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子どもの発達をどう見るか

先ほどの続きです。

ならば、

もし
20年前の私が

周りの人に

ダイちゃんの成長遅くない?
ちょっと問題あるのでは?
どこかに相談に行ったほうがいいよ?

と言われても

いやー、まあ、
そうですねー
でも、大丈夫です。

この子の成長具合に合わせて行きます
この子なりの成長にじっくり付き合います

と言っていたら
どうなっていたか?

その前に
私にはそう思ったとしても
そう言い切る勇気はなかっただろう

日本人気質として
同調圧力から逃れるのは
かなりのエネルギーは必要だろう

みんなと一緒にやれないのはどうなの?
迷惑じゃない?
親としてあれでいいの?
ちゃんと教育、躾、すべきなのに

という
声なき声が聞こえてくるだろう

それすらも
突き詰めれば
私の内側からくる声

私が無理って思ってた
この子を受け入れるのが
私には困難だと

それは確かにそう思っていた

なんで
私のところに来たの?
なんでもっと
大らかでいいお母さん選ばなかったの?

結局、正直
めんどくさかった
でも
めんどくさいとは言えなくて
嫌々でも頑張るしかなくて
頑張り屋のお母さんという役割をやっていた

もちろん愛情はありました
なんとかしたい!と思っていた 
この子を躾けるのが
私の役割だと思っていました
真面目にそう思っていた、、、

でも
ホントはもっとラクに
もっと適当に
もっと大胆に

この子はこの子でいいんですー

って
怒らなくて済むような環境にして

広い場所で
一緒にいろんなことして
疲れ果てて眠るまで
遊んだって良かったんやな

真面目に真面目に考えてたけど
住む場所とかは変えられないって
決めつけてたし

でも、
ダイスケは屋根や囲いがない場所では
平和に過ごせるって
ホントは分かってたし

ダイスケより年上の子となら
平和にあそべることも分かってた

ならば
そういう環境をえらべば
親子共に息が抜けただろうな

ただひとつ
やはり正解だったのは
シュタイナー学校を選んだことです

そのお陰で
「ふつう」という概念から解放されました

点数評価からも解放された

そういえば
保育所時代は児童相談所に通っていましたが
そこでは定期的に発達検査をされました

そして出される結果はたとえば
「今3歳2ヶ月ですが
発達検査では2歳6か月レベルです」
という結果。

で?

って感じ。

それに対しては違和感を感じていたので
シュタイナー学校に入学するとき
「もう発達検査は受けない」
と決めました。

医者や検査をする人からしたら
何かしら
数値化しないと
結果を感じ取れないのでしょうね

学校の成績もそう
数値化しないと
沢山いる子供の中で
誰がどうなのか把握できない

でもそれって
完全に大人の側の
仕事としてしてる側のメリットのみ

メリットかどうかすらわからんけど

シュタイナー学校では
その子を見つめている先生が
通知表の代わりに
小冊子のような
先生方の言葉が詰まったものを
学期ごとに書いてくださいました。

評価を
先生の言葉で綴られています

それはもう宝物級🌟に大切な
先生から子供たちへの
メッセージが詰まっていました

子どもたちは嬉しそうに
親に見せてくれました

あなたの書くノートの字は
大変美しい
授業で先生が話したことを
自分の言葉でノートに綴ることができていて
あなたが深く理解できたことがうかがえます

休み時間に
前の日に話した古事記のなかの
弟を焼き殺そうとする神様たちの話について
神様って面白い、、、
と感想を話してくれましたね。
毎日、古事記の話を
目をキラキラさせて聞いています

たとえば↑このように
に綴られます。

思春期には

あなたは今
自分自身と
他者と過ごす関係性の中で
自分をどう表現していくのか
表現しないのか
深い葛藤の中にいるようですね

など、、、
いいとか悪いとかダメだとか
ではなく
先生の方も心の部分、精神の部分で
子供の心や精神を感じ取ろうと
努力されています

一人一人にです。
先生方の労力は大変なものでしょうが
子どもたちは
とても嬉しそうに読んでいたし今も宝物です

子ども一人一人の
魂の輝きを感じ取って
言葉にしてくださる

普段は言葉にはせず
見守ってくださっていました

そういうのって
子供は敏感に感じ取ります
安心感や安定感につながります

「普通」と照らし合わせて、ではなく
「その子自身の在り方」に合わせて
成長を見守り促す

綺麗に聞こえて
なんなんだ?それ?と
思えるかもしれないけれど

我が子を
そんな風に見てくれる学校があれば
先生がいれば
いいなと思いませんか?

シュタイナーでなくてもいい
大人が
そのような目で
子どもたちを見るようになれば

いろんな問題は
解決するのかもしれない

育てる親の側も
もっともっと、と、
子供に求めずに済むかもしれないし

真面目に周りに合わせる良い子
=NOと言えないひと
=自分の軸がないひと
=自信がなくて他人の意見を見回すひと
=いい人を演じ続けで疲れちゃう人
=全て私

のような人にならない

長くなりましたが
結局
偏差値
通知表
発達検査の数値結果

は、要らなくないですか?
管理する側のツールでしかない
そうではないですか?

私だって嫌です。
あなたの人としての成熟度は
何歳レベル
もっとこうしなければ、
ああしなければ、
なんて言われるのは。

なぜ、子どもなら良いのでしょう。

て、言えたらいいんやけどね。
そんな勇気を持ってもらえたらと思います。


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