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LIFE

life:生きているものが持つ特徴を支える力

皆さんは『今夜はブギーバック』という曲をご存知だろうか。(当然ご存知ですよね??)言わずと知れた小沢健二とスチャダラパーによる1994年に生まれた名曲である。オザケンがメインのnice vocalバージョン、スチャダラがメインのsmooth rapバージョンが元祖と本家というような感じで、現在でも様々なアーティスト達に歌われている。余談ではあるが、とある友人はこ加藤ミリヤfeat清水翔太バージョンが原曲だと思っていたらしい。(そんなアホなことある!?)さらなる余談だが、この友人は日本の義務教育と言っては過言ではない、ジブリ作品を全く観ておらず、ポニョ、アリエッティ、マーニー、君たちはどう生きるかしか観たことがないという現代でも稀に見る“不思議な人”である。

かくいう私もこの友人のことはバカにはできない。初めて『今夜はブギーバック』に出会ったのは、2016年、BEAMS40周年記念ムービーである。時代を象徴する様々なアーティストが異なる曲調で今夜はブギーバックを歌うスペシャルな映像である。YONCEやtofubeats、野宮真貴など錚々たるメンバーが出ているので観るべし!!(当時はサムネイルの小松菜奈を目的に観ていました)

そんなわけでメロディーはなんとなく知っているけど、誰の曲かは知らね〜、小松菜奈可愛い〜という状況で高校生活を終えた。

時は流れて2020年、1年間の浪人期間を経て、コロナ真っ只中で大学に入学することになった。4月の初頭から同級生と対面でコミュニケーションを取る機会を奪われた私は不貞腐れて音楽を聴いていた。同級生たちはオンラインで開催される新歓に参加し積極的にフレッシュな笑顔を振り撒きながら交友関係を広めているのに対し、私は暗い自室でニヤニヤしながら背中を丸めて積極的に音楽を貪っていた。

そんな折に原曲の『今夜はブギーバック』をちゃんと聴いた。イヤホンから流れる音が脳に直接刺激を与えるような感覚だった。ゆる〜い歌詞の中にシャープなサウンドがリピートボタンを押すのを促してくる。こんないい曲ならもっと早く真面目に聴いておけば…と後悔した。その後悔を取り戻すために失われた4年間分のブギーバックを聴いた。しかし、なんとなくという理由で小沢健二を本格的に聴くことはまだなかった。

2022年。YouTubeにてとある動画を発見する。ムジカピッコリーノという音楽教育番組の最終回の動画だ。シーズンごとで色々なアーティストが出ており、世界中の音楽(日本を含む)のカバーなどが子供だけではなく、大人も魅了してきた。そんな子供に推奨すべき番組のフィナーレを飾ったのが『僕らが旅に出る理由』という曲である。

これまでの全シーズンのキャスト全員で歌うこの曲に圧巻され、原曲を辿るとまさかのオザケン。しかも、『今夜はブギーバック』と同じアルバム『LIFE』に入っているとは。めちゃくちゃいい曲、アルバムじゃないか(語彙力放棄)と思い、しっかりと『LIFE』の全曲と対面した。『愛し愛されて生きるのさ』『ラブリー』をはじめとしてアルバムとして完成されすぎている。


吉祥寺のジャズ喫茶Meg(現:音吉!MEG)のマスター兼オーナーである寺島靖国の『辛口ジャズノート』という本でチェット・ベイカーの『Chet Baker Sings』というアルバムは一つの組曲として完成されているという書評がある。私が『LIFE』というアルバムに抱いた感想もそれに同じである。何度も聴いていると、全ての曲が素晴らしく、かつバランスよく配合されていることに気付かされるため、アルバムを通して聴かないと気が済まないという状況になってくる。そんなこんなで『LIFE』は私の好きなアルバムTOP5に入り込む。

