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琵琶のブームと大衆受容について


琵琶ブームの着火はイケメンイケボの永田錦心氏


大正時代に空前の琵琶ブームがあり、それはイケメンイケボの超絶天才琵琶師「永田 錦心[ながた きんしん](1885-1927/明治18-昭和2)氏の登場によって巻き起こった。
永田錦心氏は、17歳で薩摩琵琶を習い始め、
19歳で北白川宮殿下の御前で演奏。
23歳で「一水会」を結成。
27歳で「薩摩琵琶錦心流」の宗家となった。
28歳のとき、大正天皇の御前で演奏&その後も二度演奏。人気は不動のものとなった。

大正時代はポピュラーソングだった琵琶歌

琵琶ブーム真っ最中の大正時代は、庶民がプロの歌を聴くためには、ライブに行くしかなかった。
(大正3年に蓄音機&レコードの基本特許が切れたので、レコード事業は盛り上がったけど、蓄音機が超高額で、庶民にはムリだった)

この時代では、琵琶歌は浪花節と並ぶポピュラーソングだったらしい。
浪花節が男向けっぽかったのに比べて、琵琶歌は男女問わず楽しめたというのがその理由。
琵琶歌を集めた「歌本」が発行されて、
サラリーマンから職人まで、道行く人々が琵琶歌を口ずさみ、夜には通りのあちこちで琵琶のライブがやってて、人気のあるライブは立ち見も出てたらしい。
『琵琶新聞』(明治42-昭和19)なる月刊邦楽専門誌が発行され、姉妹誌の錦心流薩摩琵琶専門誌『水聲』(大正14-昭和6)もあった。
琵琶演奏家と琵琶ファンは、かなりいたということがうかがえる。

琵琶は最高のエンタメ

琵琶には、合戦物や戦記物の曲がたくさんあるので、戦争との親和性が高かった。
日清戦争(明治27-28)、日露戦争(明治37-38)と
立て続けに戦勝国となった日本人の心にメガヒットしたのだろう。
 
琵琶の演奏は基本的に「歌」と「弾奏[だんそう]」に分かれていて、弾き語りではない。
会話体の演技、状況ナレーションの語りのある琵琶曲は、歌だけではなく演劇の要素も兼ね備えている。
映像喚起力に満ちた琵琶曲は、ラジオもテレビもない時代、最高のエンターテインメントの一つであったらしい。


琵琶ブームの終焉


昭和2年、永田錦心が享年43で亡くなる。
琵琶界の巨星墜つ。
琵琶人気が下降していく。

昭和6年にトーキー(発声映画)が日本でもメジャー化して、レコードも普及、ラジオも普及して、歌謡曲が人気になった。
琵琶ブームを牽引してきた薩摩琵琶の錦心流が分裂してしまったことも、人気の衰えに拍車をかけたのかもしれない。

戦後GHQは、琵琶曲が戦意高揚に利用されていた事実から、琵琶を軍国主義的政策の一環と見なし、排除の動きを見せた。
琵琶界は壊滅的な打撃を受けて、衰退した。


感想

何冊かの琵琶の本、Wikipedia記事などを
参考にざっくりまとめました。
(具体的な書名は後日追記します)
 
永田錦心氏は琵琶界のスーパースターですが、
この琵琶ブームの最中には、水藤錦穣氏と鶴田錦史氏が誕生し(共に1911(明治44)年生まれ)、少女時代から活躍していたわけですね。
次世代スターが二人も生まれていたのは、
後の琵琶ファンとしては嬉しいことです。
 
今の感覚からいえば、琵琶の歌本とか、そこらのサラリーマンとかが口ずさんでるとか、信じられないですが、たかだか100年ちょっと前は
こんな世界だったんですね。
LOUDNESSの高崎晃氏のような、超絶速弾きテクニシャン琵琶師とかいたんでしょうか…ライブ音源が存在しないのが残念です。
 
現在では、琵琶の曲といえば、ダークな世界観の語り物が演奏されることがほとんどのように思えますが、琵琶ブーム真っ最中の時代には、滑稽ものとか、笑えて楽しい琵琶曲もたくさんあったそうです。

三味線漫談があるんですから、琵琶漫談があってもよさそうですよね。
寄席でぜひ観たいです。

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