雨の中の光
久しぶりにお日様が顔を出して、窓際の陰影をつくりました。雨があがるのとリンクするように、私も坎のときを抜け出しかけています。
坎とは、東洋の古典「易経」で水のことを指します。
坎という抽象度の高い象徴の中に、たくさんの情報が閉じ込められているのだけれど、陥る、落ちる、穴、困難…など、少し厳しめの言葉が並びます。
二つの陰の間に一つの陽が挟まれている符号が表すように、どうしても気持ちは沈み内側に向きやすいのです。
でも坎の尊さはそこにこそあって、苦しい時は自分の内側を見つめたり、深く学び掘り下げたりすることや、表にでなくても心の内に誠実さや信念を失わずにいることの大切さを教えてくれるのです。
大雨の時期に重なって地震があったことから、易の水雷屯(すいらいちゅん)という卦を発動し、そのことをFacebookやInstagramに書きました。
これは、梅花心易という美しい名前がついた易学的読み解き方です。
自然に起こる現象に心が動かされたときや、ある現象が繰り返し目の前に現れるときなど、その関連性のないような現象が何らかのメッセージを伝えてくれているととらえます。
不思議で怪しく思う方もいるかもしれませんが、
出かけようと思ったら棚から花瓶が落ちて割れる→なんとなく嫌な予感がする
やけに同じ数字ばかり目にして気になる
息子と同じ名前の人に度々出会うので気になって電話をかけてみると風邪をひいて苦しんでいた
など、これと似たようなことってありませんか?なんとなく、確信はないけれど、私たちは誰でも外側の些細な動きを感じとりながら生きているのだと思います。
その「なんとなく」を、何千年も積み重なった智恵の集結から、東洋史観的にもっと確信をもって読み解いていくことができる。これが梅花心易です。
アトリエ・テイのInstagramではあまり書いてこなかった易学的なお話を、Instagramでしか接点のない方にも見ていただけたらと思って掲載してみたのですが、今のお気持ちや状況にシンクロしていたり、何か大切なことを思い起こしてくださったりした方々が、コメントやDMを寄せてくださったのです。
Instagramって、最近はマーケティングの戦略的な使い方も目立ち、映えること重視で実態が伴わないとか、現実とは違う見せ方で競うようなものもあったりするんだろうけれど、私の周りにはクリエイティブな発信をされている方が多くて、その風景を見ているのが好きです。
最近はInstagramから来てくださるお客さまが多く、新しい出会いの場にもなっています。
写真一つ、言葉一つ、大事に扱っていらっしゃる方から届くメッセージは、いつも本当に美しい表現で綴られているので、私もとても勉強になります。
Instagramには適さないかな?と思っていた易学的な投稿も、表現の仕方一つなんだということを、今回届いたメッセージから教えていただいたような気がしました。
道具は使い方次第。
もしかしたらこの記事を読んで、こんな自然との感応の仕方があることを知った方もいるかもしれません。
私もそうであるように、出会った言葉が誰かの世界を広げるきっかけになるのなら、シンプルに嬉しいなと思います。
忙しさにかまけてなかなか更新できなかったnoteを書きながら、もともと一番好きな書いて表現するということで、些細なことも流すだけではなくすくい上げてみようと思った次第です。
雲間から覗く太陽に少しほっとして、夏の疲れを引きずった重い体を前に進める。
雨の日も晴れの日も、重い日も軽い日も、巡りゆく日々をつくる大切な一日となりますように。