2023年。燃え殻の『ボクたちはみんな大人になれなかった』という本を読んだ。

実写映画化もされているので知っているかも。なかなかに面白い話なのに、巷では「エモい////」の一言で片付けられてしまっているのに腹が立つ。主人公は文通を通してとある女性と出会う。その女性のハンドルネームが「犬キャラ」というのだが、これは小沢健二の『犬は吠えるがキャラバンは進む』というアルバムから取ったものである。

この2人の関係がどうなっていくかは、本記事の本題ではないので、物語を読んでください。

さて私はこの本に出会う前に『犬キャラ』の存在は知っていたが聴いたことは無かった。理由はサブスクに無いからである。オイラはナウでヤングなz世代だからCDなんか聴かないんだ!!というわけではなく(実際上京する前も亡くなった祖父の家から拝借しているジョン・コルトレーンやチャーリー・パーカーを聴いていた)、地元では入手できなかったのだ。近くのCDショップはもちろん、ブックオフなどくまなく探したが入手することができなかった。メルカリとか使えばいいだろうが馬鹿野郎と聞こえてくるが、その時はネットでCDを買うことに抵抗感があった。結局友人と水族館に行くときの車内で、YouTubeに無断転載されているものを初めて聴いた。いい曲ばかりで感動する一方、罪悪感はあった。

2024年2月。以前の記事でも書いたが、私の祖父母は正月の震災で被災した。祖父母は私の実家の近くに引っ越すことができたが、壊れた家の整理や片付け、諸々の手続きをしなければならないため、何度も能登に行かなければならなかった。道もまだ亀裂が入っており、交通制限がかけられる場所である。自分の地元から車で能登までは7時間近くかかる。そのため夜中に家を出て朝から作業ということを何度か行った。父親と私の二人で運転を交代しながら暗い道のりを走った。メンタル的にも体力的にも相当キツかったが、運転中の車の中で何度も『LIFE』をリピートして聴いた。父親も母親も姉もリピートして聴く私に嫌な顔見せず、最後の方は『ラブリー』を家族で合唱できるくらいにはなった。このアルバムは暗い車内を少し明るくしてくれた。

2024年3月。就職に伴いこの春から上京した。なんとかやっていけるだろうと思っていたが、いざ見知らぬ地で一人暮らしを始めるとどうしても心ぼそかった。気を紛らわすために家の近くにあるレコードショップに寄った。井上陽水の『氷の世界』など、知っているアルバムジャケットを見るとほっとする。その店は端の方にひっそりとCDコーナーがある。一応そちらの方も見てみたらあったのだ。『LIFE』が。他にもサブスクで配信されていない『毎日の環境学』も取り揃えてあった。オアシスは近くにあったのだ。早速それらのCD(+オリジナルラブの『結晶』)を買って店を出た。翌日ハードオフに行って2000円のジャンクCDプレイヤーを買って流した。

ハードオフで2000円


音質はお世辞にも絶賛できるものではなかったが、ジャンク品でちゃんと再生できるのであれば御の字だ(現在も正常に動いている)。見知らぬ地で馴染みのある音楽を聴くと胸に込み上げてくるものがある。ポロリと涙が落ちる。『LIFE』というアルバムが私のメンタルヘルスに大きく寄与したことは言うまでもない。

入社後、会社の先輩Aさんと好きな音楽の話になり、オザケンや渋谷系のアーティストにハマっている話をした。すると「私の旦那小沢クンと仕事したことがあってCDとかたくさんあるよ!今度持ってくるね!!」とAさんは行った。おいおい東京ってこんなスゲェとこなのかよ。翌日Aさんが持ってきたCDには、コーネリアスやピチカート・ファイヴなどがあり、その中に喉から手が出るほど欲しかった『犬は吠えるがキャラバンは進む』があった。私は涙を流してAさんに感謝した。罪悪感なく聴ける『犬キャラ』は最高だった。その後も出勤時退勤時にはほとんど小沢健二を聴く生活を続けている。

私が持っている小沢健二CD


さてここまで話せば、私が小沢健二好き、そしてアルバム『LIFE』好きだということをわかっていただけただろうか。3000字近く書いておいて申し訳ないが、今回の記事はここからが本題である。


