今回私が話すことは、自ら命を絶つ行為を助長するものではないことを念頭に置いていてほしい。 私の理念としては、人が死ぬのは常にもったいなくて、切ないものだ。 また人によっては不快に思うかもしれないが、いち考えとして前頭葉のすみっこに置いておいてほしい。 なにやら物騒な枕言葉だが、私が伝えたいことは「死ぬのだけはだめだ」って優しくて無責任だよねということだけだ。 ソースなどはない、というか私の主観だが、鬱という存在が世の中に浸透していくと同時に、鬱になる人たちが増えたのではな
「撮れてるかな… ああ、よかった。撮れてるっぽいな。 (咳払い)… これを見てるってことは、俺はもう多分…。 そういうことだろうな。 皆さん、身内ノリを楽しんでいますか。 友達が複数人入れば必ず生まれるであろう身内ノリという存在。 これって結構面白いことですよね。 縄文時代の人たちもかつては巨大なモツとタマを持つ男同士で 「マンモスやん」 と言い合い腹を抱えながら夜を明かす日もあったのでしょうか。 ちなみにこの話はこれから話すことに一切関係もなければ。金
「恋をするということ、それは服従である。」 このフレーズは、私が先ほどシャワー中に鼻の下にできたニキビを眺めたがら思いついたワードだ。 人並みの恋愛経験を人並みにしか経験していない私が、こんなカメムシの発酵ジャムようなクサいセリフを藪から棒に発言する事はトチ狂ってしまわない限りほざく事はないだろう。 本来なら脳のゴミ箱に即ぶち込むがせっかく吐き出せる場所があるので書いた。 やっぱりいらなかったな。 合わせて読みたい 必要があったかは置いておいて"恋愛"という言葉
私は今、机のテキストとペンから呆れ顔を向けられながら、noteにポチポチ文字を打ち込んでいる。 ハッキリ言って、習慣づけなどクソッタレだ。 私は残念なことに、人間制作部署の神様が「あーやっちまったよ」と言い出してしまいそうな思考回路で日々過ごしている。 やりたい事は優先順位を捻じ曲げ持ち上げ、 やりたく無い事はうつ伏せになりながらなんとか間に合わす。間に合わなけりゃ「あーあ。まぁ死にやせん。」と先祖泣かせのつぶやきを吐き捨てる。 結論何が言いたいのか、 やりたく無い事
口頭と文章のイメージが激しく乖離するのを恐れがちでTwitterではやや控え気味だけどココでは存分に足りないおつむをブン回して文章を書いていきたい。 あわせて読みたい すごい前の話であるにも関わらず、友達の「目を合わせて離さないところが昔は怖かった」という言葉を時折思い出しては飲み込めず苦しむ。 あいとぅーあいはコミュニケーションの一歩じゃねーの? 人よりオモロに貪欲な自覚はあるが、目からオモロを強要するアツい視線を送る人に自分を育てた覚えは無くそれ以来ほんのちょっとだ