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【Little Cabinet の話①】『勇者フリーソザイ』><。

【1】
音楽のイベントの司会を何度かさせていただいた。
一人前の司会者を目指す修行というのではなく
自分のバンド活動をするにあたって
人脈や広がりも持てればということでやっていた。

実に好感の持てない理由である。

バンドをイベントに誘ってもらいたかったが
バンドとしてお声がかかることはまったくなく
少しさみしかった><。

僕はLittle Cabinet(リトルキャビネット)
というバンドをやっていた。

いやまてよ
活動はしていないが解散もしていない
なので今風に表現すると

『僕には Little Cabinetというコンテンツがある』
いまのところ動きはない。

これが最適解だな。


【2】
20数名から30名くらい元メンバーがいる。

いやまてよ
解散してないから今もメンバーと言えなくもないが
真剣に音楽活動を続けて売れているひとたちもいて
「ひさびさにライブやりたいから演奏きてくれよ」
と連絡できる関係はあるから

ひまなら演奏してくれるぶらざーがいる。
(メンバーというかぶらざー)

これが近いな。


自分から積極的に
「私は Little Cabinet というバンドで演奏させてもらうこともあります」

というミュージシャンはこの世にひとりもいない。
おれの世界にはいるが
現実にはいない。

かなしい話だが
ひとりもいない。

この話はやめよう。


まとめると
メンバーというか

『僕と一緒にリトキャビの曲をステージで演奏してくれるぶらざー』

これが最適解だな。

まぁみんな大人だしギャラは必要だろう。
断じて金で繋がりうるだけの関係ではない
思い出を分かち合い
音楽を愛するもの同士
リトキャビの光に
導かれなんどでもめぐりあうぶらざーなのだ

これが真実だな。

ちなみに
彼もメンバー兼ぶらざーだ。

フリー素材 大川竜弥 
多分アルファ・ジャパンプロモーション所属

【3】
様々なメディアに登場した
フリー素材 大川竜弥
彼と私は共に音楽活動をした仲間であり
共にライブハウス「BAY JUNGLE」を運営したぶらざーである。

しかも偶然にも
株式会社アルファ・ジャパンプロモーションに属している。
これまた奇遇にも
ザ・グレート・サスケ先生の
秘書が私フィクサー
マネージャーが彼なのである。

不思議な縁である。

しかし私は気付いていた

彼のメディアへの
露出が多くなり 大きくなり
有名な会社のCMや広告で使われるようになり

なかったことにしていると。

私とジャイアンのことを><。

ザ・グレート・サスケ先生とのことは
尊敬していてよくメディアでも話している。

間違いなく
おれとジャイアンのことは
なかったことにしようと今でも日々薄めている最中だ。



そりゃそうか。
当然である。


ちなみに彼が
ドラクエ11で遊んでいた時の勇者の名前は

フリーソザイ

ドラクエも時代が進み主人公につけられる文字数も4から6になった。
4文字の時代にはなかった活動方法で
6文字の時代に生まれたフリー素材という分野の先駆者
勇者 大川竜弥

きっと4文字時代には
勇者「たつや」だったに違いない(僕は「りゅう」)

彼がまた
私と共に同じステージに立ってくれる日は来るのであろうか


【4】
私は思い出を大切に生きていきたい
最後に
彼と私が同じリトキャビであることの証をここに提示しよう。

一番右

私の放送でよく流れていた
ここがいまーの写真である。

私が歌い
共にステージに立ってくれた人は
みんな Little Cabinet だ。

他のバンドは知らないが
Little Cabinet はそうなのだ
いままでもこれからも。

上の写真を見ると
そうなるとあの方も
という話になるが

そういう無粋な話はやめておこう

それはそれとして
なんで急に Little Cabinet の話になったのか

それは
昨日の2024年6月6日
一昨日2024年6月5日
この2日間で親友たちに会ってきた。

25年前
冒頭でふれた
私が司会をしていたときの音楽イベントで
出会った ふたりの親友の話をしなければなるまい


それはまた次回の話で。



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