以前の記事で小沢健二の武道館ライブに当選したということを書いた。事の発端は4月末のある日。AさんからCDをもらった2日後である。小沢健二のTwitterを観ていたらこんな記事を発見した。

8/31!?30周年!?!?『LIFE』再現ライブ!?!?スカパラ!?スチャダラ!?ヒックスヴィル!?服部隆之!?武道館!?!?
思考が追いつかない。夏の終わりに聴く生LIFEなんて絶対最高じゃん。マジのマジで行きたいが倍率が相当高くなるだろうし、私なんかまだまだ歴の浅いリスナーだから古参のお兄さんお姐さん達には負けちゃうだろうと思いつつ、申し込んだ。

結果

は??????一次当選??????
前世で名もなき子犬を300匹程救ったのか俺は???冷静になった脳を取り戻し、近所のローソンで入金を行った。

俺は歴戦の猛者達に負けないように『LIFE』やその他のアルバムを何度も聴き返し、4ヶ月近くを過ごした。その間にも他の歌手のライブに行ったけど、それは別の機会にでも書こうと思う。

8月最終週。オザケンも私も着々と進めてきた。しかし大きな懸念事項が一つ。台風10号。毎日台風情報をチェックしていたが、どうしても今回の台風の進路は読めなかった。Twitter上では遠方からのライブ参加を断念するという声も多数上がり、気分が落ち込む。

8月30日。ライブ決行の情報が入る。こうなったら行けなくなった人の分まで目一杯楽しんでやると決意。骨は拾ってやる!!

来たる8月31日。遠足を楽しみにしている子供のような気持ちで起床。いつもアラームをかける7時25分より1時間早い。空を覗くと快晴とまでは行かないが太陽が顔を覗かせていた。昂る気持ちを抑えるためにランニングへ。もちろん聴く音楽は『LIFE』。

その後昼過ぎまで家事や買い物を済ませ、武道館へGO!とはならず、御茶ノ水で腹拵え。名店キッチンカロリーでしっかりカロリー補給。

うまい

開演まで時間があったので御茶ノ水から武道館までまったり歩くことに。途中古本屋に立ち寄り、買った本を読むために珈琲館で休憩。

心を落ち着かせていざ武道館に到着。まず、人の多さに驚愕した。高校1年生のときに行ったPerfumeのドームライブとタメはれるんじゃないかと思うほど。また、武道館が想像以上にでかい。外観を観ているだけでビビる。大きな看板の前に人だかりが出来ており写真スポットになっていた。

関係者からの花束も飾られていた。私が確認できたのは、バカリズム、タモリ、Mステetc。

16時半になり開場。ちなみに私の座席はアリーナ席西側の前から2列目だった。俺は前世で子猫を3000匹救ったのか??センターステージ配置のためオザケンは360度会場を見渡せるようになっており、私は下から見上げるような形になる。客入れの音楽は『毎日の環境学』。会場内のアナウンスで、ケータイの電源をオン、機内モードに設定、明るさをMAXにするように指示が入る。そして下記の画像をすぐに開けるようにしてくれとのこと。

所謂ペンライト(ここでは提灯)のようにケータイを使う珍しい試みのよいだ。まだかまだかとソワソワしていると小沢の朗読と同時にキーボードが入場。しかも自転車で。

ステージに登ると、聴き馴染みのある『流れ星ビバップ』のイントロを颯爽と弾く。そして暗転。会場のボルテージが一気に上がる。イントロのリピートのまま、小沢のアナウンスと同時にメンバーを続々と紹介。服部隆之オーケストラ、スカパラ、スチャダラの面々を一本締めのように「ヨーッ」という掛け声で迎え入れる。そして全員の紹介が終わると同時に小沢のボーカルが入る。書かれた歌詞カードを見ながら『流れ星ビバップ』の大合唱が始まる。小沢は「歌え!!」と煽るが、テンポが早い曲なので付いていくのに精一杯。


