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私が学校を作るとしたら

生きていくのに
必要な事を学ぶところが学校ならば

私が校長だったら
どんな学校を作るだろうか

これは今ふと
降りてきたテーマ

私が校長だったら、なんて
今まで考えたこともなかったけど
教育を受けさせる側として
色々な経験や思いがあるからこそ言えるとしたら

まず必要なのは
大人側への教育、かも。

子どもを教える先生方に
既存の教育を一旦忘れて

本当に1人の人として
自分の足で立ち
明るい気持ちで生涯を生きられる人を
育てるには
何が必要だと思う?

という事を
自分の過去も振り返り
自分が本当に受けたかった教育って?
先生に言いたかったことって?
というところを
深く考えてもらう。

そして、保護者への働きかけ
世の中の変化のスピードの速さを認識してもらい
その未来を生きていける力って
なんだと思いますか?ということ

偏差値は関係がありそうですか?
そもそも点数で子どもを評価する必要はある?
高学歴の方が有利な世の中でしょうか?

最低限
子どもから奪ってはならないものは
なんですか?
ということ。

私はその答えは

「自尊心」

だと信じています。

ではどうすれば
自尊心を高く生きられる子供に
してあげられるでしょうか
ということを
共に考えたいかなー

常識って
全く信用ならないものです

時代で変わる
国で変わる、から。

いつ、どこにいても
私は私で素晴らしい、と思えるには?

私たち大人だって
そう思えている人は
多くはないでしょう。

どこかで
自己否定をしてしまう自分と
戦っていると思います。

それでも私たちの時代は
学歴や知的能力でなんとかなった

これからは違うと
誰もが思っているに違いないのに
相変わらずの受験戦争
リクルートスーツを着て就活

未来を生きる人たちに
私たちが教えてあげられることは

ある意味反面教師的に
私は
学歴社会どっぷりで
人と競争して
自分はダメだ
自分は優れてる
そんな基準で生きて来て
とても〇〇だ

〇〇、の部分は
人によって違う

快適だった人もいるでしょう
勝ち組で。

つらかった、という人もいるでしょう
勝ち組でも
勉強ばっかり楽しくなかった、
友達ともっと遊びたかった

部活ばっかりしてたら
後で受験で大変だった、など。

そして大人になった今
自由だと感じているのか
私は私で素晴らしい、と
自分で言えるのか

偏差値がこのくらいだからこの大学
お給料このくらいだからこの会社

そんな価値観
今思うとそこに全く「自分」がいない

何点であろうと
私はこれが好き!とか

誰がなんと言おうと
私はこれを選ぶ!というような視点を
全く育てられずに、というより
潰されて生きて来ましたよね

そんなことを振り返りながら
子どもたちには
どんな人になってもらいたいのか
本質的なことを共に考えて

だから教育には
こういうことを取り入れたい
というコンセプトに共感してもらうところから
スタートでしょうか

子どもは
誰でも受け入れます
障害のある子も
環境を整え
サポートする体制を作り
普通にみんなと過ごします

シュタイナー学校では
小学生から高校生までが
共に過ごしているのは良かったなー

小さい頃は
大きなお兄ちゃんお姉ちゃんに憧れ
くっついて回って
大きくなって来たら
小さい子たちにくっ付かれて
自然とお互いに接し方を学びます

もう一つ
シュタイナー学校で良かったのは
治療教育、という考え方があって
誰しもが
治療を必要としている(弱い)部分がある
という認識

だから気の短い子もいれば
気が長くてすごくマイペースな子もいる
声の大きすぎる子、小さすぎる子、
自分だけじゃなくて
みんな、いろいろなんだ、という認識

いろんな子がいて
大丈夫っていう土壌は
子供にとって安心できると思います

ここまで書いたことは
シュタイナー学校では
大人たちはそのような関わり方をしていました
できる限り、、、

どの子もみんな
私たち大人の、
私たち社会の希望🌟

どの子もみんな
あらゆる可能性がある存在🌟

未来を生きる人たち🌟

その子らしく生きていける場所を
大人みんなで作ろう❗️

っていう感じの学校がいいな。

そんな学校ができたら
ダイスケは絶対必要な人です

彼は人の顔と名前
家族関係
車の車種からタイヤの種類(笑)
全て覚えてくれるので
セキュリティチェックはお任せ🌟

そして大型免許持ちなので
マイクロバスでの送迎も可能。

学校のメンテナンスから
近所付き合いまでこなしてくれるでしょう。

夢のような話ですが

面白いワクワクする妄想でした😊

私はいつかダイスケとペアで
何か
人のお役に立つ仕事をする

そんな気がしています。



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