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生きることの意味

 最近読んだ本に”この世に存在してる全てのものには本来何の意味もなくて、ただ人間が自分たちに都合いいようにあとから意味をつけてるだけだ”って感じのこと書いてた。

それで思い出した大学時代のエピソード。

 わたしは医学部出て管理栄養士になったんだけど、4年生の時ラットを使った実験してて、いつも22℃に保たれてる動物室に入ってラットの世話をしてた。同じ22℃でも夏入れば涼しいし、冬入ればあったかい。室外の気温によって感じ方が違うのね。でも22℃はやっぱり22℃でしかないわけで、それを涼しいとかあったかいとかって感じるのはわたしが勝手にそう判断してるだけ。

 同じ人のこと、いい人って言う人がいればいやな奴っていう人もいる。その人はそのままのその人でしかないのにね。どうしてわたしたちはいつも、何かに意味や価値をつけてはそれにふりまわされるのだろう?

 意味をつけることで幸せになる人もいれば不幸になる人もいる。・・・何のための意味づけ?

 確かに、ありのままをありのまま受け入れるってとっても難しい。自分自身にしたってそう。でも、ふとした時に”そうか、わたしはありのままのわたしでいいんだ”って気づく時が来る。その時に、人は自分のことを好きになれるし、自分が生きてる今を、愛おしく思うんじゃないかな。

 -もし、鯉のぼりたちが風にはためくことに意味を見つけようとしてたら、5月の空は息苦しいかも。

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 2004年5月5日に書いたブログの記事。15年経った今読み返して思うのは、「ありのままをありのまま受け入れる」って、そのことの意味を考えなくていいんだなってこと。

 少し前のわたしは自分が生きることの意味を見つけられなくて、動けなくなっていた。でも、それじゃあ今まで47年間生きてきた中で自分が生きることの意味をどれだけ意識してきたのか?というと、そのうちのほとんどは意味なんて考えてなかった。ただ今日というかけがえのない一日を大切に生きる。その積み重ねが人生なんだなって。

 最後に書いてる「もし、鯉のぼりたちが風にはためくことに意味を見つけようとしてたら、5月の空は息苦しいかも。」という言葉。そもそも鯉のぼりに感情はない、と言ってしまえばそれまでだけど、とても的を射てるように思える。もともとは「何のための意味づけ?」というタイトルの記事なんだけど、その最後をこういうクロージングでしめる感性が15年前のわたしにはあったんだな・・・。そしてまさにその最後の言葉に、今のわたしがグッと来ていて。

 意味づけしないということと、意味がないということは違う。生きる事の意味を考えるよりも、生きている中で日々自分の中に生まれる感情を大切にしていこう。

 ・・・あ、なるほど。”ときめくかどうか”を取捨選択の基準にしているこんまりさんの片付けメソッドはものすごく理に適ってる。悩んだ時は、感情を基準にして行動しよう☆

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