続く曲は『フクロウの声が聞こえる』。小沢健二がついに登壇!うさみみの被り物をしていた。2017年に発表されたセカオワとのコラボ曲であり厳かでエネルギッシュな曲であり、今回は6thアルバム『So kakkoii 宇宙』に収録されている単独歌唱バージョンであった。こちらも武道館全体を巻き込んだ大合唱となった。


そして、その後に流れる曲は服部隆之オーケストラの演奏から始まる『強い気持ち、強い愛』。

私はこの曲をTwitterでリクエストしていたため、イントロを聴いた瞬間、涙を溜めているダムが決壊した。オザケンの曲で一番を決めることは難しいが、一番好きな歌詞はと聞かれたら真っ先にこの曲のラスサビを推挙する。

『長い階段をのぼり 生きる日々が続く 大きく深い川 君と僕は渡る』

ここの歌詞を聴く度に、初めて聴いたときのような感動を覚え鳥肌が立つ。今回のライブでこの曲ができて本当に良かった。始まって3曲目で私は悟りを開いたような穏やかな心持ちになっていた。しかし、オザケンはまだまだ止まってくれない。


MCパートが入り、「総立ちってちょっとダサくない?笑」と一笑し、一度全員が座る。その後、『犬キャラ』に収録されている『天使たちのシーン』のイントロが流れる。これもまた思い入れの深い曲なので目頭が熱くなるが、まさかのイントロの延長。どんな延長が入るのかとワクワクしていると、スチャダラの煽りが入る。

「今日は夏の終わりなので、僕たちの曲で夏を振り返ってください。歌える人は歌ってください。」

『天使たちのシーン』のイントロでスチャダラの往年の名曲『サマージャム’95』のサビ部分の大合唱が始まる。
このライブの2週間前、私はU-zhaan✕環ROY✕鎮座Dopenessのライブで『サマージャム’95』のカバーを聴いたばかりだった。

今回のライブでも聴けたらラッキーぐらいに思っていたが、まさかハードルをあっさり超えてくるとは。大合唱が終わるとオザケンの歌唱が始まる。歌声はもちろんのこと、間奏で入るスカパラホーンズのソロがいい味を出している。これ一本でライブ会場が埋まるぐらい。また間奏で、1999年に亡くなったスカパラのドラマー青木達之の名前が小沢によって叫ばれた。隣の人はこのタイミングで目元を押さえていた。この曲では小沢のギターテクニックが光っていて、ソロに魅了された。


余韻を残しつつ、すかさず始まったのは『旅人たち』。きれいなハープの音色にうっとりとする。人生で初めて生のハープの演奏を聴いたかもしれない。サマージャムのチャラチャラした感じとの温度差にやられそうになった。


次の曲に入る前に指パッチンの練習時間が入る。なんでも詩の朗読会では、朗読が終わると拍手ではなく、指パッチンで称賛を送るのだとか。「しっとりした曲で拍手なんてダサくない?笑」とオザケンが一笑し、様々なリズムの刻み指パッチンの特訓が終わったところで『大人になれば』。確かにしっぽりとしたジャズテイストのこの曲に騒がしい拍手は似合わないかもしれない。しかし、間奏でこれまたスカパラのホーンズによる圧倒的なソロが入るので、興奮した客たちが次々に大きな歓声を送る。そりゃあ我慢できないよね。


次の曲は『台所は毎日の巡礼』という曲で、小沢健二の一番新しい曲である。私はこの曲を聴いたこともなければ、存在すら知らなかった(恥ずかしい限りである)。今回のライブで唯一知らない楽曲であった。座席に置かれている歌詞カードと舞台でギターをかき鳴らすオザケンを交互に見るのに忙しかった。ちなみにこの歌詞カードは30年前の8/31からFAXが届いた設定のものであるというのが、なんとも粋な計らいである。



