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子として生まれた幸せ

 去年1年オーストラリアにワーキングホリデーにでかける前、わたしは自分のことが嫌いだった。中学・高校・大学と、いわゆるエリート街道進んできたくせに社会人になりきれずにちゃんと定職につくこともできないでふらふらしてたわたし。何より親に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった・・・。  

 でもオーストラリアで、○○さんの娘でも、××さんのお嫁さんでもない、ただの一人の人間として生活できたことで、わたしは自分に自信を取り戻すことができた。自分という人間を、ありのままに受け入れることができたのだ。    

 そしてそのことで、それまで見えてなかったたくさんのことが見えるようになった。今、わたしは自分のことが大好きだ。生きている毎日が、本当に嬉しい。・・・心からそう思えるようになってはじめて、母の日の感謝の気持ちが本物になった気がした。  

 お母さん、わたしを生んでくれて、本当にありがとう。お母さんの子に生まれてよかった(^-^)。わたしもいつか、自分のこどもに、そんなふうに思ってもらえるお母さんになりたいな。  

 親が子に与えられる一番の幸せ、それは命そのものかもしれない。 

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 2004年5月9日に書いたブログ記事。たぶん母の日だったのだと思う。あれから15年経って、わたしはバツイチ子なしのおひとりさまに。今回の人生でこどもを産むことはなさそうで、お母さんになることもないと思われる。

 でも、実際に我が子がいなくても、自分の中に確実に母性はあって。今この瞬間にもこの世に生まれてくるこどもたちのために、自分は何を遺せるだろう?って考える。

 多かれ少なかれ、みんな成長していくにつれ大なり小なり悩みを抱えて生きていくわけで。たとえばこれまでの人生を通してわたしがネットに書き綴った言葉が、いつか誰かの心に優しく寄り添えるかもしれない。

 言葉は、残るもの。だからこそ、書いてすぐに誰かの反応が得られなくても気にすることはない。誰かの”いつか”のために、自分が大切にしたい言葉を遺していこう。先祖代々脈々と引き継がれてきた命のバトン、自分が誰にも渡せないならなおのこと、生きた証を遺そう。

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