天雷无妄が示す道
易の卦の中に「天雷无妄(てんらいむぼう)」という卦があります。
問いに対する答えを、ある意味容赦なくはっきりと伝えてくれる易の卦の中でも、この卦は私にとって異質なものとして認識されています。
「〇〇するのはどうか?」
という問いに天雷无妄は、「期待をするな、作為をするな。ただ全て天命に従い、自然に委ねなさい。」と伝えてくるのです。
どうしたらもっと良くなるのだろうか?と日々考えて行動する人間的な努力や自己研鑽の一切を否定するかのようです。
天雷无妄の卦の彖伝には、このように書いてあります。
大いに亨(とお)りて正しきは、天の命なればなり。それ正にあらざるときはわざわいあり、往くところあるに利ろしからずとは、无妄の往くは、いずくにか之かん。(一部抜粋)
天命に従えばその道は大いに通る。天命に従うことが天雷无妄の卦において正しいことである。しかし正しくなければわざわいが起こる。
目の前の事柄に悩んでいる人に、「天命に従いなさい」という言葉が答えになるんだろうか。あまりにも壮大すぎるのではないか。でもこの卦が立ったのです。どう伝えよう、と私はいつも考えます。
現実的な悩みの数々は、ある意味天命がわかればすべて解決するようなものです。私はなんのために生まれてきたのか。何をするためにここにいるのか。それが知りたくて、たくさんの人が悩んでいるようにも思います。
「天命」とは、一体何なんだろう。それを教えてほしいのに。私はクライアントさんの代弁者として、天雷无妄と対峙するのです。
易は、抽象度を極限まであげて世界を包括しています。高い抽象概念こそが、易学の本質だと思います。
わからなくなったとき、それは、私たちは分かれ分かれになった枝葉の先にいるとき。分かりたいと思ったら、根幹にかえらなくては。
易の根幹となる抽象度の高いものは記された言葉ではなく、陰と陽の記号でつくられた卦の形そのものです。わからなくなたら象をみる。そう師から教えていただいたんだった。
すべて陽で構成される天の下に、陽、陰、陰で構成される雷。それは、天からの落雷。
天から雷が振り落とされるとき、雷はその場所を意図して選びません。良い場所だ、悪い場所だ、良い人だ、悪い人だ、そんな解釈や感情を挟むことなく、ただ落ちるのみ。落ちた場所がその場所だった、それが自然のあり方なのです。
自然の振る舞いは、残酷なほど無作為です。
朝が来て、夜が来て、そしてまた朝が来る。天の星々は、一定の法則のもとに回転運動を繰り返す。どこかで人々が傷つけあい、どこかで人々が幸福に包まれるとき、忖度なく自然は猛威を振るい、お構いなしに地球は回り続けています。
天命。
私たち人間は、そんな自然のあり方を本当に体現できるのでしょうか。
天雷无妄の卦を何度も見ながら、私は考えていました。もしかしたら、私たちは大きな勘違いをしているのかもしれない。
この世界に生まれ、生きる意味、大きな使命を天から与えられていて、それこそが天命だと思い込んでいるのではないでしょうか。
天命を与えられた可能性がないとは言わないけれど、これが天命だと自覚できる人はあまりにも限られています。
有名人が時々インタビューで「これが天命だと思った。」と語るその経験は、誰にでも起こることではないのです。
そしてそれは、そう思った、そう感じた、そう解釈した、というだけのことなのかもしれないじゃないですか。なんて言ったら、あまりにもロマンに欠けるかしら。
でも私は、この卦を上辺だけの美しい言葉でわかったように説明をしたくないのです。天命という言葉には、それくらい人を酔わせる力があると思うから。
天命。それは天の理に従って生きること。天から与えられた命を自然のままに生きること。それを現実的に考えてみたいのです。
目が覚めたら起きて、眠たくなったら眠り、
おなかがすいた時においしいと思うものを、身体が受け付けるだけ食べる。
のどが渇けば水を飲む。
疲れたら体を休め、動けるときにはよく動く。
楽しければ笑い、悲しければ涙を流す。
手の届く範囲の人と、手の届く範囲のもので生き合う。
そんな当たり前のことさえ、今の私たちにはできなくなっています。
大それた天命を探し続け、それをようやく見つけ、天から与えられた使命に従うことを目指す前に、私たちがどれほど不自然な生命体になってしまったのかを考えよう。
自然に従って生きるって、せめて太陽の光をあびて、月の光のもとで眠ることぐらいできないかなぁ。そんな落としどころを、私は今もまだ曖昧な気持ちの中で咀嚼しています。
今日、自分自身の問いで一つの卦を立てました。
「私がよりよく生きるために、今できることは何ですか?」
天雷无妄、九四。
貞にすべし。咎无し。
何者かが微笑んでいるのか、それとも嘲笑っているのかな。
天雷无妄を理解したいのなら、自分の人生でそれをすることだ。
そんな風に、私は言われたような気がしています。