次の曲は今年の4月に発表されたスチャダラとのコラボ曲『ぶぎ・ばく・べいびー』。最近の楽曲ではこの曲が一番好きである。このタイミングでなんと小さな子どもたち8人くらいがステージ上に登壇。多分全員小学生。私よりはるかに若いのに武道館という大舞台でパフォーマンスを披露するという精神力よ。オザケンがこのタイミングで「今日は子供たちが1000人います。赤ちゃんもたくさんいて最高です。」と発言。確かに周りを見渡すと子どもたちがちらほらいるし、耳を済ませてみると、赤ちゃんの泣き声も聞こえる。こんなライブ見たことない。「子どもたちは僕の後に続いて歌ってください。大人でも大丈夫です。」と言うと原曲よりもスローなテンポでAメロが始まる。「満月より 光るよ記憶」と小沢が歌うと子どもたちが続けて、「まんげつより ひかるよきおく」と歌う。最高の一言に尽きる。しっぽりとしたAメロが終わるとスチャダラのラップパートがギラギラと光る。最後は子どもたちが「ぶぎ・ばく・べいびー」と歌って大歓声が上がる。


その直後、『彗星』と『流動体について』が立て続けに演奏される。私がこの曲たちを聴いたとき、少し悲しくなった。というのも、『LIFE』の頃の声に比べて若さを失ったような感じがしたからだ。しかし、老いというものは誰にも避けられないもので、環境の変化も大きく影響し、小沢健二なりの受容の態度が全面に表現されているのだと勝手に解釈している。オザケンの新境地であるこの曲たちにも思い入れがあった。


先ほどの2曲が終わるとMCが入る。「ここまではみんなからのリクエストがあった曲たちを演奏しました。みんなそれぞれの思い入れが出ていて色々な曲を聴いてくれているのだと感じました。これまで長く聴いてくれた人たちのための同窓会のような感じでした。」と。私よりももっと長く聴いている人々にとっては嬉しい一言であろう。


「ここからは後半戦です。LIFEの再現に入ります。相当凄いです。再現とは言ってもみんな力が入ってエモくなってしまうかもしれません。」というMCが入る。これを待っていたと言わんばかりに観客総立ちになる。確かに前半、自分にとっても思い入れの強い曲が聴けて満足していたが、ここからもっと凄いことになると思うと感情がぐちゃぐちゃになった。
私は一個不可解に思っていたことがあった。コチラの画像を見てほしい。

いやいや『愛し愛されて生きるのさ』は『LIFE』の最初の曲なのになんで最後に持ってくるんだよwと思っていたし、ライブに行った人も同じ思いだったかもしれない。しかし次の小沢の一言でその意味が理解できる。「再現の最初は『いちょう並木のセレナーデ(reprise)』です。次が『おやすみなさい、仔猫ちゃん!』です。今日は『LIFE』の曲順を逆から再現していきます。」本当に腰が抜けそうになった。曲順も歌詞も覚えているアルバムの再現をこんな形でやってくれるとは!!!


静まり返った雰囲気で『いちょう並木のセレナーデ(reprise)』が始まる。耳を済ませるとCDの音と全く同じであり、鳥肌が立つ。しかし、オルゴールだからまだまだ評価を下すのは早い。どんどんハードルと観客のボルテージが上がっていく。


次の『おやすみなさい、仔猫ちゃん!』が始まったときに、「俺は伝説を目の当たりにしているのかもしれない」と思った。本当に全く同じ音だった。イントロから間奏の子どもたちのコーラス、すべてがCDの音であった。そして一番驚いたのは、小沢健二の声が30年前収録当時のオザケンに戻っていたというところである。自分の聞き間違いでなければ、明らかに声が若返っていたはずである。スカパラのホーンズ三人衆が遊びながら弾いていた場面も印象的だった。


次の曲は『ぼくらが旅に出る理由』であった。上京するときの新幹線で涙を浮かべながら聴いた曲である。イントロが流れた瞬間、涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになっていた。荘厳なオーケストラのイントロから始まり、詩・メロディー・リズム完璧な曲で感動しない人間がいるだろうか。2番に入ったときにオザケンが「歌える?」と煽る。歌えないわけねーだろ!!と思い、涙ぐみながら合唱が始まる。

