見出し画像

最近観た映画たち

卒論から開放された私は1週間で3本の映画を観るという快挙を成し遂げた。どれも非常に面白い作品で、一本一本丹精込めてレビューを書くのが筋であるが、めんどくさいので、この記事一本でいきます。まーごめ。

1本目 『哀れなるものたち』

聖なる鹿殺し(観てない)の監督、ヨルゴス・ランティモスの新作映画。半年前からアートワークを知っていたので、首を長くして待っていた作品であった。金獅子賞を取っていることから、世界中を騒がしている作品であることに違い無いだろう。満を持して観た感想は、「映画ってこういうこと表現していいんだ...」ということだった。


簡単なあらすじ
天才外科医によって蘇った若き女性ベラは、未知なる世界を知るため、大陸横断の冒険に出る。時代の偏見から解き放たれ、平等と開放を知ったベラは驚くべき成長を遂げる。


まあ端的に言うと一度自殺で亡くなった女性の体に、胎児の脳を入れて復活させる現代版フランケンシュタインのような作品である。序盤はモノクロの映像が流れ、「パンフ詐欺かよ!俺はあの色彩豊かなパンフレットが好きなんだよ!金返せ!」と思わずポップコーンをぶちまけそうになったが、杞憂に終わった。


熱烈ジャンプ()という超刺激的なシーン以降は色彩が溢れていく。ベラは、見た目は大人、中身は赤ちゃんという逆コナンのような女性であるが、世界を知っていく旅に出ることで、人生に彩りが出ていくのである。このメタファーとして最初にあえてモノクロ映像を起用したのであるとも考えられる。それは決して己にとって快楽となるものだけではなく、苦しみや痛みを伴うものも含まれる。一度自殺ですべてを失った女性が、新たな頭を得てゼロから世界を知るというのは無垢であり、残酷すぎる。


この映画を語る上で欠かせないのが、ベラを演じたエマ・ストーンの圧倒的な演技力である。序盤は脳みそが赤ん坊ということで、歩き方がぎこちなかったり、言葉も発達中であるような演技である。しかし、ガワが成人済みの女性であるということもあり、違和感を覚える。話が進むにつれその違和感がどんどん解消されていく。この魅せ方はエマ・ストーンにしかできないだろう。


私は馬鹿なので、このような浅い見方しかできなかったが、久しぶりに肩肘張らなくていい映画を観たような気がした。息を飲む映像美と劇伴で臨場感を引き上げている感じの作品だった。

2本目 『ストップ・メイキング・センス 4Kレストア版』

アメリカのロックバンド、トーキング・ヘッズの伝説のライブ「ストップ・メイキング・センス」の映像を収めた作品。1984年に公開された本作品をA24が4K版としてリマスターしたのが、今回私が観た映画である。


この映画を観るにあたり、私には3つの不満があった。1つ目はなぜ映画館でライブ映像を観る必要があるのかということであった。映像は己の五感を総動員して味わう「生」の音楽体験が醍醐味なのに、映像だとその魅力が失われるじゃあないかと考えていた。2つ目はトーキング・ヘッズなんてバンド知らねえよということだった。これは流石に私の無知に起因する。3つ目はIMAXが高すぎるということだった。私はまだ大学生なので、基本的に1,500円で映画が観れるが、本作はIMAX版でのみの上映だったため、プラス600円という手痛い支出を味わう必要があった。


こんなに文句があるのに観に行ったのは、我らがヒーロー、藤原ヒロシのInstagramで本作のロゴをあしらったカーディガンを着ていて、「カッケ~」となったことや、KID FRESINOが公開記念プレビューでDJをしたというニュースを観て、妙に気になってしまったからだ。

藤原ヒロシ氏のインスタより。


ソワソワした気持ちで、曲を全く知らないまま映画館に向かった。サイコーだった。まず、映像作品としての完成度が高かった。それもそのはず、監督は『羊たちの沈黙』を手掛けたジョナサン・デミであった。ライブが進むにつれてメンバーが一人ずつ増えていき、セットが完成していく様はワクワクが止まらなかった。ボーカルのデイヴィッド・バーンはショーの構築過程をショーとして見せるという意図を込めたと語っている。


