが成り立ってることが実感できる。ひっくるめて、豊かさを実感できる。

身の周りにある当たり前と思いがちな日常には、当たり前なんてものはない。恵まれているから今があることを忘れずにいたい。そして今は健康でも、いつ何が起こるかわからない。

もしもある日突然、この世から "日常" がなくなったら。。

起こりうることを想定しつつ、今ある目の前の幸せを噛み締めながら、人と人の繋がりを深め、面白いことをして歩んでいきたい。自然に触れると、生き方にリンクされる。

次回は、来月かな。大きいの狙いで。


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