「遠くまで旅する人たちに あふれる幸せを祈るよ 僕らの住むこの世界では旅に出る理由があり 誰もみな手をふってはしばし別れる」

曲が終わると大歓声が上がる。



もう人生に悔いなしと思ったところですかさず、往年の名曲、そして私がオザケンを知ったあの曲が始まる。『今夜はブギー・バック』。本当に生で聴けて良かった。しかも『LIFE』に収録されているnice vocalバージョンである。スチャダラのライブではsmooth rapバージョンをやることがほとんどで、滅多にnice vocalバージョンをやらないとのことで、相当レアらしい。多分会場内のほとんどの人がこの曲目的で来ていたと思うくらい盛り上がっていた。「ドカーッ」「ルカーッ」「よくなく なくなく なくなくない?」の掛け声が轟音のように鳴り響く。老若男女問わず踊っていた。近くで澄まして見ていたオバサマも、我慢できずに踊っていた。音源同様フェードバックして終わっていくと思いきや、スチャダラの煽りでラップパートが追加され会場内はさらに大盛りあがり。



ブギー・バックマンションの近くにスーパーのライフができたというスピった話等が出て、スチャダラの面々が降壇したところで、『ドアをノックするのは誰だ?』という曲が始まる。私は今回のライブに先駆けて、YouTubeでこの曲のライブ映像を見ていた。「右!左!右左右!」という掛け声に合わせて肩を揺らすダンスが特徴的であった。まさか実際にこれをできるとは…。歌詞はなかなかキワドいが、キャッチーなリズムがクセになるんですよね。

「誰かにとって特別だった君を マークはずす飛び込みで僕はサッと奪い去る」

こんな歌詞を若くして書いたオザケンに感服するばかりである。


続いて『いちょう並木のセレナーデ』。『LIFE』に収録されているのは、ライブ音源のようなもので、ところどころで歓声や拍手が入る。この曲の再現で驚いたのは、演者たちはもちろん、観客の歓声や拍手のタイミングまでほぼ再現されていたところである。みんなどれだけこのアルバムが好きなんだよとしみじみ思った。

「やがて僕らが過ごした時間や 呼びかわしあった名前など いつか遠くへ飛び去る 星屑の中のランデブー」



次の曲は『東京恋愛専科・または恋はいってみりゃボディー・ブロー』。この曲は上京する前から好きだったが、上京してからさらに好きになった。今回のライブで一番音の聞き分けが出来た。「あっ!あの音だ!!」と感心しながら、オザケンの声にも耳を傾ける。この曲も『ブギー・バック』同様、音源通りフェードアウトしていくはずなのだが、オザケンが「ヤダーッ」と叫ぶとアウトロが何度も繰り返されていった。面白かった。

「浮かれ浮かれてる場所で 夜がすぎる間 過去も未来も忘れていたいよ 空に散らばったダイヤモンド」



『東京恋愛専科』が終わったタイミングで服部隆之オーケストラの紹介に入り、オザケンの要望で『ドアをノックするのは誰だ?』のオーケストラアレンジバージョンが演奏された。もう言葉にできない。



MC兼朗読のパートに入る。ウェブスター辞典の“life”の説明文をオザケンの長男が緊張しながらも流暢な英語で読み上げる。

“a principle or force that is considered to underlie the distinctive quality of animate beings”

この記事の最初に書いたものが和訳である。自分というものを形成するファクターは無限にある。しかし、2024年の8/31に東京の武道館に集まった約1万人は、オザケンの『LIFE』によって支えられてきたというのは言うまでもない共通項であると私は実感した。人それぞれに『LIFE』というアルバムに思い入れがあり、あの場所に集まったと思うと、胸が熱くなった。


