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【Little Cabinet の話③】『天才ピアニスト』><。

【1】
Little Cabinetの中心メンバーは
私フィクサーと
Hidenori 名義で活動する
石井秀憲のふたりだ。

石井秀憲
私が44年の人生で出会った中でも
掛け値なし
本物の天才である。

ピアノ演奏者として
作曲家として。

彼がいなければ
おそらく20代前半で
私はライブの舞台を降りていただろう。

石井秀憲(ひでちゃん)
馬場孝幸(馬場先生)
田澤茂(茂兄)
私が歌い続けられたのは
特にこの方々に大恩がある。

Little Cabinet を始めて
25年ほどであるが
全ステージ数は約100回くらいだろう。
1年で100回ライブをした友人もいる
私たちは圧倒的な少なさだ。

その中でも
このふたりでステージに上がった回数が
一番多い。

Little Cabinet は
30分のステージで
3曲15分
と私のMC(おしゃべり)15分
という構成であるが
MCが毎回ちょっと伸びて25分くらいになり
40分くらいのステージになることが多かった。


Hidenori は 暇を持て余していたに違いない。


Hidenori には
神格的なオーラがある
寡黙で儚げで
何よりその優しい風格と
ピアニストとして命を賭け
刹那刹那の音色に刻む
アーティストとしての絶対的な存在感。

彼のステージを1度みてしまうと
アーティストたちは放っておかなかった
私が凡人以下のヴォーカリストであったことも含め
「 あれだけの才能がもったいない 」
と誰もが感じてしまったのだろう。
Hidenori は 引く手数多だった。

これは謙遜でも卑下でもなく
悲しくも残酷な現実だった。

悔しかったが受け入れるしかなかった
Hidenori と共に上がり続けた舞台の日々で


天才の証明は一瞬
秀才の証明は一生


こんな表現が頭を過りました。


【2】
彼の作品が最初に広く知られたのは
2016年6月15日
映画「夏美のホタル」主題歌
『星の中の君』
Uruさんという
素晴らしい女性ヴォーカリストのデビュー曲だ。

彼のピアノ演奏で
僕が個人的に一番驚いたのは

© 2019 The Coca‑Cola Company. All rights reserved.
こちらは2分のロングバージョンですが
(これがまたいいCMなんです><。)

当時テレビから流れてきた
わずか15秒のCM。

the pillows の Funny Bunny
という大好きな楽曲ですが

このCMのピアノをきいたとき
Hidenori だ
と直感的に気付き
彼にすぐ連絡して
「もしかしてアクエリアスのCMで弾いてない?」

「はい弾かせてもらいました~」←儚げでおしとやかな小声

私はミュージシャンとして
そこまでいい耳を持っているわけではありません。

わずか15秒のCMで人様の楽曲でも
わかるもんなんですね。
音楽の不思議な奥深さと
ひとことで言えば彼の才能でしょうか。


彼の演奏を最後に聴いたのは
2023年2月10日
ミュージックステーション
通称:Mステ
テレビ朝日さんで1986年から続く
タモリさん司会の生放送音楽番組
(同一司会者の生放送音楽番組の最長放送として
 ギネス世界記録に認定)

メジャーデビューを目指すものが
憧れる最高峰の舞台。

登り詰めたんだな
ひでちゃん

彼にとってはもちろん登りの途中なんでしょうが
僕は当時こう感じ喜んでいました。


【3】
2004年
私がBAY JUNGLEの社長となり
ザ・グレート・サスケ先生の秘書となり
三浦和義さんの映画製作のお手伝いをし
エスパー伊東さんの地方営業のお供をし
織田無道住職の数珠の販売をお手伝いし
(1つも売れなかった)
ジャイアンに怒鳴られまくっているときも

総師範と出会い
ニコニコ生放送でゲームをしまくり
ドラゴンクエスト10放送で
グレン21サバの井戸でダイス賭博を始め
天魔にギガスラを打ち
ゲームマスターと戦い
フィクコロで連日喉を潰し
フォン・バルディと100億ゴールド取り合い
スノーベル姫から求婚され
サンシャイン小池崎として部屋で叫んでいる間も
ずっと


ひでちゃんは
ピアノと向き合い
作曲と向き合い
多くのアーティストとセッションし
ただひたすらに音楽の道を歩んだ。


差が出て当然である。


僕は彼を仲間のひとりとして
友達として
Little Cabinet の 相棒として
彼の活躍を陰ながら見守っている間中

どうしても心配になっていた。

彼が厳しい業界や
多くのしがらみ溢れる世界
私も芸能界で仕事をして約20年
華やかな世界ならではの舞台裏の苦労
理不尽で不規則で異常な競争社会
本当に彼のような
純粋で音楽以外何もできない
貴公子のような少年が
上手くやっていけているのだろうかと。

私の実力不足によって
同じ道を一緒に進めなかった
無責任さの中にも
どうしても心残りであるものが多くある。


優しさとは大事なひとから
もらってばかり
だからいつかは返したい
ひとつ叶えてはまたひとつ
それまではきっと

そんな歌詞が数年振り頭をめぐる



【4】
彼と僕が共に制作した
最新の楽曲に(最後のって書こうか迷ったがやめた)

彼が私の結婚の記念に作ってくれた
「 あの約束を今 」という作品がある。
リスナーの皆様が買ってくださったCDの6曲目。

プロの作曲家として活躍していた彼に
メンバーとして甘えるわけにもいかず
相応の作曲制作料をお支払いした。

しかし
彼はすべてご祝儀でそれを返してきた。


こいつがそんな気の利いたことを
するやつだったのだろうか。
無粋なことなので確認はしなかったが
彼を長年サポートする上品で奥ゆかしい
彼のご家族のご配慮であったのではないかと
ひそかに感謝している。


今月中
数年振りに
Hidenori と会うことになった。

『 Fixer 』
作曲:Hidenori
作詞:小池隆一郎

ここが今 僕が夢を見上げる場所
その夢から 僕の場所は見えるはずもなく

積み上げ過ぎたよ
「どうしてもこれだけは」ってこと
わがままなだけだった

だけどみんなが
優しくしてくれていたから
甘えてしまったよ

生涯守ると決めた約束も
意久地なさを覆い隠す意地止まりなだけ

だけど今 僕が夢を追う戦場で
逃げ惑う姿を見せたくはなくて
これが今僕を立ち止まらせる理由で
心構えまだ弱く銃撃の戦地の中


20年経った今でも
一文字も忘れることもなく

しっかりと歌詞を書き込めるものだ。

私は誰よりも
Hidenori が作ってくれた曲を
たいせつにしている自信がある。


これからも色々な事業や活動
様々な肩書で仕事をするだろう

やはり最後は
作詞家として活動したいものだ。

あと1度でいいから
Hidenori の曲に詞を書きたい。


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