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映画にわかが映画大好きポンポさんを語る

日本のアニメ映画は世界に誇れる文化だ。こんなことを私が言うまでもなく、周知の事実だろうが。

大友克洋のAKIRAからその歴史は始まったと思う。2020年の東京オリンピックとその中止を未来予想した‼と度々話題になるが、本質はそこではない。

30年以上前の映画にも関わらず、現代のアニメと遜色ないほど作画がぬるぬるしている。単純に映像が綺麗になるのではなく、登場人物の動きが細部まで表現されるため、ダイナミックな舞台に隠れがちな心理描写も見逃せない。

他にも今敏のパーフェクトブルーやパプリカ、スタジオジブリ作品、2010年代以降では、細田守作品や新海誠作品も海外で高い評価を受けている。2020年代からは、週刊コミックの劇場版(鬼滅の刃や呪術廻戦)が莫大な興行収入を得ていることも記憶に新しい。

個人的には首を長くして待ち続けたエヴァンゲリオンが壮絶なフィナーレを迎えたのがとても印象的だった。

漫画、アニメ、劇場版、パチンコ全てのファンが納得のエンディング。


世間的な需要の観点からも、現在はアニメの群雄割拠時代になっていることは目に見えるだろう。そんな中で、私が一押ししているアニメ映画がある。

それが『映画大好きポンポさん』だ。


本作品は杉山庄吾【人間プラモ】氏によって2017年からpixivに投稿された同名の漫画が原作になっている。

この名前を聞いた人は十中八九妖怪を見たような顔をする。残りの一二割は妖怪である。実際私も友人にこの映画を薦めようと名前を出したところ、必ず嫌な顔をされる。

百聞は一見に如かずと考えている奴らだと思いポスターを見せたところ、必ず逃げ出していく。何たることだ。

ただ、日本の「萌え」文化というものに対して一定数アレルギー反応を起こす人種がいることももちろん知っている。私もアニメや漫画が大好きだが、萌えが全面的にデフォルメされた作品はどうしても手を出すことができない。

『映画大好きポンポさん』のキービジュアルもそれがにじみ出ており、明らかにヲタク向けの作品というのが第一印象だった。

YouTubeでたまたまこの映画のPVを見た。公開時期はとうの昔に過ぎていたが、コメント欄は絶賛の嵐で、2年程経過している現在でも賞賛の声が書かれ続けている。

どうせ信者が囲いで必死こいて打ち込んでるだけだろ、と思い嘲笑するつもりで近所のGEOまでレンタルした。


ただ、この作品はそんな低次元な「萌え」という領域で括れるほど甘くはなかった。

私は感受性があまり豊かではなく、映画ごときで涙を流すヤワな男ではないが、鑑賞中に胸が熱くなる瞬間が何度もあり、エンドロールでは涙を滝のように流した。

最初に出た感想が「なんだこの映画は」だった。ポスターを見ただけで印象を決めつけていた自分の浅はかさを恨んだ。内面の重要性は就活で痛い目を見て学んだはずなのに。


この映画の簡単なあらすじを紹介しよう。

舞台は映画の聖地ニャリウッド。敏腕映画プロデューサーのジョエル・ダヴィドヴィッチ・ポンポネット(以下ポンポさん)のもとで制作アシスタントをしているジーン。

映画に心を奪われた彼は、観た映画をすべて記憶している映画通。映画を撮ることにもあこがれていたが、自分には無理だと卑屈になる毎日。

だが、ポンポさんに15秒CMの制作を任され、映画づくりに没頭する楽しさを知る。ある日、ジーンはポンポさんから次に制作する映画『MEISTER』の脚本を渡される。

刺激的な内容はもちろん、伝説の俳優マーティンの復帰作のため大ヒットを確信するが、その監督になんとCMが評価されたジーンが抜擢された。ポンポさんのおめがねにかなった新人女優ナタリーをヒロインに迎え、波乱万丈の撮影が始まる。

まあ端的に言うと映画を作る映画だ。似たような題材の映画だと山田洋次監督の『キネマの天地』、松本壮史監督の『サマーフィルムにのって』などが挙げられるだろう。

伊藤万理華のキャスティング完璧
音楽も完璧



この映画を語り出すと、自分の中のキモオタが自我を出して文章を支離滅裂にする恐れがあるので、3つの観点に絞って話を進めたい。


まず一つ目は声優のキャスティングである。アニメ映画において声優の配役は肝である。

これまでの映画では、声は良くても内容が、内容が良くても声が、はたまた内容も声も良いとは言えないような映画(〇ノ国)がこの世の中には存在する。もちろん、ジブリ作品のようにプロの声優をあまり起用せずに成功しているものもある。

「ハウルの動く城」のキムタクのセリフはまあ男でも惚れそうになる。

声優の技量云々の前におそらく、我々の頭の中で違和感が仕事をしてしまうことが問題であると考えられる。イキイキとした顔をした登場人物が棒読みのような抑揚のない演技をしていれば誰だって視覚と聴覚のズレを感じてしまうだろう。