そしてオザケンが新たなギターを持ち、「これはラブリーを収録したときに用いたギターです。音を聴けば分かります」と言って『ラブリー』のイントロのカッティングが始まった。「あの音だ!!」と思い聞き入っているとオーケストラ、スカパラの演奏を交えた壮大なイントロ、そしてオザケンの魅力的なAメロが始まる。名曲も名曲。1995年の紅白でお茶の間を彩ったこの曲は2024年の8月31日も武道館を彩っていた。

「それでLife is coming back 僕らを待つ Oh baby lovely lovely こんなすてきなデイズ 世界に向かってハローなんつって手を振る Oh baby lovely lovely 機嫌無敵なデイズ」

オザケン曰く、「Life is coming back」という歌詞は「降ってきた」らしい、そしてこの日、文字通り「LIFEは戻ってきた」。ここまで仕込まれたら激アツすぎるって。


そして観客たちに惜しまれながらも最後の曲、『愛し愛されて生きるのさ』が始まる。オザケンが煽るまでもなく、武道館全体での大合唱だった。みんな歌詞カードなんか見なくても分かっているようだった。

「月が輝く夜空が待ってる夕べさ 突然ほんのちょっと誰かに会いたくなるのさ そんな言い訳を用意して 君の住む部屋へと急ぐ」

オザケンの声はもちろん、コーラスで入るヒックスヴィルの真城めぐみの「You’ve got to get into the groove」というフレーズが心地よい。武道館が震えるくらいの大合唱の後、大歓声が上がった。



すべての曲が終わってしまった。オザケンが語る。「『LIFE』を作ったとき、絶賛の声だけではなく、メディアから色々言われたりした。けど、30年経ってこうして大きな取り組みができるのは本当にありがたい。みんなありがとう。」小沢さん、ありがとうを言いたいのはこっちの方だよ。


「生活に帰ろう」と言ってカウントダウンが始まり、演者たちがどんどん降壇していく。カウントダウンがゼロになったタイミングで会場が明転した。アンコールがあるのか?


「今日のライブではみんなにケータイをオンで参加してもらった。いつも一緒にいるケータイがライブのときだけ雑に扱われてしまうのがなんか嫌だった。いつかケータイに後ろから刺されるかもしれない」といって、小沢とスチャダラがインスタライブを付ける。そして全員でスローテンポの『愛し愛されて生きるのさ』の大合唱が始まる。さっき聴いて涙を流したばかりなのに、また涙が流れそうになる。


大合唱が終わると最後のカウントダウンが始まる。「ヤダー」という声が上がる中、オザケンは「大丈夫」と言ってくれた。だからそこまで寂しくはなかった。ゼロと同時に会場が暗転する。残ったのは観客のケータイの光と一万人それぞれの多幸感であった。


「2024年から見た30年前はあっという間のものに思える。けど、これから30年先の2054年は長く感じる。」『LIFE』が発売されたとき、私は生まれていなければ、パピーとマミーは出会ってすらいなかった。しかし、私だけではなく、私よりも若いお客さん、赤ちゃんまであの会場にいたことを鑑みると、冗談抜きで2054年どころが、2094年まで『LIFE』というアルバムは人の心の糧になっていくのだろうと実感する。オザケンの音楽はハレとケを引き裂く特別なものではなく、日常に寄り添う生活音のようなものあると私は思う。もちろん今回のライブは特別なものであったのは言うまでもない。だが、ライブが終わり武道館から九段下駅まで歩いているとき、「終わってしまって悲しい」ではなく、「明日からも『LIFE』を聴いていきていこう」と前向きに思えた人はあの場所で私だけではないはずだ。


『LIFE』というアルバムに込められたメッセージは明るいものだけでない。しかし、それは我々が生きていく人生と似ている。このアルバムを含めたオザケンの音楽に人生を救われたとまでは言わない。だが、『LIFE』に自分を肯定してもらったことで生きやすくなったことは何度もある。要するに何が言いたいか。みなさん『LIFE』を聞きましょう。サブスクでもCDでも何でもいいです。私は最近再発売されたばかりのLPを予約しましたわよ。

稚拙なライブレポですが、あの日武道館にいた人いなかった人どちらにも届いてほしいと思います。

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