楽曲は言うまでもなく良かった。初めて聞く曲ばかりだったが、どこか感情に訴えかけるような歌詞とサウンドで、体が自然と動くようなものであった。個人的には、「Once in a time」の歌詞が痺れた。「Life During Wartime」のクネクネダンスや、肩幅が広すぎるジャケットなど、視覚的な仕掛けも面白かった。

このジャケットは日本の能の装束がモチーフらしい。




食わず嫌いで映画を判斷してはいけないということを判斷してはいけないということがわかりました。バシャウマでした。

3本目 『ボーはおそれている』

私の最も好きな映画監督の一人であるアリ・アスターの最新作が公開されたので早速観に行ってきた。日曜日に行ったのだが、映画館が人でいっぱいだったので、みんなアリ・アスターの新作観に来たのかな~と思っていると、そいつらは全員ハイキュー目当ての客だった。


あらすじ
日常のささいなことでも不安になる怖がりの男ボーはある日、さっきまで電話で話していた母親が突然、怪死したことを知る。母のもとへ駆けつけようとアパートの玄関を出ると、そこはもう「いつもの日常」ではなかった。これは現実か?それとも妄想、悪夢なのか?次々に奇妙で予想外の出来事が起こる里帰りの道のりは、いつしかボーと世界を徹底的にのみこむ壮大な物語へと変貌していく。


率直な感想だが「???????????????????」であった。訳が分からん。3時間ぶっ通しでホアキン・フェニックスが不憫になる映像を見せられて、不快になるだけの時間だった。伏線が多すぎて理解が追いつかないとい感覚に陥る。ヘレディタリーやミッドサマーのように分かりやすく気持ち悪く、面白い作品ではなく、難解でキショい作品になっていた。ただめちゃくちゃ面白かった。よくよく考えると起承転結がしっかりしていたし、視線の誘導の仕方等は流石である

ところどころで出てきたアニメーションを手掛けたのは、ストップモーションアニメ映画『オオカミの家』のレオン&コシーニャであり、クレジットで観たとき興奮した。



不謹慎の上限を超えてしまうため逆に笑えてくる場面も多々ある一方で、怖がらせるシーンはしっかり怖く見せるのがアリ・アスターのすごいところだ。トラウマメーカーと揶揄することは簡単だが、彼自身の苦しみが土壌となって作品が完成されていると感じる。観客を傷つけるならクリエイターもその痛みに向き合わなければならないというのは、藤本タツキの『さよなら絵梨』でもあった。

藤本タツキ『さよなら絵梨』p.100より



難しく感じるのは、現実と妄想の間が曖昧になるからだ。そのためストーリー上における矛盾点を指摘したくなるのだが、その次にまた矛盾が生じるので、甘んじて受け入れて観ていくしか無いのだ。ホアキンがいじめられている映像に併せて観客の神経もすり減っていく。そしてその最後に待ち受けるのは、ハッピーエンドの大団円ではない。この作品の監督はアリ・アスターである。ヘレディタリーとミッドサマーを観てきたのであれば想像できるが、この監督の作品のエンディングは須く絶望である。本作品も同様であった。始まりから終わりまでの3時間ずっと不気味さがつきまとう作品だった。



ポップコーンを食べる手が何度も止まったが、観て後悔はない感じ。観る人によって恐怖のポイントや笑える箇所が違うと思われるので、観た人はぜひ感想や考察を教えてほしい。


一週間でハイカロリーな映画ばかり観てきた。もう少しで、社会人になるので映画を観る機会が減りそうだ。安く観れるうちに観ておこう。

追記
押井守監督のSF短編映画『ラ・ジュテ』がYouTube上で期間限定無料配信されているのでぜひ観てほしい。大塚明夫のナレーションがいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?