ただこの作品ではその違和感を100%払拭していたとは言えないが、キャラクターのビジュアルのみならず、内容やバックグラウンドに沿ったキャスティングであった。

特にナタリーを演じた大谷凜香の抜擢は大正解である。大谷氏は本業がモデルで、声優ではない。本作が劇場アニメーション声優初挑戦らしい。

ナタリーという人物もアルバイト漬けの日々を過ごす中で、突然ポンポさんがプロデュースする映画に選ばれる。ミスティアという大女優の付き人として共同生活をしながら演技を学んでいる。

作中を通してナタリーは大スターへの階段を駆け上っていく訳だが、彼女の成長を通して声の違和感というものがどんどん消されていき、何ならこの声でこのキャラを表現するのは大谷氏しかいないと感じるようになる。作中のストーリーに沿って演技力が向上してきたとも思えた。

伝説の俳優マーティンの声優を務めたのは大塚明夫氏である。ジョジョ二部のワムウやワンピースの黒ひげに声を当てている伝説の声優だ。

『パルプ・フィクション』のサミュエル・L・ジャクソンの配役が個人的に一番好き。


大塚氏は東洋経済ONLINEで以下のように持論を展開している。

『われわれの仕事は「声づくり」ではありません。「役づくり」です。この部分を取り違えている限り、いい芝居に近づけることはないと思います。

映画だろうがアニメだろうが、われわれが声をあてるのはその作品世界に登場するキャラクターたちです。彼らはそこに、何らかの物語上の役割を持って存在しています。

私たちの仕事は、そのキャラクターの役割とパーソナリティーを表現しうる最適な芝居をすることです。そして台詞を通して、見る人に「このキャラクターはもしかしたら本当にいる人かもしれない」と錯覚させるくらいのアプローチをしなければならない。私はそう考えながらこの仕事をしています。』


あんた声と顔だけじゃなくて生き様までカッコイイのかよ。

この作品のすべてのキャストがキャラクターに対して、熟練度の高い役作りを行っていたためレベルの高い映画へと押し上げていたのだと考えられる。


二つ目に着目すべきは圧倒的な映像美と表現技法である。

この作品のみならず、近年のアニメは映像が綺麗になりすぎている。本当にアニメーターの方々のことが心配になる。

この映画は群を抜いてぬるぬる動いていた。

新海誠作品も確かに映像美が評価されることが多い。作品全般に自然というものが関わってくるため、人類の手に及ばないものを爽快に表現した描写に鳥肌が立つことがある。

対照的に本作は徹底的に、「人」に焦点を当てている。そのため、ジーンが制作中にゾーンに入る描写は、映画のフィルムがずらっと駆け抜けていくような表現がなされていたり、大御所の俳優の登場シーンには何とも言えないオーラを漂わせていた。

達成感で電流が流れ、鳥肌が立つシーン

実際に映画製作に携わっていないとできないと思えるような表現で、映画素人の度肝を抜いた。

三つ目の特筆すべき点、それは創作に向かう態度である。

私は様々な商品のキャッチコピーが好きである。糸井重里氏のMotherのキャッチコピーを見ていつも得も言われぬ嫉妬を抱く。

『エンディングまで泣くんじゃない』


そんな私だが、この映画に惹かれた一番の部分は何を隠そうキャッチコピーである。


「幸福は創造の敵—」


ぞっとした。こんなオタク向けの映画でそんなキャッチコピーを掲げるんじゃないとも思った。

映画を作る映画というのが本筋だが、この映画は「映画づくりって面白い!!」という薄っぺらいメッセージを込めたわけではないと私は思う。

『ブルーピリオド』や『左ききのエレン』のようなクリエイティブに焦点が当たった作品の根幹にある、創作とは苦しいものであり自分の思い描く完璧と常に格闘することを強いられるものであるという、産みの苦しみをありありと知らされる。

物語のネタバレになるので詳細は伏せるが、ジーンが諸事情で頭を下げるシーンがある。自分の作品に対して自分での責任の取り方というものが残酷にも鮮明に描かれている。正直このシーンは胸が苦しくなった。

ただそれは登場人物が全員映画というものに対して人一倍以上の情熱をもっており、それぞれが葛藤、苦悩、期待を抱えているからこそ生まれた表現である。各々が絶対に譲れない信念を抱えた映画、アニメはこれまでに見たことがない。なくても製作者側は日々それを感じて生きているのだろうが。


私はこの映画を観て、自分が何も生み出せない一消費者であることを悔やんだ。怠惰で自堕落な学生生活を送っているためなおさらである。今こうして筆を執って何かを書くという活動を創作と呼ぶのなら、一番大きなモチベーションはこの映画に由来しているのかもしれない。


さて、色々と語ってきたが、まあ四の五の言わずに見てほしいというのが私からのメッセージだ。

映画製作のプロセス等も要所に散りばめられているため、今後の映画を観る目も変わってくる。この映画は90分と長くも短くない丁度良い時間だが、これがメタ的な伏線となってくるため是非諸君の目で確かめてほしい。

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