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意気揚々と独立のはずが…


マドンナの影響でヨガを始めたわたし。
直感とひらめきでいいと思ったことは、すぐやる!
ヨガを伝えはじめて、順調にお客様が増えていきました。
流れの中で、独立を考えることに。。

そして、独立を考えたわたしを待ち受けていたのは、まさにどん底でした。


辞め方を完全にしくじった


もともと身体を動かすのが大好き、人に伝えるのはもっと好き。

結婚、出産を経て、ブランクはありますがフィットネスインストラクターをしていました。

わたしがヨガを始めた2004年は、日本では健康的なイメージはなく、宗教的なマイナスイメージも残っていました。
体験レッスンに来る方から「母親にそんなとこ行って大丈夫?」と言われた方もいるくらい(ちょっと極端かな?)

わたしの住むまちでは、普及していない分、競合相手も少なくて生徒さんは順調に増えていきました。

独学でヨガを教えていたわたしは、やはり必要だという事で、同時にティーチャートレーニングも受けていました。
インプット、アウトプットの心地よいサイクルで、お客様とのコミニュケーションもはかれていて、順調そのものでした。

最初は、生徒さんも増えていくし、ビジネスとしてもいい方向だったので全てが順調にいくかのようにみえました。


しかし、生徒さんが増えていくのとは、反比例してだんだんオーナーとの関係性が悪くなっていったのです。
わたしの考えるスタジオの将来とオーナーの考えに、不一致が生じていきました。

そんな時、友人からヨガスタジオに最適な物件があってね。という話を聞きました。

独立するという考えは、当初頭の中にはこれっぽっちもなかったけれど、少しずつこの場所にいる意味を見失い、自分の居場所を自分で作りたいという思いが強くなっていきました。

そしてここからが、しくじりの始まりです。
そんな独立したい!という思いに感づいたオーナーから理不尽な無理難題をつけつけられたのです。

2005年1月
わたしは、ボロボロでした。

夜寝ているとうなされ、胸が苦しい。自分の寝ている上に誰かが乗っている。今、目を開けないとずっと乗ったままと思い、夜中に無理やり、恐々目を開けて起きたり、食事が喉を通らない、という現象。

能天気で、楽観的なわたしが、かなり追い込まれてしまいました。

この日々は、後にも先にも一番苦しい思いをしたなぁと思います。


ついに自分のスタジオをオープン


2005年2月
不安で不安でしょうがなかった1月。
とにかくオープンは、2月1日に決めていました。

本当にお客さんが来てくれるのか、心配でしたが、もうここからは覚悟を決めていました。

今でも忘れません。最初の生徒さんが来てくれた時のことを。
蓋を開けるまでは、正直ドキドキでしたがこれで、わたしは吹っ切れました。

ここでやっていくぞ!この初心を絶対忘れないようにしようと心に誓いました。

ここでは、新しい生徒さんたちに恵まれて、以前の生徒さんの中にも引き続ききてくれる方もいて楽しい日々でした。

この場所は、とても気に入っていたのですが、ビルの持ち主の都合で移転することになり、次の場所を探すこととなりました。

そして、次の場所をまた引っ越し、行き着いたのが今の自宅スタジオとなります。



そして、今のわたし


こうして書いてみると、その時その時の自分の決断を信じてきた良かったと思います。

いろんな出来事があって、乗り越えたから今ここにいる。
あの居心地の悪さをくれた人にも感謝できる。

今は、チャレンジしたい事に、なんでもチャレンジできてそれを試せる環境がある。
それを作り出せたのは、自分を信じたこと。そして出会ってきた人たちとのつながり。

わたしが変化に臆病になって諦めていたら出会わなかった人たちともつながれている。

・ヨガとジャイロキネシス®︎のかけ合わせ
・英語ヨガの学びの継続
・ヨガ×クッキングワークショップ

この三本柱を継続していこうと思っています。
自分が夢中になれることをこの先もずっと続けていこうと思っています。


次回は、ヨガを始めるきっかけを話していきたいと思います。
どうぞお楽しみにしていてください。




もっとyoriのことを知りたい!
と思ってくださった方は、こちらをご覧くださいね。

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