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Midlife Crisis.....?

人生が半世紀近くになると、誰しもあれこれ経験したり、
いろんな思いをしたり、
過去を振り返ったり、未来のことに思いを馳せたり、
書き尽くせないほどのライフストーリーがあるはず。

第三者から見たその人の人生と、本人が内側から見たストーリーは、
当たり前だけど違っていて。

昨日の自己紹介で記した「なんで、まだ勉強するの?」という周囲の
言葉に、私は一言で答えられない。これまでの全てが繋がって
辿り着いたから。でも、全部説明してたら、興味のない人は、
だんだん眠たくなってくるだろうな、と思って、短いバージョンで説明する。
ただ、説明した後に、「ああ、私のパッションは届いてなかっただろうな」
と後悔する。

昨日、私が研究対象にさせてもらったベトナム人介護福祉士の
お友達に「これからも、あなたたち外国人介護職の皆さんが、日本で活動し、相応の報酬が社会的にも経済的にもが得られるように、精神的なサポートをしたい」と
伝えると、彼女は、

「いとをさん、なんで外国人たちに対してそれほど関心を持ってますか?
何かきっかけがありますか?」とお返事をくれた。

その後、できるだけ大事な要素を残しつつ、私の情熱のエッセンスを
消さないように、外国人の彼女が理解しやすいように簡潔にこうお返事をした。



わたしが、

看護師になろうと思ったのは、35歳の時です。

私は当時、医療通訳ボランティアをしていて、

日本に住んでいるペルー人を助けるため、

スペイン語通訳として病院について行きました。


でも、スペイン語はわかるけれど、

医療の詳しいことがわからなくて、そして、

病気や怪我で診察や治療を受ける患者の不安な気持ちが分からなくて

とても残念で悔しい思いをしました。

だから、

「もっと知識や経験を身につけて、

日本で困っている外国人の役に立ちたい」と考え、

看護学校に入学しました。


そして、39歳11ヶ月の時に、

癌(がん)の専門病院に看護師として就職しました。


日本は、医療が発達し、

とても長生きできるようになりました。嬉しいことです。

でも、一方で介護を必要とする高齢者がたくさんいます。


先進的な治療を受けて、退院することになったそのような高齢者を

誰が「介護」をするのだろう?と疑問に思いました。


ちょうどその頃に、

ベトナム人男性が、治療にやってきました。

日本語は全くできない人です。


わたしは、

その男性患者にベトナム語で

「こんにちは」と挨拶したかったので、

通訳として同行していたベトナム人女性に

「どうしたら、ベトナム語を勉強できますか?」と聞きました。


すると、

日本の高齢者の介護施設で働くベトナム人介護福祉士3人の女性を

紹介してくれました。


彼女たちは、ベトナム語だけではなく、

介護に関することをたくさん教えてくれました。

そこで、日本の高齢者が、

多くの介護職員に支えられて生活していることを知りました


そして、介護の仕事をする人が、いつも不足しているので、

とても大変だということ、

外国人の若者が介護職として、頑張っていることを知りました。


しかしほとんどの日本人、特に若い人たちは、高齢者の生活や、

介護という仕事の実際を知りません。


だから私は、そのことを多くの人に知ってもらって、

自分たちが歳を取った時に、どういうふうに過ごしたいか、

どういうふうにお世話をされたいか、を知って、

話し合うべきだと思いました。


そして、

そのためには、私自身が

介護のことや、そこで働く外国人のことを知る必要がある、

と思い、大学院に行って、研究しました。

無事に論文は書き終えました。


そして、今、

その研究したことや学んだことを使って、

外国人で介護職として

働いている人の支援をしたいと思っているのです。




以上、わたしのライフストーリーのダイジェスト版。
ちょうど、3割くらいを詰め込んだだろうか。

そして、「支援をしたい」という上から目線とも言える願望がある。
年齢的にもMidlife Crisisといえると思う。何か成し遂げたい、と考えるのは
おこがましいのは重々承知。でも、体験したこと、知り得たことを、
何かの役に立てたい、と思うのは自然なことなのでは、と思ったり。

そんなこんなで、今夜も「ゆるい感じの危機的中年」。

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